2017年10月01日

忙しい1日

ギリギリまで収録を

 実は10月1日はログで2回目の担任をした卒業生たちのミニ同窓会を午前11時からすることになっていました。そこに、テレビの収録を9月30日と10月1日にしたいとの連絡が入り、ミニ同窓会を午前11時半からに設定し直しました。従って今日も忙しい1日となりそうです。
 今朝は8時からデッキで朝食をとり、引き続きデッキで収録をすることになっています。8時前に全員が集合し早速デッキで朝食を始めました。テーブルに並んでいるのはいつもの様に石窯パンと色々なジャムです。更に今朝はSさんから戴いた太刀魚のフライや骨煎餅、更に水路で捕ったカニのむき身も並んでとても豪華なサンドイッチを楽しんで戴くことができました。
 デッキでの朝食を楽しんで戴いた後、早速、収録が始まりました。今日は裁判を闘っているF君に是非聞いて欲しい家族の話を思う存分させてもらいました。モグジーの中には伝えたい話がたくさんありますので、次々と話しているうちにあっというまに11時がやってきました。モグジー達との別れの場面を収録した後、御一行さんは帰って行かれました。今回、二人に久しぶりに再会し、じっくりと話し合うことができたことで、長い間心に引っ掛かっていたF君のことが少し整理でき、F君と二人三脚で生きてきたS君の力強い言葉を聞けて本当に良かったと思いました。昨日のバーベキューの時に、ディレクターから40分のテープをこれまでに100本あまり収録したけど、これを50分にまとめますと言われたとき、番組を作るのは大変な仕事だとつくづく思いました。続編が放映されるのが楽しみです。



入れ替わりに卒業生達が

 11時に収録が終わり、F君達が帰った後、すぐに卒業生のM君から「今、大鳴門橋まで来ているけど、行って大丈夫かな」との電話が入りました。返事をするとまもなく卒業生達がやってきました。7名と聞いていましたが、一人都合が悪くなったとのことで6名の卒業生が元気な顔を見せてくれました。今回は、四国に来たついでに是非高松で讃岐うどんを食べたいとのことで、早速、モグジーも車に乗せてもらって高松に向かいました。モグジーがゲストを迎えたときに、讃岐うどんを希望されるといつも八栗にある山田家に案内します。雰囲気も良いし美味しくて価格もそれほど高くありません、それに、店内は非常に広いのでどんなにお客さんが多くても待たされることがありません。途中車の渋滞もなく、1時前には山田家に到着しました。店に着いてびっくりです、駐車場は満杯で店先は待つ人であふれています。こんなことは初めてです、早速、用紙に名前と人数を記入しましたが、30分程度は待つことになるとの返事でした。どうするか聞いたところ、皆待ちますとのことで雑談をんしながら待ちましたが、日曜日の昼時と言うことで特にお客さんが多かったようです。しばらく待ってやっと席に案内されましたが、うどんはこれからが早く、注文するとあっという間に、注文の品が到着し、食べるのも早いので2時前には昼食を終えることができました。もちろん美味しいと喜んでもらえました。
 ログに帰ると早速全員で手分けをしてバーベキューの準備をし、モグジーはsさんから頂いたハマチの半身とアオリイカで刺身を作りました。刺身を食べているうちにコンロの上の手羽先やスペアリブなども焼け始め、ビールを片手に話が盛り上がりとても楽しいバーベキューとなりました。毎年、こうして卒業生が何人か集まってログに来てくれ元気な顔を見せてくれます。幸いにも皆元気でモグジーもうれしくなりますが、今回は、一人だけ病気で入院していてこれなくなった卒業生がいます。何とか病気を乗り越えてまたログに顔を見せて欲しいと祈らずにはおれません。
 5時半頃には、建築現場で働いている卒業生は、明日も朝早くから仕事があるということで、お別れとなりましたが、こうして毎年の様に訪ねてもらえるのは本当にうれしいことです。

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 元気な顔が並びとてもうれしいことです、今日も昨日と同様の品々がテーブルに並びましたが、いつものように美味しいと言って食べてもらえました


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 モグジーは教師時代はネクタイと背広は身に付けずジャンパーで11年間通しました、このクラスの生徒達は卒業式の時、ジャンパーに寄せ書きをしてくれました。妻が出してきてくれたジャンパーを皆、懐かしそうに読んでいました(モデルさん顔なしの写真で申し訳ありません)。
posted by モグじー at 11:40| 徳島 ☔| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月30日

長い時が必要でした

「僕の母はハンセン病でした!」

 モグジーは25歳で工業高校の教師となり在日朝鮮人生徒F君やS君の担任となりました。クラスの生徒の前で何度かハンセン病について、強制隔離について、自分が感じたことを話しました。しかし、生徒からの反応は殆どなく、生徒達には理解できない事なのかなと当時は受け止めました。卒業後は二人とも本名を名乗って地元で公務員となり、「兵庫人権協会」を設立し差別と闘ってきました。一方私は関西の地を離れ、36歳でハンセン病療養所で働き始めました。彼らから送付される「兵庫人権協会ニュース」を見て、在日朝鮮人として逞しく生きている姿に安心し、私の役目は終わったと思いました。

 彼らが卒業して40年余り経過した4年前、ニュースを通してF君の母親がハンセン病で療養所に入園していたことを知りました。そのことは私にとっては衝撃的なことでした。F君は2年生の時に生い立ちを書いていました。「僕は1歳の時、家が貧乏で岡山の乳児院に預けられました、9歳の時に再び家族と一緒に生活できるようになりましたが、何で僕だけ預けられたのかと言うわだかまりが有って、今も母と上手くいっていません…」と。その時、私はお母さんはもっと辛かったと思う、お母さんの気持ちをきちんと聞いて行こう!」と返事を書きました。実際は、F君のお母さんはF君を出産した後、ハンセン病を発病し、子を手放したくなかったお母さんは必死に入園を拒んだのですが、地域で生活できなくなり、F君を乳児院に預けて療養所に入りました。治療の結果、8年後には退園できF君を引き取って家族全員での生活が始まりましたが、全く存在を知らなかった家族との生活になかなか溶け込めなかったようです。F君は生い立ちの中で母親のハンセン病のことだけは隠していました。

 退園後も薬を飲んでる母親を見て、F君は小学生の時、母親に何の病気か尋ねたところ、声を潜めて「らい病」と言われ、母親の態度からこの事は絶対に人に言ってはいけないことと理解し、誰にも言わなかったそうです。 私は仕事を通して多くのハンセン病家族の方々とお会いしました。家族にとってはテレビから聞こえてくる「ハンセン病」と言う言葉は鋭く心に突き刺さりましたが、聞き過ごすことで何とか自らを守ってきたと聞かされました。当時、私は目の前にハンセン病の母親を抱えた生徒が座っているとは夢にも思っていませんでした。そのような認識のもとで、「ハンセン病」のことを語り掛けました。F君は私の話をどんな思いで聞いていたのでしょうか。そのことがずっと気になっていました。

 先日の熊本での裁判が終わったあとの報告会で報道陣の方が「裁判が始まったときは名前を明らかに出来る人が少数でしたが、その後、次第に名前を明らかに出来る方が増えてきた、大きな前進なのではないですか」と質問されたとき、弁護団長が「ハンセン病の家族であることを明らかに出来るかどうかは、本人側の問題ではなく、話せる状況を我々の方が作れているかと言う我々の側の問題です」と報道陣に回答されました。その言葉が重く私自身にのしかかっています。

 2001年に熊本地裁で違憲判決が出てから、少しずつ、F君も「ハンセン病」と向き合うようになり、自分の気持ちを整理するために療養所を訪れ始めました。そして、共に闘ってきた親友のS君に告白し、ハンセン病家族の「れんげ草の会」とも連絡を取り始め、人の前でも自らの生い立ちを話すようになりました。最初は家族のことも考え名前を名乗らず仮名で人前に立っていましたが、親友のs君の励ましも有って2014年2月15日に大阪の阿部野区民センターで初めて名前を名乗って、生い立ちを語り、自分で作曲した「閉じ込められた命」をギターで演奏しました。その場にモグジーも駆けつけましたが、その後も、じっくりとF君と話を機会もなく時間が過ぎていきました。



家族訴訟に立ちあがったF君

 現在、F君は家族訴訟団の副団長として裁判闘争の前面に立って闘っています。その姿が先日関西テレビのザ・ドキュメント「閉じ込められた命〜語り始めたハンセン病家族たち」で放映されました.番組では力むことなくしたたかに生きてきたF君の姿がそのまま画面から伝わってきました。そして、続編を作るということで、F君の家族、親友のS君の取材をし、最後にログでのF君とS君とモグジーの出会いが収録されることとなりました。
 予定通り午後1時半に彼らが到着し早速収録が始まりました。前回の取材ではディレクターから質問を受けるという形でモグジーは話をしましたが、今回はログに二人が訪ねてきてモグジーと話をするところを撮りたいということです。そこで、収録のことは気にせず、ずっと気になっていたことをF君に聞く形で話し合いを始めました。話し合いの中心は、私が教室でハンセン病の話をした時、F君はどう感じていたのかと言う点でした。F君は矢張り記憶に残っていないと語り、同じ教室にいたS君は「自分たちは朝鮮人として本名を名乗るだけでも大変なのに、更にハンセン病となって療養所に入れられても、同胞のために頑張っている朝鮮人の患者さんの話を先生から聞いたとき、物凄い衝撃を受けた、どうしてこんなに強く生きられるのだろうか、それはずっと心に残り今でもはっきり覚えている」と語りました。私が語ったことがこれほど強くs君の心に響いていたとは想像もしていませんでした。そして、同じ話をF君は深く受け止めないことでハンセン病家族としての身を守ったのではないかと思いました。共に差別と闘ってきた親友のS君にハンセン病の家族であることを初めて話した時のことがF君から語られましたが、F君が病気のことを告白出来るまでには非常に長い年月を要しました。社会で生きている家族がハンセン病の家族であることを明らかにするのはどれだけ困難なことであるか、F君のことを通して改めてその困難さを再認識させられました。こうして4時間余りかかって何とかF君とS君との話し合いを終えることができました。



せめてログの自慢料理を!

 今回の取材は今日から明日の午前中までの泊りがけの予定となっていましたので、夕食はログ名物のバーベキューを食べて戴くことにしました。バーベキューの材料は前もって準備していましたが、できれば美味しい鳴門の海の魚も食べて戴きたいと思って友人のSさんとYさんに魚をお願いしておいたところ、Sさんは見事なハマチとアオリイカを確保して下さり、Yさんは沢山の丸アジを確保して下さいました。でも、よく考えると夕方までモグジー自身は収録を受けますので、魚の調理はとても無理です。そこで当日になって急遽調理まで甘えることにしました。御二方のご援助により、見事なハマチとアオリイカと丸アジの刺身、そして綺麗に焼けた丸アジがテーブルに並び、バーベキューの手羽先も良い香りに焼けて素晴らしい夕食が始まりました。新鮮な魚を心から喜んで貰え、ログ自慢のバーベキューもしっかり堪能して貰えました。夕食は魚のもてなしをしてくださいました、SさんやYさんご夫婦にも加わって貰い、色々な話で盛り上がりましたが、後半は妻が最も楽しみにしていた、F君とS君とのギターコンサートとなりました。テレビ局のスタッフの方々以外は全員60代が中心でしたので昔懐かしいフォークソングを中心に沢山の曲を歌って貰え素晴らしいコンサートとなりました。こうして収録第1日目も無事に終わりました。

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 収録も無事に終わり、F君とS君のプロ並みのギターをたっぷりと楽しませて貰いました
posted by モグじー at 09:29| 徳島 ☔| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月24日

船旅は良いなー

良く眠れました!

 今回は往復フェリーを使いましたので、帰路はすっかりフェリーに慣れて船内で食べるお弁当やおやつなどをも買い込んで船に乗りました。昨日も結構色々と歩き回りましたので、夕方6時に船に乗り込むと買っておいた大好物の寿司を食べた後、お風呂に入ったり、読書をしてしばらくくつろいだ後、布団に入り、10時頃には消灯して寝ました。良く眠れましたが4時頃目が醒めると、色々なことを考えてしまい二度寝が出来そうにも有りませんでしたので、4時半頃には服を着てホールに行きました。時間が早かったため他の乗客の姿は有りませんでしたが、照明は昼間と変わらず明るかったので、窓際の席に座って本を読んだり、メモを作ったりして時間を過ごしました。
 6時頃になると、辺りが明るくなって陸地が見えるようになって来ました。遥か遠くに室戸岬らしい半島が見えます、船はすでに室戸岬を越えた様子です。それからしばらく走ると紀伊水道に在る伊島が見えてきました。伊島をまじかに見るのは始めてです。釣り情報で良く出てくる磯釣りの名所ですので、小さな無人島とばかり思っていましたが、何か違う感じです。想像以上に大きな島でしたのでログに帰ると早速パソコンで調べてみました。すると住民200名余りが住んでいる島とのことで驚きました。一度行ってみたいものです。
 遠くに眉山が見えいよいよ徳島港も近い様です、今回の船旅は天候に恵まれ船も殆ど揺れず新造船に初めて乗りとても楽しい船旅を経験させて貰いました。又、利用したいと思います。

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 すっかり辺りは明るくなりました、かなり船は陸地から離れたところを通っており、遥か向こうに四国の山々が見えています


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 伊島が想像以上に大きいのにびっくりしました、山の高さも結構あり海岸は殆どが絶壁です、山の頂上に灯台が立っていました


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 新しく出来たオーシャン東急フェリー用の埠頭が見えてきました。フェリー乗り場が津田からマリンターミナルに移って本当に助かります
posted by モグじー at 20:32| 徳島 ☀| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月23日

たっぷり時間が有ります

菊池恵楓園に行ってみよう

 モグジーが泊ったホテルはベッド以外に時間を過ごせる場所が有りませんので、ベッドで電灯を点けて本を読んでいましたが、今日も1日良く歩きましたので疲れていたのでしょうか、いつの間にか眠たくなって寝てしまいました。ただ、今回は2段ベッドの上の方でしたので、寝相の悪いモグジーは下に落ちないか気になって何度か目が醒めました。目が醒めても直ぐに眠れていたのですが、そのうちに眠れなくなり時計を見ると午前5時過ぎでした。もう寝ることもできないと思い、このまま、ベッドに居ても仕方ないので着替えてホテルを出ました。今日は夕方の6時に新門司港から徳島行きのフェリーが出ます、それまではたっぷり時間が有りますのでどこかに行ってみようと色々ベッドの中で考えました。先ず頭に浮かんだのが、熊本市からそれほど離れていないところに有るハンセン病療養所菊池恵楓園に行くことでした。日本に13ヶ所有る国立療養所の中に最も入所者数が多い療養所です。これまでモグジーは東の方に在る療養所は殆ど行っていますが、九州・沖縄に在る4ヶ所の療養所は行ったことが有りません。こんな機会はめったにありませんので行くことにしましたが、アクセスが分かりません。駅前には交番があるだろうと思い、ホテルを出て駅前に行きました。附近を歩き回りましたが結局交番は見つからず、仕方ないので携帯メールで妻に調べて貰いました。間もなく妻からメールが届き利用交通機関が判明しましたので、その通りにJRで1駅乗って上熊本駅に行きそこから熊本電鉄に乗って再春荘病院前で降りると徒歩5分で無事菊池恵楓園に着きました。大島青松園の場合は島にありますので名実ともに離島に閉じ込められるという感じですが、市街地からそれほど離れていないところに療養所があることにびっくりしました。

 菊池恵楓園の正門に着いたのは8時半でした。モグジーが療養所を去って20年近く経っていますので恵楓園には知り合いは誰もいません、そこで、取り敢えず園の外周を歩いてみることにしました。最初に、向かったのは納骨堂です、療養所に強制隔離された方の殆んどは療養所内で亡くなり遺骨は園内の納骨堂に安置されています。先ずは納骨堂で拝ませて貰うことにしました。最近は療養所を見学される方が多いため園内の地図や説明板があらゆるところに設置され、迷うことなく納骨堂に到着しました。御線香をあげ拝ませて貰った後、園の外周をゆっくりと歩きました。現在恵楓園の入所者数は200名余りとのことですが、それでも国内では最も多いとのことです。それから、園の外周をゆっくりと一周しました、園内を歩いている人は少なく数名の方にお会いしただけでした。資料館も祝日で休みだっため、今回は雰囲気だけを見せて貰い1時間余りで恵楓園訪問を終え、JR上熊本駅に戻ると鳥栖行きの普通列車に乗りました

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 菊池恵楓園の正門です、向こう側には広大な森が広がっています


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 納骨堂です、堂の中には1300個余りの骨箱が並べられていました


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 旧納骨堂です、


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 園内に有った幼い入所者用の学校の跡地に建てられた説明板です


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 園の外周には逃亡防止のための高い塀が設置され、現在も残っています


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 園内に火葬場が有って、死亡者が出ると、入所者が火葬していました

        

小倉で途中下車

 終点の鳥栖駅で快速の小倉行きの電車に乗り換えました。小倉で更に門司行きの電車に乗って門司まで行こうと思っていましたが、門司は小さな街の感じでしたので、小倉で途中下車して食事をとることにしました。今回、門司駅と熊本駅と小倉駅に降りて駅付近を歩きましたが、小倉が最もにぎわっていました。食事をするお店も色々とありましたが、結局はどのお店にも入らず、パン屋さんでパンを買って隣の門司駅に行きました。駅を出て少し歩くと関門海峡が有り、ベンチに座って関門海峡を見ながらパンを食べましたが、海を見ながらの食事は最高でした。門司は昔から港で栄えた街ですので赤レンガの建物が沢山有ったようです。門司駅のすぐ近くに在る赤レンガ保存地区では昔の赤レンガの建物が保存されていてとても魅力的でした、「海」「赤レンガ」モグジーの好きな物ばかり見ることができ最高の寄り道となりました。

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 ベンチに座ると目の前に関門海峡が広がっています、向こうに見えるのが下関側の彦島です


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 駅から5分余り歩くと関門海峡があります。海沿いの散歩道が延々と続いています


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 散歩道の後ろ側には赤レンガの建物が何棟か保存されています、神戸や門司などの港町には赤レンガの建物が残っていて素晴らしいと思います


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 建物の妻の部分にはこのような装飾がされています、とてもおしゃれです


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 赤レンガの建物に入り天井を見上げるとトラス構造の木組みが見え、圧倒されます



フェリーターミナルへ

 関門海峡を眺め赤レンガの建物を楽しんだ後、門司駅に戻り、先ほどとは反対側の方に歩いて行ってスーパーで買い物をしました。フェリーの中で食べる夕食と朝食用のお弁当、そして果物などを買い、駅に再び戻って待合室で待ているとオーシャンフェリーの職員が来て乗合タクシーの所まで連れて行って貰えました。タクシーで20分余り走るとターミナルに到着し、6時前にフェリーに無事乗り込むことができました。今日も1日大いに歩きましたので、早めに夕食を食べ、お風呂に入って、ベッドに転がりこみましたが、帰りの船もお客さんが少なくゆったりと船内生活を楽しむことができました。
posted by モグじー at 22:55| 徳島 | Comment(2) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月22日

熊本城は悲惨な姿に

JRで熊本へ

 昨晩は10時頃ベッドに入りましたがしばらく本を読んで11時頃寝ました。朝は5時頃目が醒めましたのでそのまま起きていると、間もなく新門司港の灯りが見え予定通り朝5時40分にフェリーは埠頭に到着しました。昔は関西方面からのフェリーは小倉に着いていたのですが、狭い関門海峡を通らねばならないのと、小倉港が手狭になったため、関門海峡の手前側に新門司港が開かれそこにフェリーターミナルが作られました。新門司港の場合はアクセスが悪いので利用者にとっては港に着いてからが大変です。最寄りのJR門司駅までかなり離れているためタ多額のクシー代が掛かります。そのため各フェリー会社で無料送迎バスを運行したりしていますが、オーシャンフェリーの場合は乗合タクシーを用意してくれていて一人310円で門司駅まで送迎して貰えました。門司駅に到着すると熊本までの往復乗車券を購入し、6時25分発の快速電車「大牟田」行きに乗りました。朝が早いので最初の頃は乗客も少なかったのですが、北九州市の各駅を通るうちに時間が進み通勤ラッシュが始まりました。山口県に住んでいるときは九州はとても身近に思っていましたが、四国に住むと遠い存在となってしまい、久しぶりに見る九州の姿を懐かしく見守っていました。通勤ラッシュが済むと急に乗客が少なくなり1両にモグジー一人と言う時も有りましたが四国の高徳線に比べると乗客は多そうでした。途中、サガン鳥栖のスタジアムなど色々な景色が車窓に見え退屈することは有りませんでした。「大牟田」で熊本行き普通列車に乗継し9時半に熊本駅に無事到着しました。

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 1両に乗客はモグジーが一人だけと言う場面もありました、JRの普通列車に乗っていると本当に旅をしているという感じが強くモグジーは大好きです




熊本の町は分かり難い

 今日は駅前のホテルに泊まるのですが、今日の会合が終わるのは夜9時過ぎですので、その時にホテルが分からなくて慌てない様、駅から出ると先ず今晩泊るホテルを探しました。あらかじめネットで予約しアクセスもチェックしてきたのですが、いくら探しても目的のホテルは見つかりません。かなり時間を掛けてやっと見つけました、ホテルと言えば必ず大きな看板が出ているのですが、このホテルはカプセルホテルに似た感じの小さなホテルで看板らしい看板が出ていなかったため探しにくかったようです。取り敢えずホテルが見つかりましたので、ネットで頭に入れていた熊本城の先に在る熊本地裁を探すことにしました。お城のある街では駅に降りると殆どの場合お城が見えるのですが熊本の場合は全く見えません。簡単な地図を案内書で貰ってお城を目指して歩きはじめました。駅前を真っ直ぐ歩くと大きな白川が流れており、白川に沿って東に向かいました。お城の近くに裁判所などが固まっているのは、どこの町でも良くあります、ただモグジーの頭の中には、お城が少し小高いところに有って、裁判所などは平たん部に在るイメージしかなかったので、駅から真っ直ぐお城をめざし、お城に突き当ったら城の向こう側に回ってその付近を探せばよいと思い、その付近を歩き回りましたが、いくら歩いてもそれらしき建物が見つかりません。困ってとうとう交番に入りました。そこで分かったのは裁判所はお城がある高台の一部に有ったということです。交番で貰った地図を見ながら進むと。先ず検察庁が目に入そのすぐ裏にやっと裁判所の建物が見えてきました。裁判所に入って公判の時間を確認した後、時間が有りましたので熊本城が有る方の高台を目指しました。熊本地震の後の天守閣の悲惨な状態はニュースで何度も見ましたが、実際に行ってみると天守閣だけでなく、あちこちの石垣が崩れ古い塀などもあちこちで倒れたままになっていました。お城が建てられて何百年も壊れなかったのにこれほど悲惨な姿になるなんて信じられないようなことです。お城が在る一帯を見て回った後、地裁に戻りました。公判は2時からですが、その前に門前集会が1時からあると聞いていましたので。

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 やっと裁判所らしき建物を見つけることができました、この辺りは海抜20b位はあるでしょうか


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 天守閣は足場で覆われ復旧作業が行われていました


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 ほかの建物や石垣はまだ手も付けられていません、昔の石垣がこれほど脆いとは信じられません



「24」番が無い!

地裁に戻ると、先日ログでお会いした関西のテレビ局のクルーの方々の顔も見えました、そして、大島青松園に勤務されていたDr.の顔も見えましたので話をしていると教え子のF君の姿も見えました、庁舎内には支援の人がたくさん集まり熱気に包まれていました。そのうちに1時が来て門前で決起集会が始まりました。横断幕の中央にはF君の姿も有ります、原告団の決意表明が行われた後、支援者の挨拶が有り、最後に原告団団長のH先生の挨拶が有っていよいよ入廷行動となりました。横断幕を持って原告団長のH先生や副団長のF君が先頭になって裁判所に入廷していきました。その後、モグジー達は傍聴券を貰うために並びました。法廷には40名余りしか入れず、傍聴希望者は100名を超えているため、先ず並んで整理券を貰い抽選結果を待たねばなりません。モグジーの整理券には24の番号が打たれていました。しばらくすると裁判所の係員が当選番号が書かれた紙を持って来て掲げました。残念ながら「24」の番号は有りませんでした。3倍の倍率なので3人に一人しか当たりません、当らない人の方が多いのですから仕方ありません。裁判の結果については午後4時半から詳しい報告集会で報告されるとのことですので、その報告を待つことにしました。しばらく法廷の前で立っていると、関係者の方が傍聴券が2枚あるけど誰か入られますかと言われすぐに挙手しました、最後の最後に法廷に入れることになり本当にラッキーでした。

 今日の公判は2名の弁護士が意見書を述べて30分程度であっけなく終わりました。今日はこの後、判事と被告弁護団、原告弁護団とで今後の日程について話し合いが行われそうで、その方が重要との説明で公判の傍聴を終えたモグジー達は近くのホテルで日程協議が終わるのを待ちました。
 4時半から報告集会が始まり、200名近くの関係者の前で先ず、今日の後半の内容が報告されました。ただ、2名の弁護士の意見書はプリントされたものが用意されており、その内容を口頭で述べただけですので、報告は簡単に済まされましたが、日程の話し合いはかなり揉めたようでした。基本的には被告の国側は日程を延ばそうとするし、原告団は高齢者も多いので出来るだけ早く進めたいという思いが有って調整が難しかったようです。最終的には12月4日に原告側が希望した証人尋問が行われることになり、来年の3月に2回原告側の本人尋問が行われることになったそうです。国は入園者が原告となった裁判では原告の被害を認め謝罪と慰謝料の支払いをしましたが、今回は家族には被害が及ばなかったという態度で突っ走っているようです。我々、ハンセン病に関わったものにとってはとてもそのような論理は通らないと思っているのですが、本人の場合は療養所の入所歴など具体的な証拠が大量に有ったのに比べ、家族の被害は具体的な証拠が少ないだけに、厳しい戦いとなりそうです。

 報告会の後は今回の裁判を支援する市民の会を立ち上げるための集会が開かれました。今日の裁判にも全国から色々な団体の代表者が参加していますが、今後の厳しい戦いを戦い抜くため、本格的に支援していくための組織を立ち上げることになったとのことです。今回は前回の裁判の時に比べ世論も盛り上がりが乏しいため、もう一度大きな市民のうねりを起こす必要が不可欠との認識が集会参加者の間で共有され、市民の会が無事立ち上げられました。モグジーも一市民としてこれまでの思いを具体的な形にしていこうと思っています。市民の会の立ち上げ会で感じたのはこの場に集まった人々が殆ど中年を越えたような人ばかりで若者の姿がほとんどなかったということです。この事も重い課題として考えて行かなければならないと思います。午後6時からは懇親会が開かれました。大勢の方が参加され、熱気で会場はむんむんとした感じでした。予定を越えて多くの方が懇親会に参加されたため、料理が足らなくなるというハプニングも生じましたが、全員で分け合って食べ最後まで盛り上がった懇親会も無事に終わりました。

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 裁判所の門前で門前集会が開かれました、多くの人々が集まっていました


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 門前集会が終わると原告団による入廷行動が行われ支援者から大きな拍手が起こりました、副団長のF君も決意に満ちた面持ちで前に進んでいきました




合格点が出せます

 懇親会が終わった後、モグジーは再び駅を目指して熊本の町を歩きました。午前中歩き回ったおかげで熊本の町の地図もやっと頭に入りましたので、今度は迷うことなく駅までたどり着くことができました。それにしても結構な距離が有りました。今日泊るホテルは一晩3400円のカプセルホテルです。ただ、細かく言えば従来のカプセルホテルとは色々な面で違っているそうです。モグジーはカプセルホテルを利用したことが有りませんので違いは分かりませんが先ほども書きましたようにとにかく場所が分かり難いのが困りました。このホテルは大きなビルの1階部分の半分程度を利用して2段のベッドを40台程度設置し、共用のシャワー室トイレ、洗面所を設置しています。7月にオープンしたのでとにかくきれいで清潔だったのが良かったと思います。とにかく寝れれば十分ですので、モグジーには何ら不満は無く、ぐっすりと寝させて貰うことができました。

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 フェリーと違って上のベッドは梯子を登らねばならず、不便でした。パジャマとスリッパとタオルや洗面具等は全てついていました


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 シャワールームやトイレも沢山有りますので不便は有りませんでした、ただ、まだまだ、オープンして間もないため利用者が少なくて落ち着いた感じがしましたが、好評で利用者が増えると、このスペースではかなり圧迫感で生じるのではないかと思います
   
posted by モグじー at 01:21| 徳島 ☀| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月21日

熊本目指して

フェリーで新門司まで

 9月22日にハンセン病入所者の家族が国を訴えている国家賠償請求訴訟の第6回公判が熊本地裁で開かれます。今回、モグジーは初めて裁判を傍聴することに決め、22日の午後1時までに地裁に到着できるよう、今日午後2時20分発の門司行きオーシャン東九フェリーに乗ることにしています。鳴門から熊本まで行く方法は色々あります。最も効率的なのは車で行く方法ですが家族から絶対にダメと言われていますので今回は車を諦めました。後は夜行バスかJR在来線を乗り継ぐかフェリーとJRの乗継です。飛行機と新幹線は最初から頭には有りません。色々と調べてみましたが、最終的にフェリーを選択しました。時間は最も長時間を要しますが、久しぶりに船に乗りたかったからです。

 これまでに、何度かオーシャン東九フェリーの東京〜徳島は乗ったことが有ります。この1.2年でこの航路に使用する4隻の新しいフェリーが全て完成し就航していますが、新しいフェリーには乗ったことが有りません。是非1度乗りたいと思っていたからです。この航路では徳島乗り場は津田港が使われていましたが新造船は沖洲のマリンターミナルのすぐ東に新しい乗り場が出来、それが利用できるようになりました。都合が良いことに新しい乗り場は長女の家からすぐですのでモグジーにとってはとても便利になったのです。ログから長女宅まで車で行き、長女に車で送って貰えれば簡単に船に乗れます。門司行きは14時20分に出港するため昼過ぎに長女宅に行く予定でしたが、朝から落ち着かず作業も出来ませんので結局早めに長女宅に行き出発まで孫の子守をすることにしました。途中でお弁当や果物を買い、長女宅での子守も済ませ、予定通り14時20分にフェリーに乗り込みました。
 新しいフェリーに乗るのに忙しくて施設やサービスの内容は何も調べていませんでした。船に乗り込むと係の人から部屋番号を言われ、言われた部屋に行くと2段ベッドの下のベッドがモグジー用に用意されていました。2段ベッドと言っても上の段は梯子で上がるのではなく階段で上がるようになっているため、高齢者でも安心してベッドに入れます。ベッド以外で過ごす場所としてホール等が有りますが以前の船に比べて非常に過ごしやすいデザインとなっていました。お風呂も以前より広くなり使い易くなっていました。船に乗るといつもモグジーはデッキに出て海を眺めているのですが、今回は少しだけデッキで過ごしましたがほとんどはホールの海側に設置されたテーブルで食事をとったり読書をしたりして過ごしました。初めて通る豊後水道は是非見たかったのですが室戸岬を過ぎたあたりから暗くなり景色を見ることは全くできませんでした。

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 12000トンですので大きさは十分です、デザインもスッキリしています。このフェリーはカーオブザイアーの船に当る賞を取ったそうです。


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 8人部屋でした。片側に2段ベッドが4つならんでいます


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 2段ベッドの上のベッドは階段で上れるようになっていますので上り下りがとても楽です、カーテンを閉めると外の灯りが全く漏れて来ません、部屋には明るい照明も有って充分読書も出来ました

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2017年09月20日

テレビ局の取材を受けて

「先生、テレビ局の取材を受けて欲しいのだけど」

 先日、教え子のF君から電話が入り「先生、先日のドキュメンタリーが、好評で続編を作ることになった、続編では友達のS君や先生や家族のことが取り上げられることになり、S君の取材は終わったので今度はテレビ局が先生の話を聞きたいと言うとるんや。それで、僕とS君が先生の家に行き先生と一緒に取材を受けることになったが協力して貰えんやろうか」とのことでした。ハンセン病患者の家族であるF君が、自ら名前を明らかにして、ハンセン病家族に依る国家賠償訴訟の原告として立ち上がっていく姿を描いたテレビ局のザ・ドキュメント「閉じ込められた命〜語り始めたハンセン病家族たち」が2017年7月8日に放映され、その続編が作られるとのことです。勿論喜んで協力させて貰うことにしました。

 教え子のF君やS君のことは2014年7月12日のブログで詳しく記事にしていますが、二人はモグジーが47年前に高校教師になったとき初めて担任したクラスの生徒です。

 モグジー自身は大学入学後のサークル活動でハンセン病療養所を訪問し、療養所に隔離されたハンセン病患者と出会い、今もなおハンセン病患者が隔離されていることに強いショックを受け、船を作る仕事をしたいと思って造船科に入学したのに、ハンセン病にかかわる仕事がしたいと思って、大学卒業後も就職せず大学院に籍だけを置いていました。そんな時に、工業高校の教師が足りないと言って声を掛けられ教師になりました。そして担任としてF君やS君と出会ったのです。モグジーの心の底にはハンセン病のことが常にひっかかっていた為、ホームルームの時間、生徒たちにハンセン病のことを知って欲しいと思ってハンセン病に出会ってモグジーが思ったことを話して来ました。勿論、目の前の生徒の中にハンセン病患者の家族がいるとは夢にも思っていませんでした。それから40年も経った、数年前に、F君から母親がハンセン病で療養所に入所していたことを知らされました。モグジーはショックでした、F君にとってはモグジーは自分の母親のことを相談できるほど信頼のできる存在ではなかったのです。それからは、ずっと気になっていました、モグジーが教壇に立ってハンセン病のことを語りかけていた時、F君はどんな気持ちでモグジーの話を聞いていたのだろうかということが。

 そして、今日の午後、テレビ局から取材のため3人の方がログに来られ、3時間余り取材を受けました。30日にモグジーに会う前に、前もってモグジーに話しを聞きたいことが何点か有ったようです。予定通り午後1時にテレビ局の方がログに来られ早速取材が始まりました。ディレクターの質問に答える感じで話をしているとあっという間に予定の2時間が過ぎ3時間に成ろうとしていました。矢張り、ディレクターからの質問は正に的をついた質問であり、モグジー自身がずっと気になっていたことでした。「F君はなぜハンセン病のことを先生に相談できなかったのでしょうか」。モグジーとF君との間に有った深い溝、それは果たしてなんだったのだろうか…。何が抜けていたのか…。勿論、30日にF君に直接聞いて少しは明らかになるかも知れませんし、分からないかも知れません。私がケースワーカーとして家族と出会った時、自分がハンセン病患者の家族であることを永年連れ添った配偶者にも言えなかったということを何度も聞きましたが、そのことに重なっているのかもしれません。

 取材にあたってはあくまでも平常心で答えて行こうと思っていましたが、それほど緊張することもなく落ち着いてこたえることができましたので、取材が終わった時はホッとしました。次は本番の30日ですが、それまでに、明日から熊本でのハンセン病家族の国家賠償訴訟の傍聴に行って来ようと思っています。F君はその訴訟団の副団長として頑張っており、モグジー自身もハンセン病療養所でケースワーカーとして家族問題と永年向き合ってきましたので、F君と共に一歩でも前進できればとの思いです。

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2017年08月17日

ほんの少し光が見えて来ました

後は鉦だけですね!

 昨日、Yさん宅での阿波踊り披露で立ち往生し、お先真っ暗となってしまい22日のグループホームでの阿波踊りの披露は無理かなと思っていたところ、今日の夜、LBさん夫妻がログに来てくださり、阿波踊りの指導をしてくださいました。先ず、モグジー達が披露する踊りの内容を決めて戴きました。そして、決めて戴いた内容に沿って練習を見ていただきました。練習の結果、チェックされたのは鉦のことが主でした。モグジー自身が気になっているのですが、どうしても、途中で鉦の調子が狂ってしまうのです。阿波踊りの指揮者は鉦です、その鉦が狂ったら皆に迷惑を掛けてしまいます。残された時間を使って練習を重ねる積りですが、下手な鉦でも孫の踊りや娘の笛や妻の太鼓がモグジーを支えてくれるという安心感が有りますので、パニックにならず楽しくすることをモットーに頑張る積りです
 これまでは、どの様に練習を重ねて行けば良いのか分かりませんでしたが、今日、披露する内容が決まりましたので、これからは毎晩の練習も今まで以上に熱が込められそうです。今日の最後の練習の後、LBさんから講評をしていただきましたが、踊り子さんは満点、笛と太鼓は80点そしてモグジーの鉦は60点とのことでした。モグジーの点数は合格点に遠く及びませんでしたので、自己採点はせいぜい10点程度かなと思います。何とかもう少し点を上げたいものです。次は衣装を着てのリハーサルを見て戴くことになりました、ここまで心のこもったご指導を受けることができ本当に幸せです。最後に「鉦を叩く前から緊張しているので、演奏が進むに従ってますます緊張してしまい、テンポまで狂ってしまう。最初は小さな音で初めて見ては」との助言をしていただきましたが、正に指摘された通りです。気持ちを静かにして始めてみようかなと思うモグジーです。
posted by モグじー at 22:45| 徳島 ☀| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

大阪のYさんを訪ねて

今回はYさん宅だけに

 モグジーは年に数回、ログで収穫した果物や鳴門の海で釣った魚などを持って大阪の知人宅数軒を訪問しています。特に夏休みの場合はログに帰省中の次女一家も連れて大阪に行きますが、この夏は孫たちの阿波踊りが昨日終わりましたので今日大阪に行ってきました今回は大阪の「IKEA」で買い物もするため訪問するのは大阪市内のYさん宅だけにしました。
 ログでは先日からイチジクとデラウエアの収穫が始まっていますので、昨日収穫したイチジクとデラウエアをお土産に持って行きました。今回は徳島市に住んでいる長女と孫のHちゃんも一緒に行くとのことで、モグジーと長女と次女そして孫3人の6人で行きました。26日で満1歳になるHちゃんにとっては初めての県外旅行ですので、ちょっぴり心配しましたが、二人の孫が一緒でしたので、道中とても機嫌がよくホッとしました。
 朝8時にログを出発し、途中渋滞もなく、10時過ぎに西成区のYさん宅に到着しました。YさんにはHちゃんが産まれた直後にログに会いに来て戴いています、会うのはそれ以来ですので、人見知りをして泣くのではないかと心配しましたが、泣くこともなく普段と同じようにふるまっているHちゃんを見てホッとしました。Hちゃんの仕草一つ一つが話題となりHちゃんのお陰で大いに盛り上がりました。
 Yさん達多くのハンセン病患者さんは国の政策により子供を産むことが許されませんでした。それだけにYさん達にとっては赤ちゃんに対する思いは非常に複雑なものがあると思います。腰を患ってやっと今日からコルセットが取れたというYさんに重いHちゃんを抱いていただくのは、腰にこたえるのではないかと言う心配もありましたが、Hちゃんを膝の上に載せて戴けたことで、少しは赤ちゃんの感触を感じていただけたのではないかと思うと、モグジーは素直に嬉しく思いました。
 Yさんが準備して下さったお昼ご飯をご馳走になった後、モグジー一家で取り組んでいる阿波踊りを披露しました。まだまだ人様に見せられるようなレベルには程遠いのですが、取り敢えず雰囲気だけでも見て戴こうと思い厚かましくも披露させて貰いました。でも、正直に言って全くひどい出来で、特に鳴り物がきちんと出来ていない為、22日に向けて猛練習が必要と大いに反省させられました。それに比べると二人の孫のダンスと踊りは繰り返し練習しているためそれなりの存在感があると思いました。
 その後はお決まりのトランプをして午後3時過ぎにYさん宅を出発し、買い物のため「IKEA」に寄りましたが、盆明けとはいえ店内は結構混雑していて、田舎暮らしのモグジーにとってはとても疲れる買い物でした。モグジーは特に釣り船で使う丈夫なパラソルが欲しくて「IKEA」に寄ったのですが残念ながら希望に叶うような商品は有りませんでした。折角きたのだから、細々とした雑貨を買い、50円のソフトクリームを食べ、途中で夕食を済ませて、ログに帰って来たのは夜の8時過ぎでした。今日は丸半日外出したことになりますが、Hちゃんも含め全員が無事元気でログに帰ることができホッとしました

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 小さなテーブルを囲んで、色々な話をしましたが、話題の中心はHちゃんでした


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 Yさんの前で楽しそうにダンスをする二人の孫です、このチームにHちゃんが加わるのはいつの日のことでしょうか
posted by モグじー at 23:05| 徳島 ☁| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月11日

次男一家の帰省

夜間走行も大変でした!

 今年も次男一家がログに帰って来ました。昨晩9時に横浜を出発しログに早朝到着する予定でしたが、途中でメールが届き事故渋滞で大幅に遅れそうとのことでした。結局今朝6時に到着予定が8時半の到着となりましたが、とにかく、無事に到着してくれ一安心です。4人の孫は12時間の車内生活で疲れた表情でしたが、朝食を終えるころにはすっかり元気になり、朝食を終えると「ふるさと君」に行って卓球を楽しみました。
 1時間余り卓球をした後は、プールに入って水遊びを楽しみました。意外とプールはすいていて、貸切状態で水遊びをしました。モグジーもプールに入るのは今日が始めてです。泳ぐことはしませんでしたが、孫たちと水中バレーを思いきり楽しみました。
 夜は鳴門阿波踊りの最終日となっていますので、次女と二人の孫はいつもの様に着替えて集合場所に向かいました。上の孫は6年生ですので阿波踊りに出られるのも今年が最後です。次男一家とモグジー夫婦は次女一家の阿波踊りを見るため鳴門の商店街に行きました。今日は夜になっても非常に暑くて、踊る方も見る方も汗が噴き出ていましたが、元気に踊っていた孫たちに拍手でした。
 阿波踊りを見た後、ログに戻り、形だけの歓迎会をしました。歓迎会のメイン料理はSさんに戴いた魚の刺身でしたが、とても美味しいと喜んで食べて貰えホスト役も嬉しい限りでした。14日まで大勢の子や孫に囲まれてのログ生活が続きますが、ホスト役のモグジー夫婦は大はりきりです。頑張り過ぎて孫たちが帰った後は夫婦そろって寝込むことは間違い無さそうです。

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 小さなテーブルを11人が囲んで賑やかな朝食をとりました、孫たちの笑顔にモグジー夫婦は沢山の元気を貰いました


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 孫たちも大きくなり、ネットを挟んでラリーを続けることができるようになりました


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 運良くプールは貸切状態でしたので、子供チームと大人チームに分かれて水中バレーを思いきり楽しむことができました


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 最後の阿波踊りを頑張っている上の孫です、鳴門阿波踊りは規模は小さいのですが、すぐ目の前で踊って貰えますので迫力満点です


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 今年も無事に阿波踊りを踊りきることができました、皆踊りきった笑顔が輝いています、お疲れ様
posted by モグじー at 23:55| 徳島 ☁| Comment(4) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

60才からの挑戦

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