2018年06月24日

モモの袋を交換

取り敢えず桃子は終了

 昨日のブログで書きましたように、今年はモモに掛ける袋の大部分を農協で購入した二重袋を使いました。しかし、使って初めてこの袋は素人の無農薬栽培には不向きであることが分かりました。この袋を掛けたまま栽培すれば沢山のモモが地面に激突して、食べられないことが分かりました。そこで、急遽二重袋を自家製の昨年使った袋と取り換えることにしました。この数日間、毎日のようにモモが落果していますので、少しでも早く交換した方が良いと思い、今朝から作業を始めました。今日は1日がかりで作業をする積りでしたが、急に子守依頼が入りましたので、子守に行くまでに出来るだけ多くの袋を交換したいと思い、朝6時から作業を始めました。昨晩まで雨が降っていましたのでモモの葉にまだ水滴が残っていましたが、この時期は雨に濡れても寒くは有りませんので、気にせず作業を続けました。二重袋は250枚程度使っており、100枚は古い袋を使っていますこの250枚の二重袋を古い袋に交換しますが、すでに掛けている古い袋の中のモモもチェックしながら作業を進めました。
 袋を掛けたのが5月中旬ですので、まだ、40日程度しか経っていませんが、袋の中のモモは色々と変化をしています。ミイラの様に乾燥して全く大きくなっていないモモ、シンクイムシが入って袋の中に落ちているモモ、ホモプシス腐敗病にかかっているモモ、病気や虫にやられていないけど小さいモモ、立派に育っているモモなどです。今日はホモプシス腐敗病にかかっていたモモが8個、シンクイムシにやられていたモモが5個、その他が9個有りました。桃子の袋の交換作業は11時で終了しましたので、それから徳島に向けて走りました。

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ホモプシス腐敗病にかかっていたモモが8個有りました、この病気は収穫前に多くの被害果が出ますので最終的に何割のモモがこの病気に罹るか不安です


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 モモシンクイムシが入ったモモです、このシンクイムシの被害もこれから多くなります


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 病気や虫の被害は受けていないのにの袋の中に落果していたモモです。原因は色々です。残したモモが多すぎて大きく成長する前に落果したモモも結構あります


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 袋の交換作業が終わると、桃子の下には取り外した二重袋が散乱しています


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 交換作業を終えた桃子です。茶色の二重袋は一つも残っていません



桃太も半分程度終了

 子守を終えて午後4時にログに帰って来ましたので、それからすぐに、桃太の方の袋交換作業を始めました。午前中で要領はつかめましたので、作業は順調に進みましたが、途中で古い袋が無くなりましたので、袋交換作業は一旦終了して、古い袋の修理をしました。取り敢えず桃太の方も半分は終了しましたので、明日の午前中には終了できると思います。

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 桃太の方も半分程度袋の交換が終了しました。桃子に比べると桃太の方は、モモシンクイムシで落果したモモやホモプシス腐敗病にかかったモモは有りませんでした。ちょっぴり不思議です。
posted by モグじー at 20:58| 徳島 | Comment(0) | モモ・スモモ・アンズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月23日

モモ農家用の袋でした

市販の袋では落果は防げない!

 最近はずっとモモに掛ける袋は手製のものを使っていましたが、今年は袋を作る暇が有りませんでしたので市販の二重袋を300枚購入しました。安い一重の袋より二重になった袋の方が良いだろうと安易に考えて購入し、8割程度のモモにこの市販の二重袋を掛けました。ところが4日前からモモが次々と地面に落果するのです。モモは地面に落果すると果肉が柔らかいので潰れてしまい、殆ど食べられません。自作の袋の場合は枝の上から袋を結びますので、モモシンクイムシの被害でモモが枝から離れても袋の中に落ちるだけですので殆ど傷がつかず、モモシンクイムシの被害を受けた部分だけを取り除けば、シャーベットにしたりジャムに加工できます。実は、モグジーは二重の袋でも枝の上から止めればモモは下に落ちないものと思い込んでいました。しかし、実際に地面に落ちたモモをチェックし、更に袋の構造を調べてみた所、二重袋の方は枝の上から止めていてもモモが枝から離れれば簡単に落果することが分かりましたショックです!
 専業農家の場合は、農薬を使ってモモシンクイムシを駆除しますので落果の心配はありません。袋は消毒液が直接モモに掛からないようにするのが主たる目的です。万が一モモが落果した場合はそのモモは廃棄されます。そして、完熟まで樹にならせておくことはせず、早めに収穫しますので完熟で落果することも有りません。モグジーとは袋の目的が全く異なっているのです
 モグジーの場合は消毒を一切しませんので、モモの季節になると桃の樹の周りでモモシンクイムシが大量に発生し、隙あらば、果実の中に入って芯を中心にした部分を食べます。すると、完熟前にモモは落果し、完熟したきれいなモモは収穫出来ません。モモシンクイムシがモモの中に入り込むのを防ぐために袋を使っているのです。たとえモモシンクイムシが隙間から袋の中に入って果実に潜り込んでモモが枝から離れても、袋の中に落ちるので、大半の果肉は利用できます。そして、完熟まで樹に付けておいても完熟したモモが地面に激突する心配はありません。市販の二重袋を安易に使ってしまったモグジーの大失態です
 今日も5個のモモが地面に激突していました。早急に袋を取り換える必要がありますが、今日は雨で作業が出来ませんでしたので、明日早朝から、二重袋を古い手製の袋に取り換える作業をしようと思います。

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 市販の二重袋です、下の茶色の袋は幅が12aしか有りませんので、モモが直径7aを越えると入らなくなります


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 モモが直径7aを越えるぐらいの大きさになると、茶色の袋を下に引っ張れば袋は簡単に取れます


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 袋は半透明の袋だけとなり、この袋は折りたたまれて茶色の袋に入れてあるため、モモが大きくなっても十分に上から消毒液が掛かるのを防ぐことが出来ます。勿論、シンクイムシが入って芯をかじれば、モモは枝から離れて地面に激突します


やっと、6月15日のブログが書けました

 先週の6月15日に熊本地裁でハンセン病家族訴訟の原告陳述が有りました。裁判を傍聴したモグジーは審理の内容をノートに速記し、翌日ログに帰ってから速記されたメモを参考に審理内容の文字化作業を始めましたが、内容量が膨大であったため文字化するだけで一週間かかってしまいました。文字化された物を簡単にまとめて今日やっと当日のブログを仕上げることができました。もしよろしかったら是非目を通していただければと思います。
posted by モグじー at 21:50| 徳島 ☔| Comment(0) | モモ・スモモ・アンズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月22日

モモのチェック

モモが落ちている

 一昨日、昨日と、果樹園の桃子の下にモモが袋ごと落ちていました、全部で7個です。袋を開けてモモを取り出すと皆、シンクイムシが入っての落果でした。かすかにモモの香りがし皮も緑から白色に変わっていました。皮を剥くと綺麗に剥け、口に入れると甘みが足りませんが十分に食べることが出来ました。今年は摘果が充分でなかったのか袋の外から触ってもまだ小さいので収穫はまだまだと思っていましたが、色も付いていますので収穫はもう少しの様です。地面にモモが落ちたということは、今年はモモの袋を半分程度、枝の上から閉じないで、モモの芯のところで閉じていますのでシンクイムシが芯を食べれば、袋は枝にぶら下がっていませんのでモモは袋ごと地面に落果してしまいます。しかし、枝の上から袋を閉じると、シンクイムシが芯を食べても袋が枝に引っ掛かっていますので、モモは地面ではなく袋の中に落果します。モモが地面に直接落果したということは、袋の中に落果したモモもあるはずです。袋の中で傷みがドンドン進みますので、袋の中にモモが落果していないかチェックすることにしました。
 朝食を終えると、早速作業を始めました、一袋ずつチェックしていったところ3つの袋の中でモモが落果していました。少なくとも10袋程度は中のモモが落果していると思ったのに、以外と落果が少なくて嬉しく思いました。結局はこれまでに10個のモモがシンクイムシにやられて落果したことになります。今回は2個ほど全く袋を掛けないでおきましたが、そのモモをチェックしたところ、1個は全く何の被害も受けていませんでしたが、もう1のモモはお尻がかじられていました。シンクイムシではなく他の虫が果肉を直接食べたようです
 昨年は7月1日に桃子の方のモモを全取りしていますが、今年は寒くて生育が遅れているのか、収穫はもう少し先の方になるのではないかと思います。いずれにしても、果樹栽培の中で最も力を入れているモモの収穫が近付きつつあります。今年のモモはどんなモモが収穫できるのかドキドキの今日この頃です。

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 今日モモに掛けている袋を全部チェックしたところ、3つの袋の中でモモが落果していました、袋を開けてモモを取りしたところモモシンクイムシにやられていました。いくら頑張っても僅かな隙間から虫が侵入するようです


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 全く袋を掛けていなかったモモは、シンクイムシには侵入されていませんでしたが、他の虫にお尻をかじられていました


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 このモモも袋を掛けていませんでしたが虫の被害は全く受けていませんでした、完熟までこのままいけるのかも知れませんが心配ですので袋掛けました。袋を掛けた場合と書けない場合とで生育に差は感じられませんでした。
posted by モグじー at 21:49| 徳島 | Comment(0) | モモ・スモモ・アンズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月21日

ブドウスカシクロバの逆襲

身体が痒くて眠れない!

 6月5日からブドウの樹に付いていたブドウスカシクロバの駆除作業を始めました。妻と二人で毎日のように2時間程度の時間を掛けて、ブドウの樹の下に行き、葉の裏にへばりついているブドウスカシクロバの幼虫を指で潰して駆除をしてきました。1日平均駆除数を300匹とみなしても、これまでに3000匹を越えるブドウスカシクロバの幼虫を駆除したことになります。虫の駆除作業自体はそれほど嫌ではないのですが、この数日前から二人とも手首や腕や首筋に強い痒みを覚えるようになりました。妻は昨晩は強い痒みの為熟睡できなかったそうです。その痒みの原因について色々と考えましたが、思い当たることはブドウスカシクロバの駆除作業しか有りません。ただこれまでも、毎年ブドウスカシクロバの駆除作業をやって来ましたが、今回の様なひどい痒みを感じたことはありません。従って頭からブドウスカシクロバが原因ではないと思ってきました。しかし、余りに激しい痒みが続きますので、昨晩ブドウスカシクロバの人体への影響についてパソコンで調べてみました。すると驚くようなことが書いてありました。毒針を持っていて刺されると激しい痒みがあると。痒みの原因がついに判明しました。今後は完全装備でブドウスカシクロバの駆除をしなければなりません。
 昨日は雨で1日駆除が出来ておらず、今日は10時頃からゲストを迎えますので、朝食を終えるとすぐにブドウスカシクロバの駆除作業を始めました。ただし、今日からは完全装備として、両手には肘まである台所用のゴム手をはめ、頭に麦わら帽子をかぶり、その上からメッシュのカバーを肩まで掛けました。これで、多分ブドウスカシクロバの攻撃は防御できると思います。今日は詳しくチェックするため再度ブドウスカシクロバを接写で撮影しました。写真で拡大された姿を見て無防備で駆除作業をしていた自分自身にあきれてしまいました、これほど沢山の毒針を盛った虫をよくぞ指で平気で潰していたものです。見えないということは本当に怖いものです

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 体全体から毒針が飛び出ています、指先で潰しても指先が被害を受けないということは、人間の指先はかなりの強度があるということですね。


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 完全装備での駆除作業の様子を撮影するのを忘れていましたので、取り敢えず室内で完全装備の様子を撮影しました



10年ぶりのゲストを迎え

 今日は昔、一緒にボランティア活動したAさん夫妻をログに迎えます。Aさん夫妻は約10年前にログを訪ねて下さいましたが、その頃はログ暮らしが始まったばかりで、生活の匂いはほとんどしていませんでした。そこで、今回お迎えするにあたって、10年かかって作り上げてきた現在のログ暮らしを存分に味わっていただけるようなおもてなしをしたいと思いました。と言っても、モグジー夫婦がこの10年で築きあげてきたものは、殆どが食に関するもので、文化的な要素は殆ど有りません。手作りの品々で満たされたログの朝食をサンルームで食べて戴くことが今できる最高のもてなしかなと思いました。
 Aさん夫妻は渋滞が有ったとのことで1時間遅れの午前11時にログに到着されました。早速、サンルームにご案内し朝食を始めました。石窯パンを中心に、ログで育てた野菜や、ログ産の果樹で作ったジャム類、そして燻製の鶏ハム等をテーブルに並べ、ゆっくり時間を掛けて食事をしていただきながら、会話を楽しみました。私たちの年代になると先ずは身体の話から始まります、Aさんは昔は90`近く有った体重を血糖値を下げるため70`台に落としたとのことで外見のイメージが全く変わっていたことに驚きました。大学生の頃に比べ、お互いに体型は変わりましたが、考え、夢見ていたことは変わることなく続いているようで、話をしていると、50年も昔に帰ったような気がしました。ただ、あの頃はもう少し純粋だったかなーと思いました。
 一通り話をした後、今回のAさん夫妻のログ訪問の目的であった話し合いに入りました。丁度1年前に大阪でハンセン病に関するフォーラムが開かれましたが、Aさん夫妻はフォーラム開催の主要メンバーとして準備は勿論のこと、フォーラムの運営等に全力投入され、その後フォーラムの記録集作りに奔走されています。ただ、フォーラムの運営等で色々と難しい問題が起き、記録集作りも難航しているとのことで、モグジーの意見も聞きたいとのことでした。モグジーにとっても昨年のフォーラムは自分自身の中に禍根を残し不全感が残ってしまいました。それだけに、フォーラムを総括するのは非常に難しいと思います。
 我々が属していたボランティアサークルのモットーは「来るもの拒まず、去る者追わず」でした。全てが自由であり、それだけに集団としての在り方は非常に複雑で一つに括れないものが有りました。今回のフォーラムも基本的には我々のサークルが本来持っている姿がそのまま出たのではないかと思います。4人で話し合った結果、当日フォーラムで語られた色々な思いを総括すること自体が無理なことであり、フォーラムに寄せられた入所者の思いが書かれた葉書や、フォーラムの中で語られた色々な思いや、フォーラム後に寄せられた思いをそのまま記録することで良いのではないかと言うことになりました。フォーラムに参加した一人一人が、フォーラムの中で、どんな宿題を貰ったのか、貰わなかったのか、考えていくしかないと思います。
 それでなくても多忙な日々を送っておられるAさんご夫妻をログにお迎えでき、楽しい一時をもたせて戴き心から感謝です。



「お隣さんでは無いですか」

 サンルームで話し合いをしていると、「宅急便ですよ」との声が聞こえました。玄関に出ると大きな紙袋が置かれています。モグジーがパン焼き用に取り寄せている25`入りの小麦粉の袋のような大きさですが、最近注文した記憶はありません。お隣のIさんは通販で良く肥料を買われていますので、お隣さんの間違いではないかと思い、「お隣さんではないですか」と言いながら紙袋の貼りつけられた伝票を見ました。確かに、宛先欄にモグジーの名前が書かれています。次に目に入ったのは紙袋に書かれたグラニュー糖と言う文字でした。ハッと思いました、誰かがブログを読んでグラニュー糖をプレゼントしてくれたのだなと思い、伝票を開けると送り主欄に子供の名前が書かれていました。間違いなく子供からのプレゼントです、父の日の贈り物の様です。でも、30`入りのグラニュー糖には驚かされました、ジャムを大量に作っているモグジーと言えどもこの30`のグラニュー糖を使い切るには2年はかかります。来年はプレゼントをストップして貰わないと大変です。
 先日、ジューンベリージャムを作ったことをブログで書きましたが、その時、今回は頑張ってグラニュー糖を使いましたと書いたのですが、それを読んだ子供が、ジャム作りにどうぞと送ってくれたようです。勿体ないやら申し訳ないやら…でも有難う、しっかりジャム作りに使わせて貰います

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 30`のグラニュー糖、ただただ、驚くばかりです
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posted by モグじー at 23:48| 徳島 | Comment(6) | ログ暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月20日

文字化作業終了

雨の1日で助かりました

 先日のハンセン病家族訴訟の公判記録を文字化する作業に取り組んでいますが、作業量が膨大なため、なかなか終わりが見えてきません。少しでも早く作業を終えてしまいたいと思っていたら、幸いにも今日は朝から1日雨の予報で外作業は全く出来ません。そこで、今日は1日全部を文字化作業に充てることにし、朝食を終えるとすぐに作業を始めました。走り書きの汚い字のメモを何度も眺め前後の文章から読めない字を判読してパソコンに入力していきます。きれいな字で流れるように書けるのでしたらもっと楽でしょうが、いまだに小学生の様な字しか書けないモグジーにとっては文字化作業は大変な難事業ですが、愚痴をこぼしてもどうにもなりません。作業に疲れたらデッキに出て雨に濡れて緑がきれいな果樹を眺めて元気を取り戻しました。

 話は変わりますが、今日雨の降る果樹園を眺めていてビックリしました、何と、桃子の下にモモが3個も転がっていました。昨夜の強い風で落果したのかもしれません。すぐに拾ってチェックしたところモモシンクイムシにやられて落果したようです。いつの間にか、実は緑から桃特有のの色に変わっていてちょっぴりモモの匂いもします。早速、妻に皮を剥いて貰いました。妻が、ジー食べれるよと言うので口に入れた所、甘さは足りませんが十分にモモの味がしていました。慌てて、ブログで昨年の収穫日を調べた所6月26日でした、と言うことは後1週間で収穫期に入るのです。今年は梅雨入りから結構雨が降っていますので、雨の中を収穫することになるかも知れません。晴れた日に収穫する方が美味しいと言われていますので、梅雨を中断して欲しいモグジーです。

 文字化作業の方は昨晩で3人目の陳述者の記録が終わり、今日は最後の4人目の陳述者の記録を、文字化していきましたが、先ほど午後10時に4人目の記録の文字化も何とか終えることができました。傍聴していると、その時は証言が頭に入った気がするのですが、この年ですのでいつの間にか詳細を忘れてしまいます。文字化作業をしながら改めて証言された内容を思いだし、かみしめています。この裁判の記録は、100%裁判を再現できていませんが、モグジー自身にとっても貴重な財産になってくれると思います。明日、この文字化された記録を簡単にまとめて文章化しブログに書けば6月15日のブログも完成します。
 7月の公判は沖縄愛楽園で出張審理が行われ非公開の審理となりますので、誰も傍聴は出来ません、従って公判記録は作成不可能ですが、8月と9月はこれまで通りに熊本地裁で行われますので、後2回分の文字化作業をすれば原告陳述の公判記録を完成させることができます。後ひと踏ん張りですので、老骨鞭打って頑張ろうと思います。
posted by モグじー at 23:31| 徳島 ☔| Comment(0) | ハンセン病家族裁判 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月19日

ロザリオ・ビアンコにジベレリン処理を

今年こそは収穫を

 モグジーは果物の中でブドウが一番の好物です。ログを建てたときに色々な果実の苗を植えましたが、育てるのに最も力を注いだのがブドウです。当初はデラウエアと甲斐路とネオマスカットを植えました。ところが、甲斐路とネオマスカットは2.3年後にはひどい病気になって止む終えず樹を切りました。樹勢の強いデラウエアだけは消毒をしなくても何とか育ち今年で12年目になります。毎年200房程度の実がなって夏の食卓を楽しませてくれています。無農薬栽培ではデラウエア以外は無理と諦めていたのですが、どうしても、他のブドウも育てたくて最終的にはロザリオ・ビアンコを2本とシャインマスカットを1本を植えました。シャインマスカットは今年で2年目ですが、枝は綺麗に広がっているのに、実が殆ど付かず、辛うじて3房ほど棚にぶら下がっていますが、粒が一房に20粒程度しか付いておらず、とても貧弱です。それでも、何とか一粒ずつでも口に入れようとがんばっています。
 植えて4年目になる2本のロザリオ・ビアンコは昨年は初めて大きな房が付き、収穫をとても楽しみにしていましたが、病害虫予防の為に掛けていた袋を開けた所、うどん粉病にやられて一粒も口に入れることが出来ませんでした。今年は昨年以上に房が付いていますので、何とかうどん粉病から守りたいと必死で見守って来ましたが、残念ながら昨日、ブドウ棚の方の房の軸と粒にうどん粉病が出ているのを見つけました。農薬を使えませんので万事休すです。ただ、水路沿いに植えているロザリオ・ビアンコの方はうどん粉病の発症がまだ見られませんので、こちらの方は収穫まで進められる可能性は残っています。また、うどん粉病に対する対処の仕方がネットに載っていますので、出来る限りのことは試してみようと思います。
 今年は、ロザリオ・ビアンコの方も房作りをしましたので、結構粒が大きくなってきました。粒が小豆大になったときにジベレリン処理をすると更に粒が大きくなるとのことですので、今日はジベレリン処理をしました。デラウエアの場合、今年は容器を使ってジベレリン処理をしましたが、ロザリオ・ビアンコの方は房が大きすぎて容器に入りませんので、ジベレリン液を噴霧器で噴霧する方法を取りました。これから1ヶ月、ロザリオ・ビアンコの世話に頑張らねばと思っています。

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 ブドウ棚の方のロザリオ・ビアンコの房はこんなに大きくなりました、うどん粉病は毎日水で洗えば勢力も弱くなると聞いています。ジベレリン処理が安定してから試してみようと思います。



ブルーベリーも順調です

 昨年の3月に植えた6本のブルーベリーは順調に生育し、今年は少しずつ実を付けて貰いました。先日から完熟した実を収穫していますが、想像していた以上に実が大きくて味も良い感じです。サザンハイブッシュ系のブルーベリーは初めてでしたので、どの様に育つのか不安な面もありましたが、このまま順調に生育してくれれば、ブルーベリーもログの果樹仲間となってくれそうです。

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 ミニ果樹園に植えたサザンハイブッシュ系のブルーベリーで左から、ジョージアジュム、ガルフコースト、サミットの3品種です。


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 果樹園の桃の樹の南側に植えているサザンハイブッシュ系のブルーベリーで品種は左からサンシャインブルー、シャープブルー、ブルーリッジの3品種です。



やっと半分が終了

 今回のハンセン病家族裁判の原告陳述では4名の原告が意見陳述をしました。熊本からログに帰って来た日から意見陳述の文字化作業に取り組んでいますが、畑の作業等も忙しいので、昼間は外で作業をし、文字化作業はブログを書き終えた夜にやっています。今日でやっと二人の原告の文字化作業を終えることができました。2日間かかって一人分の文字化作業を終えていますのでまだ数日は文字化作業に時間が必要と思います。その後で15日のブログをまとめますので、もう少しお待ちください。
posted by モグじー at 19:46| 徳島 ☔| Comment(0) | ブドウ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月18日

阪神大震災を思い出しました

朝食中にグラッ!

 昨晩はワールドカップのドイツ対メキシコの試合を少しだけ見ようと思ってテレビを点けました。すると、とても面白い試合でしたので、目が離せなくなり、とうとう最後まで見てしまいました。そのため布団に入るのが遅くなり午前2時過ぎでした。今朝は7時半過ぎに目が醒めました。7時45分頃からサンルームで朝食をとっていると、突然激しい横揺れを感じました。すぐにラジオのスイッチを入れると大阪北部で震度6弱の地震が有ったとのことでした。ログに住みはじめて何度か地震がありましたが、これほど強い揺れは初めてです。阪神大震災の時は高松に住んでいましたが、その時の揺れは震度4でしたが家が壊れるのではないかと言う恐怖感に襲われるほどの激しい揺れを感じました。この時に経験した揺れが人生で最も激しい揺れでしたが、今回の揺れはそれに次ぐものでした。引き続き余震が無いかとしばらくは緊張しましたが、幸いにも身体に感じる余震は無く、取り敢えずホッとしました。津波の場合は最悪でも数分間の余裕があると思いますが、地震は全く前触れが有りませんので、本当に怖いと思います。震源地である高槻市に住んでいるAさんに連絡を取りましたが無事とのことで先ずはホッとしました。



残りの房に袋掛け

 昨日、風が余り入らないブドウ棚の奥の方に出来ているデラウエア100房に袋を掛けました。今年もデラウエアの収穫目標は200房にしていますので、後、100枚の袋を掛ける予定です。ただ、デッキの通路にぶら下がっているデラウエアは殆ど目の高さに房が有りますので、病気になったり、虫が発生すると目につきますので、できれば袋を掛けない方が良いかなと思います、通路を歩きながら頭の上からぶら下がっているブドウの房を眺めるのはとても感じが良いと思いますので。そこで、ブドウ棚の中央部に出来ているデラウエアにだけ袋を掛けることにしました。ブドウ棚の中央に出来ているデラウエアには殆どアオバハゴロモの姿は見当たりませんでしたので、袋掛け作業はハイペースで進みました。袋掛け作業を終えて残っている袋の枚数を数えた所40枚残っていましたので、この2日間で160枚程度の袋を掛けたことになります。
 袋掛けが終わった後は、ブドウ棚の下の整理をしました。ブドウ棚の下は雨が当りませんので色々な道具を置いたり、剪定した枝や抜いた草などを乾燥させるスペースとして使っています。それらの葉や草が乾燥してきましたので、堆肥作りの囲いに移すことにしました。最近はブドウ棚の下の掃除をしていませんでしたので、かなり見苦しい状態になっていましたが、掃除を終えるとスッキリしました

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 ブドウ棚の中央部にあるデラウエアに袋を掛けました


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 通路の上にあるデラウエアは全部で40房あまりです。通路の上ですので房の状態が常に分かりますので、袋を掛けないでデラウエアが熟れて行く様子を目で楽しむことにしました。


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 ブドウ棚の下がきれいになりました。こうして綺麗にしても1ヶ月も経つと、また、乱れた状態となってしまいます
posted by モグじー at 21:07| 徳島 ☔| Comment(0) | ブドウ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月17日

デラウエアの袋掛け

アオバハゴロモが発生している

 どうしてか、このところ色々な作業に追いかけられる日々が続いています、なかなか、お休みを貰えません。昨日、気になっていたトマトの支えをやっと済ませたら、今度はデラウエアの房にアオバハゴロモの幼虫が沢山ついているのが目に入りました。実は2週間前ぐらいから毎日空き時間があるとブドウスカシバを取っています。最初は1日で1000匹近くのブドウスカシバの幼虫を取っていましたが、少し効果が有ったのか1日に取れる量は200匹あまりまで減りましたが、それ以上は少なくなりません。そして今度はアオバハゴロモの幼虫の出現です。ブドウスカシバを取る時に葉や枝にアオバハゴロモの幼虫が居るのが目に入っていました。目に入るたびにアオバハゴロモの幼虫も殺していたのですが、ついにデラウエアの房にアオバハゴロモの幼虫がついているのが見つかりましたので、慌てて今朝から袋掛けを始めました。2回目のジベレリン処理をした後、急にデラウエアの粒が大きくなってきましたので、袋を掛けなければいけないなと思いながら他の作業が急いでいましたので、袋掛けが出来ていなかったのです。
 アオバハゴロモはブドウ棚の奥の葉が繁ったところで主に発生しますので、今日は先ず最初に繁り過ぎた枝をカットして風通しを良くしました。枝の間引き作業が終わると、ブドウ棚の北側の隅の方にぶら下がっている房から袋掛けを始めました。すでに、かなりの房にアオバハゴロモの幼虫が入っていますので、このまま袋を掛けると、袋の中でアオバハゴロモが大発生し、収穫も出来なくなります。袋を掛ける前に房にアオバハゴロモの幼虫が入っていないかをチェックします。もし、幼虫が入っていたら先ず幼虫を見つけて駆除しなければなりません。デラウエアの房は粒が大きくなって真ん中の茎が見えない位、粒が付いています。小さめの粒をカットして何とか房の中の茎が見えるようにし、アオバハゴロモの幼虫をチェックしました。今日1日でブドウ棚の隅の方をチェックして袋を掛けて行きましたが、1日かけてやっと100袋を掛け終りました。通路やデッキの方はいつも見ていますので、殆どアオバハゴロモの姿が有りません。従って残りの100袋は殆ど房のチェックをしなくても袋掛けが出来ますので、明日には袋掛けが終わるのではないかと思います。

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 先ずはブドウ棚の上に伸びて日を遮っている枝をカットしました


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 先ずはブドウ棚の北側沿いにぶら下がっている房に袋を掛けました。三分の一位の房にアオバハゴロモの幼虫が入っていました。


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 北側の房に袋を掛け終ると、今度はブドウ棚の西側の方にぶら下がっている房に袋を掛けました、これで100袋程掛けました
posted by モグじー at 21:20| 徳島 ☁| Comment(0) | ブドウ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月16日

トマト温室のトマトに支持ネットを

帰りも寒かった!

 昨日、熊本地裁でハンセン病家族訴訟の第4回目の原告陳述が有りましたので、いつもの様に、木曜日の夜行バスで博多まで行き、博多から新幹線で熊本に行き、何とか傍聴券の抽選に間に合いました。今回は珍しく抽選に当たり午前午後の陳述を聞いて、夜行バスで今朝ログに帰ってきました。夜行バスもすっかり慣れて睡眠がとれるようになったのですが、心配していたクーラーの効き過ぎで寒くて何度も目が醒めてしまいました。モグジー夫婦は昔人間ですので、ログでクーラーを掛けることは殆ど有りません。車に乗っても殆どクーラーは使いません。夏は暑いものと思っていますので。従って、クーラーが効き過ぎると寒くて堪りません。夜行バスは若い人が殆どなので、若い人にはちょうど良いのかもしれませんが、モグジーの様なものにとっては残酷です。かといって厚着で行くと熊本で暑いし、次回までに良い方法を考えなければなりません。
 裁判の報告は又時間がかかりますので、昨日のブログが載るのはかなり先になりそうです。



トマト温室にも支持ネットを!

 木曜日の熊本に向けて夜行便で出発する日は、畝に植えたトマトの枝を支えるために支持ネットを張りましたが、今日帰ってみるとトマト温室のトマトも枝が垂れ下がって地面についていました。そこで、トマト温室にも支持ネットを張ってやることにしました。ほかの方法も考えてみたのですが、他に良い方法は思い浮かびませんでしたので、今年は取り敢えず支持ネットを張って、芽かきをせず出来るだけ芽を伸ばしてやろうと思っています。

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 ネットを張る前のトマト温室のトマトの苗です、結構大きく伸びています


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 入口の方から見た支持ネットです、南面は支持ネットを少しだけ傾斜を付けることができました


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 こんな感じで枝が伸びてくると枝を支持ネットに引っ掛けてやります


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 写真の右側が南で左側が北です。南側は前に空間が有りますので少し斜めに支持ネットを張ることができあmすが、北側は殆ど垂直にし支持ネットを張ることが出来ませんでした



商品説明通り大粒でした

 昨年、思い切ってブルーベリーを6本植えました。3本はミニ果樹園の通路沿いに、残る3本は果樹園の方に。今回はきちんとピートモスを入れましたので、順調に育ち、春にはきれいな花を咲かせ、実も成っています。昔はラビットアイ系を植えましたが今回は6本ともサザンハイブッシュ系で大粒と書かれているものを中心に植えました。品種によって完熟の時期が異なっていますが、大体6月中旬から7月上旬に掛けて収穫できる様です。今日見たら、思ったより大粒の実が出来ていましたので写真に撮りました。このブルーベリーはサザンハイブッシュ系のサミットと言う品種です

   s-IMG_3392.JPG
 画像の下の方にモグジーの親指が写っていますが親指と同じぐらいの大きさが有ります。他の樹も結構大粒の実がなっています、
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posted by モグじー at 19:17| 徳島 ☀| Comment(0) | 野菜作り日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月15日

あそこへ行って話します

無欲が良かったのか

 モグジーがハンセン病家族訴訟を傍聴するために熊本地裁に通うようになって今回が6回目です。裁判は傍聴希望者が多いため、毎回抽選が行われていますが、これまで5回抽選して当ったのは1回だけです。ただ、色々な方々のご好意で外れた4回の内3回は傍聴券を譲って戴いて傍聴席に座ることが出来ました。でも、今回はどうなるのか全く先が読めませんので、傍聴できなかった場合のことを考えて有る計画を立てました
 熊本に通うようになってKさんと知り合いとなり、後日Kさんが出版されたKさんのお母さんの句集を送って下さいました、Kさんのお母さんは93歳になられた現在もお元気で恵楓園で生活されているそうです。句集を読ませて戴き、是非お母さんにお会いしたいと思うようになったモグジーは、今回、抽選に外れたら恵楓園に行ってお母さんにお会いする計画を立てたのです
 抽選に、これまでは何とか当って欲しいと祈るような気持ちで臨んでいましたが、今回は、抽選に外れたらKさんのお母さんにお会いできるということが有りましたので、無欲な状態で臨むことができました。その無欲が良かったのでしょうか、驚いたことに抽選に当たってしまったのです。出来るだけ原告陳述を記録として残しておきたいという気持ちが有りますので、傍聴が出来るようになりとても嬉しかったのですが、これまでの様にドキドキしないで抽選に臨むことが出来良かったと思います。まだまだ熊本に通い続けますので、恵楓園訪問は必ず実現できると思います。
 今日の原告陳述では4名の原告が陳述されるとのことで、忙しい1日となりそうです


※お詫び

 これまでは、原告の発言を簡単にまとめたものと、国側弁護士と裁判官からの質問だけを合せて記載していました。記載の理由はどのような質問が出るのかを知っていただきたいと思って記録していたのですが、これまでで質問の程度は分かって貰えたと思いますし、記載の意味もあまりないと思いますので今回から質問の項目を記載するのは中止しましたのでご了承ください



午前中、最初に証言台に立たれたのは原告番号5番のIさんでした

「生れてはならない子」

 療養所で結婚した両親はIさんを妊娠したが、療養所内では産むことが許されない為、妊娠7ヶ月の時、両親は療養所を脱走し、外でIさんを出産した。当時は無らい県運動が激しくIさんが4歳になった時、両親は再収容となった。幼いIさんは伯父さんの手で育てられたが、小学校に行く道では石が飛んできた、その後伯父さんが結婚し子供が出来ると居づらくなって13歳の時、療養所内の保育所に移った。その後Iさんは、長島愛生園に設置された准看護学校に入学したが患者の子であることが広まり先輩からいじめられた、准看護学校を卒業後は、結婚し准看護師として働きながら夜間の高看を卒業して看護師となった。結婚後、夜間の高看に通っている時必死で支えてくれた姑から、療養所から来た1枚の葉書でハンセン病に関係していることを疑われ、離婚せざるを得なくなった。
 療養所入所中の父親が危篤状態となり、Iさんは父親の枕元に駆けつけた。少し持ち直した父親がIさんの姿を見て「帰れ、帰れ」と言った。危篤状態の中でも父親は娘のことを心配した。延命治療を医師から問われ、長期の休みが取れないIさんは「父を私の前で死なせてください」と言い延命治療を断った。父親を見送ったIさんの心の中に今でも「私が父親を殺したのも同然だ」と言う思いが残っている。国賠訴訟の中で、家族の会「れんげ草の会」を立ち上げたIさんは、裁判の時、療養所で棚に置かれた胎児が入れられた大量のガラス瓶を見て、国にとっては「私は生まれてはならない子」であったことを知った。そしてIさんは自らの生い立ちを書いた著書「生れてはならない子」を出版し、家族訴訟の原告となった。



二番目に証言台に立たれたのは原告番号145番のJさんでした

母は謎の多い人でした

 8人兄弟の末っ子として生まれたJさんの母は17歳でハンセン病の為療養所に収容された。若かったので結婚の話もあったが、姉たちに絶対に結婚しない様に言われ単身で療養し、病気が治って退所した。母は40歳を過ぎて結婚し、3才上のJさんの兄とJさんを生んだ。Jさんは自分の母は謎が多くて近所の人達の目を非常に気にしていたと語り、昔話を聞いても分からないことが多かったと。母は国賠訴訟の原告となり賠償金を貰ったが、従兄弟たちから「お前の母さん国からお金貰うたろう」と見下ろすように何度も言われたが、何も分からないので、言い返すことも出来ず、従兄弟たちの上からの目線の言葉に耐えることしかできなかった。家族訴訟が始まった頃、突然Jさんは母に呼ばれ、弁護士を交えて、母からハンセン病のことなど、母の生い立ちを聞かされた。この時初めて、小さい頃から、従兄弟たちに、見下げられてきた理由が分かった。それからは必死でインターネットでハンセン病のこと、ハンセン病の歴史を調べたが、強制隔離や差別、偏見のことを知り、あまりの重ぐるしさにネットを閉じることも何度も有った。母から病気であったことを聞き、やっと、これまで謎の多かった母の姿が少しずつ見えるようになり母との距離が近くなっていくのを感じた



午後、最初に証言台に立ったのは原告番号135番のKさんでした

「優しかった父が」

 Kさんは昭和17年に8人兄弟の3番目で長女として久米島で生まれた。中卒後、住み込みの女中として那覇で働き始めた。船員の父親は仕事で那覇に来たときはKさんを映画に連れていくなどとても優しかった。昭和34年、Kさんのすぐ下の妹がハンセン病で療養所に収容されたとの知らせが届いた。兄弟思いのKさんは仕事の休みには必ず妹の面会に行った。昭和36年に妹が退所した時は、Kさんは仕事を変わって一緒に暮らした。昭和38年二人の弟がハンセン病で療養所に収容され、昭和43には次男が療養所に収容された。兄弟8人の内4人がハンセン病になり、父は余りの辛さに酒を飲んで暴れるようになった。父親は遺伝と思い自分の家系には病気の者はいない、お前が悪いと言って母親を責め暴力をふるった。父の暴力は次第に激しさを増し、耐えきれなくなった母親と兄弟は全員Kさんの狭いアパートに転がりこんだ。家族が崩壊する中でKさんは結婚を諦め昼も晩も働いて家族を支えた。しかし、どうしてもKさんと結婚したいという男性が現われ、兄弟から「ねえねだけは結婚して幸せになって」と励まされ結婚し4人の子供を育てた。8人の子供に恵まれ幸せだった家族は国の強制隔離政策により、修羅場と化した。それでも母は必死に子供を守った。余りの厳しさで身体が半分になってしまった母のことを考えると胸が張り裂けそうになると語るKさんは、自分自身が必死で耐えてきたこの苦しみを夫や子供たちに味あわせたくないと思って兄弟の話をしていない。原告側弁護士に「50年連れ添ってくれた夫にも話さないのですかと聞かれたKさんは「あそこに行って夫に話します」と答えた。最後にKさんは「優しかった父の人格が崩れ家族が壊され家族を失ってしまった隔離政策が憎い」と語って陳述を終えた。



最後の4人目に原告番号234番のLさんが証言台に立たれました

国に対しバカにするなと言いたい!

 Lさんの生後95日目に母は療養所に収容され、住んでいた家は病気の菌があるということで焼かれた。Lさんが9歳の時、父は再婚したが義母はLさんに2`離れた川まで水汲みに行かせたり、ご飯を焚かせたり、くんちゃ(沖縄ではハンセン病のことをくんちゃと言っていた)の子はくんちゃと言って奴隷のように扱った。小学校に通う途中石を投げられたり、学校内でクラスの子供や先生からいじめを受けた。床屋に行っても病気がうつると言って錆びたハサミで髪を切られるなど地域でも厳しい偏見と差別がLさんを追い詰めた。Lさんは故郷を捨て15歳の時島を出て遠洋漁船の船員となった。しかし、母への思いは捨てきれず、昭和39年島に帰って鮮魚商を始めた。しかし、同業者がLさんの母親がハンセン病であることを言いふらし魚の仕入れが出来なくなった。遠洋漁業で蓄えた資金で何とかその危機を乗り越えたが、長く続いた差別と偏見は未だに残り、娘も離婚となった。
 Lさんは陳述の最後に、「2001年の裁判に勝って良かったと思った、残された家族は差別ばかり受けて自分たちはまともな生活が出来ない。辛かった。ハンセン病の重荷は絶対に降りない。訴訟を争う姿勢の国に対してバカにするなと言いたい」と声を荒げた



今日の陳述を聞いて

 今日は1日かけて4名の方の陳述を聞かせて貰いましたが、中身は勿論ですが、短時間で多くのことを陳述したいとの思いが強いのか、ついつい語られるスピードが速くなり、筆記するのが大変でした。筆記しながらも原告の言葉が心に響いてきます。特に3番目で陳述された原告番号135番のKさんが語られた言葉は心に残りました。原告側弁護人から「50年連れ添って貰った夫にどうして話されなかったのですか」と問われたKさんは「あそこへ行って話します」と静かに言われました。ハンセン病は発病した本人は勿論のこと血のつながった家族も余りに厳しい偏見と差別を前にして、他人は勿論のこと、同じ屋根の下に住む家族にさえ語れない重い秘密を担わされました。重い秘密を担わされながら、死者となり、又死者を送る身となった家族にとってやっと秘密を明かせる時が来るのはいつなのでしょうか。あの世に行ってやっと話せる秘密。ハンセン病が抱えた余りに過酷な秘密は、厳しい差別・偏見により殻を厚くされ、厳しい差別・偏見は国の強制隔離政策と無らい県運動によって強化されました。秘密の殻を破るにはたとえようもない勇気が必要でした、その勇気は同じ秘密を持つ仲間に勇気を与え、今回の家族訴訟となりました。家族訴訟を通じて一人でも多くの方が秘密の殻を破る歩みを始めることが出来たら、これ以上の勝利は無いのではないかと思うモグジーです。
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posted by モグじー at 23:20| 徳島 | Comment(0) | ハンセン病家族裁判 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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