2017年06月25日

いつものモグジーに

興奮して眠れず

 昨晩は8時半過ぎに打ち上げが終わり、妻と懐かしい大阪の街を歩いて梅田まで戻りました、徳島行きバスが出る9時半まで、まだ時間が有りますので、地下街に入ってみました。夜の9時と言うのに地下街は大勢の人で混雑していて、田舎暮らしが続くモグジーにとっては信じられない光景でした。バスに乗るとすぐに寝てしまうだろうと思っていましたが、興奮しているのか殆ど眠れず、フォーラムのことに付いて色々と考えていました。2時間余りで徳島に着きログに帰り着いたのは12時前でした。すぐに布団に入り寝ようとしましたが興奮が続いているのかなかなか寝ることができませんでした。フォーラムでの療養所で淋しく最期を迎える寂しさと一般社会で孤独な状態で最期を迎える寂しさとが同一視されたことが納得できなかったのですね。どこが違うのか具体的な言葉が見つかりません。そのうちに少しその違いが見えてきました。すると興奮も少し和らいだのでしょうか、いつの間にか寝てしまいました。



土に触れてやっと落ち着きました

 疲れと寝不足が堪えたのか今朝目が覚めたのは10時でした。これほど遅く起きたのは久し振りです。朝食を終えた後、畑に出て野菜の世話を始めました。この1ヵ月間、フォーラムの話が伝わって以降は、私自身も「ハンセン病療養所が終焉を迎えようとしているのに、当事者としてどう考えるのか」について考えてきました
 もの作りが大好きだった私は大学の時ハンセン病に出会いショックを受け、自分が進むべき道を教育と福祉に定め60才まで働いてきました。多くの人々に出会い充実した日々でした。そして定年を迎えた時、これからは自分自身が最もしたいことをしようと思って、もの作りの人生を歩み12年が経ちました。この12年は本当に楽しい日々でした。ただ、楽しい日々を送りながら60才まで歩んできた道をそのまま続けなかった自分自身にどっかひっかかっていました。それゆえ、フォーラムの問いは私自身に色々と問いかけてきました、「このままでいいのか」と。そういう意味では今回のフォーラムは私自身にとっても大きな意味を持っていました。そして悩みました。フォーラムが終わってもまだ吹っ切れていません。
 しかし、ログに帰り、緑の植物に触れ、土に触れていると少しずつ気持ちが落ち着いてきました。そして今まで通りに生きていてよいのだと思うようになりました。フォーラムの様に人前に出て話をすることで少しでも入所者の方々のどうしようもない寂しさを少しでも薄めるようなことは私には矢張り無理です。ただ、もの作りは大好きですので、これまで通り、果物や、パンや、色々な物を作って、入所者の方に食べて貰い、一瞬で良いから美味しいと思って貰えたらそれで良いのではないかと。この事だったら、私の素直な気持ちを込めてこれからもやっていけると思います。そう考えると随分気持ちが楽になってきました。出来るだけ自分に素直に生きて行こうと。

posted by モグじー at 23:15| 徳島 ☁| Comment(8) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
感動です。思いが素晴らしい。やはり現場を見、その人たちと同じ時間を過ごした方ならではの現実感と優しさ。私にはとても考えることすらできない世界です。本当にお疲れ様でした土に癒され奥様に癒され孫さんに癒され、モグ菜園の植物たちに癒されてください。みんなもぐじーさんの事を尊敬し愛されていると思います。下世話な私たちですがこれからもよろしくお願いします
Posted by LB at 2017年06月25日 22:56
 心のこもったコメントありがとうございます
モグジーが大島青松園での18年間で心に刻み込まれた200名余りの
亡くなられた方々の思いを少しでも伝えたいと思って、フォーラムに
参加しましたが、力不足で伝えることができず、申し訳ない気持ち
ですが、雲の上から「頑張ったのだから、もう、良いよ」と言って
下さっているような気がします。
 でも、終わった後に飲んだグラス1杯のビールとても美味しかった
です。いつかはLBさんと美味しいビールを飲みたいですね。
こちらこそ宜しくお願いします。
Posted by モグジー at 2017年06月26日 06:49
 樹木希林さんの言う「誰にでも、何処にでも、寂しさはある」との一般論ではないと私も思いました。決定的なのは、国家に強制された結果としてです。人生なんて基本的は、こんな言葉は嫌いですが「自己責任」です。しかし、理不尽にも不条理にも、自分で人生の進路を、生きて行く場を決定できなかった、させてもらえなかった結果としての「今」があるのだと思います。また、国の施策として、当事者を取り巻く人々の意識が変節させられた結果としての「今」があると思います。
 「基本的人権」が奪われた結果としての「寂しさ」は、誰にでも、何処にでも、そうは無いと思います。
 
Posted by akagane norio at 2017年06月26日 21:41
 はっきり言って、一般の方の寂しさは、私に直接の責任は感じませんが、
ハンセンの場合は、私は当事者としての責任を感じます。勿論国の責任も
大きいのですが、療養所で働いていた私自身は、とても一般の人が最期に
感じる寂しさと同一に見ることはできません。そこを反論できなかった
ストレスで後々悩みましたが、もう、悩まないことにしました。
 雨漏りやモモの病気や畑の野菜のことで考えることが沢山有りますので
norioさんのコメントを読ましてもらって、少し楽になりました
ありがとう
Posted by モグジー at 2017年06月26日 23:32
私も同じ思いで鬱々としておりました。「家族」「子供」なのではないでしょうか。私の父は17年前に亡くなりましたが今でもいろいろなことが思い出されます。そして療養所のKさん達にはそんな風にいいことも悪いことも含めて思い出してくれる子供がいないのだ。という思いを強くするのです。そのことをフォーラムの前夜に話すと「子供のいない人は世間にもいっぱいいるが、自分たちはそれを強いられたのだから」と言っておられました。親、兄弟とのつながり。長い間のお付き合いで できることがあるとしたら思いでの共有なのではないかなと思っています。モグジーさんがお子様お孫さんも含めて家族のように付き合っておられるように。モグジーさんのこの記事。次回のむすび便りにいただけないでしょうか。
Posted by aotani at 2017年06月27日 00:11
 コメントありがとうございます。
最初から最後まで裏方さん本当にご苦労様でした、頭が下がります。
ワークキャンプの仲間が今回のフォーラムをどう感じていたのか少し
気になっていました。私一人相変わらず青臭いことを言っているのかなと
思っていましたので、aotaniさんのコメントを読んでホッとしました。
確かに「家族」「子供」の存在はとても大きいと思います。子供が無い
淋しさもですが、生き別れの子供に会えない寂しさも仕事の中で見て
来ました。美恵子さんも口には出されなかったけど、子供を作れなかった
口惜しさは大変なものが有ると思います。
 むすび便り、どうぞお使い下さい。もしよかったら、今回書いた2本の
原稿、「ヨウザブロウさん夫婦のこと」「トミ子さんのこと」を読んで
戴いてむすび便りに載せても構わないのでしたらお使い下さい、
ヨウザブロウさん夫婦もトミ子さんもきっと喜んで下さると思います。
Posted by モグジー at 2017年06月27日 19:48
ありがとうございます。原稿も読ませていただきたいです。明日にでも電話させていただきます。
Posted by aotani at 2017年06月27日 22:21
 宜しくお願いします。
Posted by モグジー at 2017年06月28日 08:44
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60才からの挑戦

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