2017年12月09日

昨日のパン焼きについて

改修前に戻ろうか?

 9月に石窯の改修工事を初め、約2ヶ月で大まかな工事が終わりました。そこで、石窯の保温性能がどれほど改善されたかをチェックするため、実際に薪を焚いて温度チェックをしたり、実際に生地を作って試し焼きをしたりしました。結果が思わしくないと更に手を加えたりして、少しでも石窯の性能が向上するように頑張ってきましたが、残念ながら改修前に頭の中で想像していたほど、劇的な変化は有りませんでした。昨日もバゲットを焼いたところ、期待外れの結果を突き付けられ、真剣に焼き床の穴を再び開けて加熱炉で薪を焚いて石窯内を加熱する方式に戻ろうかと真剣に思ったほどです。昨日の試し焼きでも最初にバゲット2窯とリュスティック1窯を焼き終わると温度が下がり過ぎて次のリュスティックや食パンが焼けない為、石窯内で再度薪を焚いて石窯の温度を上げて残りのパンを焼きました。石窯の再加熱は時間もかかるし、生地の醗酵時間を調整するのが大変でした。



熾きを石窯内で燃やそうか?

 再加熱のため石窯内で薪を焚くと石窯内に真っ黒なススが付き、4窯目のリュスティックで蒸気を送り込んだところススが蒸気と一緒に生地の表面に付着し、ススで黒くなったリュスティックが焼き上がりました。更に5窯目のリュスティクを焼き終えると、又温度が下がり続けて残っている4窯の食パンを焼くのは困難な状況となりました。そこで、前回と同様によく燃えた熾き火を石窯に入れて温度を上げ食パンを焼くことにしました。ただ、前回は焼き床に良く燃えている熾きを並べその上に高さ10aの棚を据え、その上に鉄板を置いて食パン缶を並べました。すると、鉄板が高すぎて食パンを取り出す時に食パンが窯口につかえて大変でした。
 もっと良い方法は無いだろうか…



耐火レンガを外してみよう

 そこで思いついたのが焼き床に並べた耐火レンガを外して、溝を作りそこに熾き火を置くことです。具体的な説明は言葉では難しいので、今日の午前中に、昨日の模様を再現し写真に撮りましたので、写真に沿って説明します

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 リュスティックを焼き終えた時の窯の内部です。前回はこの上に高さ10aの棚を設置しその上に鉄板を置いて食パン缶を並べました


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 今回は中央の4枚の耐火レンガを外し両側に立てて置きました


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 良く燃えている熾きをレンガを取り除いた後の窪みに並べました


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 レンガの上に網鉄筋の格子を置きました、これが無いと下の熾き火の熱が石窯内に広がり難くなります


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 格子の上に鉄板を置くと熾き火の熱が石窯内に広がり易くなります


ただ、熾き火で石窯内を加熱しているときは、窯口の戸を完全に閉めてしまうと酸素不足で熾き火が消えてしまいますので、窯口の戸の下の方を少しだけ開けておきます。昨日食パンを焼き終わった後、窯口の戸を完全に閉めましたので、今日は消し炭がたくさん残っていました。



ほんの少しの火力で温度維持が可能に

 基本的に考えれば、石窯ではパン焼くのに必要な熱量と放熱などで失われる熱量の分だけ温度が下がります。断熱を完全にすれば、パンを焼くのに必要な熱量を補充してやれば石窯の温度低下は防げます。モグジーの改修前の石窯は断熱を全く考えていなかったため、放熱等で失われる熱量が非常に多くて、石窯を暖める時も大量の薪が必要でしたが、改修後は石窯を暖めるのに必要な薪の量も大幅に減りました。そして、温度低下を補うために、石窯で薪を焚くと、煙突からも窯口からも燃焼ガスが逃げるため熱損失が大きくなりますが、石窯の中に熾き火を置いて加熱する場合は煙突も閉じますし、窯口もほんの少し酸素を入れるだけですので殆ど外に熱エネルギーは逃げません。従って、パンを焼くのに必要な熱量だけ熾き火で補充すれば大きな温度低下は防げます。実際に昨日食パンを焼いたとき、少量の熾き火で温度を維持できました。と言うことは改修工事で断熱レンガで石窯を囲ったことは大いに意味が有ったことになります。この事にやっと気付き、改修工事をして本当に良かったと思いました。これからは新しい方式でのパン焼きに徐々に慣れて行けば、いつの日か美味しいパンが焼けるようになると思います。
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posted by モグじー at 22:23| 徳島 ☁| Comment(0) | ログ建設記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月06日

石窯の温度チェック

耐火レンガの効果は…

 先日、石窯の蓄熱材を増やすと共に焼き床を高くするため耐火レンガを焼き床の上に並べました。その耐火レンガを焼き床に並べたことが実際に効果として現れるのか、それほど変化がないのかモグジーには分かりませんので、温度チェックをすることにしました。温度チェックなしにぶっつけ本番でパンを焼くのは自信が有りませんので。
 今日は北風が強く、朝から冷え込んでいましたが、良く晴れていましたので先ずはテニスに行って思いきり身体を動かしました。矢張り身体を動かすと自然と体は温もり汗ばむほどになりました、これから春まで寒い日が続きますが、何とか休むことなくテニスで身体を動かそうと思います。

 テニスが終わってログに帰るとすぐに石窯に薪を焚き始めました。今回も3時間薪を焚いて1時間窯を冷やし、その後の温度経過を窯口の上と焼き床の上で調べたいと思っています11時15分から焚き始めて3時間薪を焚き、熾きを火消し壺に入れ、火消し壺に入らない熾きは水を掛けて消しました。2時半から1時間窯口を閉じて窯を冷やし、1時間後の3時半から温度チェックを始めました。3時40分で窯口温度が314度、(焼き床温度が280度)、以後20分おきに温度をチェックしました。これまでは、窯口の戸を閉めたまま温度を計測しましたが、より、実際の状況に近づけるため40分後の16時20分・窯口温度277度(焼き床温度250度)で戸を1分間空けその後蒸気を入れました(バゲットを焼くときの要領に従って)、すると両方の温度が一時的に大きく下がりましたが、時間の経過とともにかなり温度は回復しました。バゲットを2度焼く想定でもう一度40分後に同じことを繰り返し、後は蒸気無しで、戸を開けるだけにとどめて温度チェックを続けました。その結果、ログの石窯でパンを焼くことが出来る250度〜180度の温度帯をキープできるのは、今回のチェックでは3時間となりました。これは、これまでの温度チェックに比べて1時間、パンを焼ける時間が少なくなりましたが、これまではずっと窯口の戸を閉めたままでしたので、これぐらいの差は仕方ないかなと思います。3時間の焼成時間が確保できれば、多分バゲット2窯とリュスティク2窯と食パンが4窯焼けるのではないかとモグジーは思いますが、実際に焼いた場合はどうなるのか、明後日にパンを焼く予定ですので、その時に結果を報告したいと思います。
 後になって気が付いたのですが、前々回は3時間薪を焚いて、その後、熾きだけの状態で更に1時間加熱し、その後に熾きを取り出してから窯を冷やしました。即ち窯を加熱する時間が4時間で今回より1時間長かった勘定になります。従って、今回パンが焼ける時間が短くなった原因の一つであると思います。明後日パンを実際に焼くときは、3時間薪を焚いて、更に1時間熾火だけで加熱する方法を試そうと思います。

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 焼き床がレンガ1枚分の厚さだけ高くなり、窯の天井までの高さが逆に7a余り低くなりましたので、薪を焚くときに影響が出るかと心配しましたが、問題なく薪を焚くことができました
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posted by モグじー at 19:50| 徳島 ☀| Comment(0) | ログ建設記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月29日

家族探し

奪われた8年間は帰ってこない!

 今朝未明1時25分から2時35分迄、関西テレビのドキュメンタリー「誰にも言えなかった〜ハンセン病家族の告白〜」が放映されました。正直に言ってどんなものが出来るか不安も有りましたが、見終えた後もモグジーの心の中に興奮が続き、良い作品を作って下さった関係者の方々への感謝の気持ちが全身を熱くしてくれました。
 モグジーはブログでこのドキュメンタリーについては何度か書いてきましたが、主人公F君はモグジーが工業高校で教師をしていたときに受け持った生徒で、F君が1歳の時、母親がハンセン病を発病し療養所に強制隔離されました。母親が軽快して社会復帰するまでの8年間、施設に預けられたF君が高校2年生の時、「どうして自分だけが家が貧乏と言うだけで施設に預けられたのかと言う母親に対する疑問を抱きながら成長していったため今でも母と心から打ち解けることが出来ない」という生い立ちを書きました。小学4年の頃、F君は母親から病気のことは聞いていましたが、文章の中にハンセン病と言う言葉は有りませんでした。それから、ずっとF君は母親の病気のことを隠して生きて来ました。F君が自らハンセン病という言葉を発するまでにとても長い時が必要でした。



山は動いた!

 ハンセン病療養所に強制隔離された人々が国を相手に謝罪と国家賠償を求める裁判をおこし2001年に国が敗訴して以降、少しずつ入所者の気持ちが変わっていきました。それまで、取材でカメラを向けられても殆どの場合後ろ姿しか見せなかった入所者が真正面を向いてカメラに収まりはじめました。後遺症で歪んだ顔は決して恥ずかしいものではなく、困難な中を生き抜いてきた誇るべき証となりつつありました。この事は、差別と偏見を恐れ決して身内にハンセン病の家族がいることを明かさなかった家族にも勇気を与え、家族も前を向き始めました。この様な入所者の姿、家族の姿を見て「大きな山が動いた」とモグジーは思いました、その励ましの中でF君はやっと母親がハンセン病であったことを語り始めました。しかし、その後、F君の母親が飛び降り自殺をし、その8年後父親も飛び降り自殺をしました。
 亡くなった母親の顔を見てもF君の目から涙は流れませんでした、辛いことですが、普通の母と子の関係を持つことが出来ないまま永遠の別れとなってしまったのです。F君と母親との8年間の空白は、その後母親と共に過ごした40年の歳月をもってしても決して埋めることが出来ませんでした。この8年間の空白こそが、国の誤ったハンセン病政策が作り出したものなのでした。
 最後にF君はカメラの前で、語っています「生い立ちを語るということは、自分の話を聞いた人が元気になってくれるので話すというのではなく、自分自身の生き方を問うために話すのです」と。自分自身との闘いが始まりました、父親探し、母親探しの闘いです。そして、モグジー自身、今回の取材を通して、満州引き上げと言う過酷な歴史の中でモグジー自身の命を紡いでくれた父親探し、母親探しの闘いの緒に就きました。



家族に向けて

 今回のドキュメント制作のための取材についてF君から協力を求められた時、モグジーは即座に協力させて貰いますと返事をしました。止む終えぬ事情でハンセン病療養所を去ることになったモグジーにはどうしても気になることが有りました。それはハンセン病患者の家族の問題です。ケースワーカーとして多くの家族にお会いしてきましたが、家族はハンセン病のことを隠すことで辛うじて世間の差別と偏見から身を守って来ました。家族会を組織してお互いに励まし合うことなど考えられなかったのです。家族は孤立し沈黙してきました。テレビやラジオからハンセン病という言葉が聞こえてくるとチャンネルを変え、新聞にハンセン病と言う活字を見つけると新聞を隠しました。
 熊本地裁で勝訴判決が下りたというニュースは全国の療養所に流れ、多くの入所者の方々は喜び合いました。しかし、外にいる家族はそのニュースをどんなふうに聞いたのでしょうか。家族で喜び合えたのは、ごく少数の方々ではなかったかと思います。大臣の謝罪の言葉も勿論耳に入らなかったと思います。家族の耳に何とかして届けたいと強い気持ちで謝罪の言葉が述べられたのでしょうか。一般国民の耳にではなく、家族の耳に届く言葉が語られたのか…
 そして、今回の「誰にも言えなかった〜ハンセン病家族の告白〜」に関係した私は、再び同じ思いに駆られました、「私は家族の心に届く言葉を発することが出来たのだろうか…」。それでもモグジーは「このドキュメンタリーを一人でも多くの家族に見て欲しい」と切に祈っています。



ハンセン病問題は終わっていない

 療養所入所者がゼロとなっても、ハンセン病の問題は決して終わってはいないと思います。多くの家族は自分の父親、母親、兄弟、姉妹を探し出せていません。そして遺骨は家族に迎えられることなく療養所に残さたままです。患者をふるさとから追い出す「無らい県運動」は有っても、その逆の患者をふるさとに迎える運動は無いに等しいのです。家族に遺骨を返そうとすると、どの場合家族に拒否されると思います、この時こそ家族に通じる謝罪の言葉が必要なのです。謝罪の言葉をマスコミに喋っても家族には届きません。誤った政策により家族を奪ったことを家族に伝わる言葉で直接伝えねばなりません。もう、ほっておいてほしい、静かにお参りしたいと多くの入所者の方は言われるでしょう。そして「入所者も家族も懸命にお互いを忘れることで生き抜いてきたのに、そっとしておいてあげた方が良い、家族を思い出させるのは余りに残酷なことではないか」とケースワーカーとして家族に関わろうとした時に何度か言われました。しかし、入所者は決してふるさとを家族を忘れていませんでした。ほっておくことは、日本におけるハンセン病問題を永久に埋め込んでしまうことになります。いつの日か、1人でも多くの家族が家族探しのため療養所を訪れる日が来ることを切に願わずにおれません。
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posted by モグじー at 00:55| 徳島 🌁| Comment(2) | ログ建設記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月25日

石窯が濡れないように

断熱レンガが雨に濡れる

 8年前に石窯を作った後、しばらくして屋根を付けました。石窯が濡れないようにするのと、雨でもパン焼き作業が出来る様、結構広い屋根でした。しかし、今回の改修工事で石窯の周りに断熱レンガを貼ったところ、石窯の窯の厚さが30a程度厚くなりましたその結果、石窯の外側の断熱レンガが雨で濡れるようになりました。断熱レンガは軽石の様なものを大量に混ぜ込んでいるため、水分を吸収しやすく、又、なかなか水分が抜けません。専門家に聞いたところ、断熱レンガは濡らさない方が良いとのことですので、石窯が雨で濡れない様、屋根を広げ、更に横殴りの雨が降っても雨が避けられる様、周囲をポリカの波板で囲うことにしました
 石窯の改修工事が終わった後、石窯の温度チェックなどを優先したため、屋根工事が全く進んでいません。そこで、今日から屋根工事を始めることにし、材料をホームセンターで購入してきました。屋根は、最初にブラウンのコロニアルを使いましたので、同じものを探しましたが、残念ながらブラックしか有りませんでしたので、ブラックを購入しました。ログに帰ると早速、工事に取り掛かりました。先ずは、最初に作った屋根と囲いの内、囲いのコンパネを取外しました。次に、広げる屋根の下地と周囲を囲うポリカの波板を打ち付ける桟の設置作業に入りました。今日は、骨組みに使う角材に防腐剤を塗ったところで作業終了となりました

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 ホームセンターで購入した屋根材のコロニアルです、5枚ほど購入しました


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 石窯の周囲に張るポリカの波板を10枚購入しました、サイズは6尺です


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 石窯の周囲にコンパネを張っていましたが、コンパネを取外すと水路から石窯が見えるようになりました。


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 構造材として使う角材にはあらかじめ防腐剤を塗っておきました



石窯内部に耐火レンガを

 ホームセンターに行ったついでに、耐火レンガ購入しました。改修後の石窯で色々と温度チェックをしたり、パンの試し焼きをしましたが、期待できるような結果が出ていません。一番の問題は温度低下が思ったより激しいことです。改修工事で色々と改善を加えましたが、まだ、現在の石窯の状態で気になることも何点かあります。一つは、石窯の天井の形と高さです。最初に石窯を作る時、沢山のパンが焼けるよう、2段でパンを焼くことを考え耐火レンガを3段(高さ24a)直線で積んだ上に半円形のドーム(半径25aの半円)を作りました。そのためドーム型の天井から放射される遠赤外線は焼き床より20a余り高いところに集中していました。ドームの形をもっと緩やかにして天井をもっと低くしておけば熱効率はもっと良くなっていたと思います。本にも天井高は30〜40aと書かれていますが、モグジーの石窯は最初は天井まで50a近く有ったのです。今回の改修で焼き床の上にキャスターを更に10a盛りましたので、天井高が42aまで低くなりましたが、まだ高すぎると思います。そこで考えたのが耐火レンガを焼き床に並べて更に天井高を低くすることです。幸いにも、耐火レンガの定型と半割を使えばピッタリで焼き床を埋められそうですので、ホームセンターで定型の耐火レンガを12枚と半割の耐火レンガを16枚購入し、ログに帰って焼き床に並べてみました。すると、殆ど隙間なくレンガを並べることが出来、天井高は34aとなりました。この状態で、温度チェックとパンの試し焼きをしてみて効果が認められれば、レンガを固定しようと思います。

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 購入した定型の耐火レンガ12枚と半割の耐火レンガ16枚です


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 レンガを並べる前の石窯の内部です、幅50a、奥行70a、天井高40aあります


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 耐火レンガを内部に並べた結果、幅44a、奥行67a、天井高34aとなりました。近いうちに、内側に耐火レンガを並べた状態で温度チェックと試し焼きをしてみたいと思います。
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posted by モグじー at 22:05| 徳島 ☀| Comment(0) | ログ建設記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月15日

石窯に屋根を付けよう!

干し柿が完成!

 昨日は降って欲しくない雨が降り、ゲストには申し訳ありませんでしたが、今日は朝から晴れて気持ちの良い天気となりました。先週は久しぶりに雨で中止となったテニスの練習も、今日は好天に恵まれ、身体を動かすと汗が出るほどで気持ちの良い一時となりました。
 テニスを終え、ログに帰ると干し柿の取入れをしました、11月3日に皮をむいてデッキに干していた干し柿が、心配していたカビを生やすこともなく、いい感じに干せました。これ以上干し続けると固くなりそうですので、今日取入れをし、付いていた枝とヘタをちぎり取りました。天頂部に残っている皮は少しだけですので、このまま残しておき、実と一緒に食べることにします。早速1つずつ味見をしましたが、甘さは少し控えめでおやつとして食べるには手頃かなと思います。お菓子代わりに口に入れるとあっという間に無くなってしまいそうです。

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 干し終えた干し柿です、綺麗に干し上がっています


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 食べる時に天頂部の枝とヘタは邪魔になりますので、あらかじめ取り去りました



断熱レンガは濡らさない方が良い!

 断熱性を上げるため、断熱レンガを石窯の周りに積む改修工事をしましたので、元々あった窯の大きさに比べると随分と窯のサイズが大きくなってしまいました。石窯の屋根は窯が小さかった時に作りましたので、改修工事後は石窯が屋根からはみ出してしまいました。断熱レンガは断熱性を高めるため軽石などの骨材を混ぜ込んでいます、そのため、隙間が多く、水などがすぐに滲み込んでしまいます。水が滲み込むと問題となるのが気化熱の問題です。石窯の内側に在る耐火煉瓦の温度が上ると、耐火煉瓦の熱は伝導で断熱レンガ内を通過して外気に放熱されると同時に、断熱レンガ内の水分を気化させるため気化熱が奪われてしまいます。更に、水分を含むと断熱レンガが傷みやすくなるため、出来るだけ断熱レンガに雨が当らないようにした方が好ましいと言われています。そこで、改修後の石窯に雨が当らないように屋根を広げ壁を設置することにしました。今日は石窯を見ながらどのような方法で屋根を広げるか、色々と考えました。上から降る雨を避けるためには既設の屋根材と同じものを使うことにし、横から降り掛かる雨を避けるためには屋根の下に壁を設置することにしました。今まではコンパネを使って東側と南側に壁を設置していましたが、そのコンパネも腐り始めているため、今回は波板等を使用することにしました。先日から石窯で薪を思いきり焚いていますが、断熱レンガの外側は殆ど暖かくなっていません。従ってポリカーポネイトでも十分に耐えられるのではないかと思います。明日から、具体的な屋根と壁の構造を検討していこうと思っています。

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 これが改修前の石窯に設置した屋根です、屋根と壁で石窯が塗れることは殆ど有りませんでした


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 この様に石窯の幅が広がったため、屋根からはみ出てしまいました


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 前後も伸びたため、前も後も屋根からはみ出してしまいました


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 後ろの壁も取り外したため、後ろの方は完全に屋根から出てしまいました。そのため断熱レンガはいつも水分を含んだ状態です


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 東側のコンパネの壁だけが残っていますが、雨で腐っていますのでポリカに変えようと思います
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posted by モグじー at 21:00| 徳島 ☀| Comment(0) | ログ建設記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月16日

デッキ下の雨どい補修

デッキ下も利用しよう

 元々ログの東側と南側にはデッキが有りました。ログハウスの基礎を作る時、デッキ下も含めた8bX8.5bの正方形のベタ基礎を作りました。作った後で困ったのがデッキからの雨漏りです。デッキはデッキ板を1a程度空けて張りますので、雨が降れば当然雨は下の基礎の中に落ちて基礎の中に水が溜まります。デッキの下もスペースとして有効利用しようと欲張った結果ですが、常識のある建築家なら先ずこういう設計はしません。結果的には東側のデッキは1b継ぎ足してサンルームと寝室にしました。これで東側のデッキから雨が基礎に流れ込むことは無くなりました。しかし、東側のデッキが無くなった為、今度はすでにある南側の奥行1.5bのデッキに1.5b足して奥行3b幅6bの広いデッキを作りました。基礎の上に在った奥行1.5bのデッキからは雨が降ると下の基礎に雨が落ちるためデッキの下に波板を付けて雨水が基礎の外に流れ出るようにしました。ところが、継ぎ足した奥行1.5bのデッキの下も木材置き場にしたため、同じようにデッキの下に波板を取り付け両方の波板から流れてくる雨水を1本の樋に集めて外に流すようにしました。この結果、デッキに吹き込む雨水の殆どは外に排水できていましたが、少しずつ樋が歪んだりして最近は基礎の中に雨水が結構貯まるようになりました。南東や南からの風雨の時はデッキに雨が吹きこむため、台風の時はバケツ数杯分の雨水が基礎内に貯りますので、スポンジで吸い取ってバケツに移し外に捨てる作業が夜間でも必要なため徹夜をしたこともあります。



雨樋受けをしっかりしたものに!

 今日も1日中雨の予報が出ているため、気になっていたデッキ下に有る樋の付け替えをすることにしました。これまではデッキ下の雨水を集める樋は針金で作った雨樋受けで取り付けていました。しかし、太い針金と言えども硬性はそれほどありませんので、力が掛かると変形して樋の高さが変わってしまいます。そのため樋の中を雨水がスムーズに流れなくなり、樋から雨水があふれる事態となっていました。もっとしっかりしたもので樋を固定しなければと思ってはいましたが中々作業に移れませんでした。この秋雨前線の時こそ作業時間が確保できますので、今日は朝から樋の付け直し作業をしました。雨樋受けをどんな素材で作るのか色々と考え、最終的には材木を使うことにしました。いくつか試作してみた結果使えそうなものが出来ましたので、3bの樋2本分の固定装置として14枚の木製雨樋受けを作りました。殆どがジグソーを使っての加工でしたが、何とか午前中に14枚の雨樋受けを作ることができました。昼食後は樋をその雨樋受けを使って取り付けていきましたが、デッキ下に積んでいる木材等が邪魔になって結構取り付けに苦労しました。何とか夕方までに長さ3bの樋を2本取り付けることができました。今度は針金の時に比べると非常にしっかりしていますし、木ねじで高さの調整も出来ますので、今度、デッキに雨が吹きこんだら雨樋の勾配をチェックしようと思います。

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 波板は両側が高くなっていて中央に流れてきた雨水を樋で受ける仕組みです。赤いものが針金で作った雨樋受けです


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 これまで使っていた雨樋受けです。電線をねじって二重にしたもので作っていましたが、この雨樋受けは力を掛けると簡単に変形していました。


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 板に雨樋の断面をくり抜き、その穴に雨樋を通して雨樋受けにすることにしました


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 14枚の板で14枚の雨樋受けを作りました、単調な作業ですが数が多かったので時間がかかりました


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 波板を固定する角材が波板の端から7a離れたところに有りましたので、その角材に細い角材を使って雨樋受けを固定しました


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雨樋の勾配は40aで1a下がる程度としました、中央の柱から東西に向かって3bの雨樋が下がっていく仕組みとなっています、これは西向きに下がっている雨樋です


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 これは東向きに走っている雨樋です、雨樋のすぐ下まで材木が積まれていますので、作業が大変でした

posted by モグじー at 20:52| 徳島 ☔| Comment(0) | ログ建設記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月19日

1日レンガ積みを!

台風で作業が遅れています

 予想外の台風18号襲来で石窯の改修作業が2日に亘ってストップしました。出来れば9月中に作業を終えたかったのですが、これからも色々と予定が入っていますので、9月中の完成は無理の様です。しかし、パンの在庫も残り少なくなってきましたので、出来るだけ早く作業を終えたいと思い、今日は1日断熱レンガ積みに頑張りました。今日も台風一過で天気が良く作業をしていると汗が噴き出していました。
 昨日、断熱レンガの内、内側の方を耐火モルタルを使って積みましたが、今日は外側の方ですので内側程高温にならないと思い、多めに購入したので余りそうなキャスターを使って断熱レンガを積みました。6年前に、この石窯を作る時、耐火レンガをキャスターで積みましたがそれほど苦労はした記憶は有りません。しかし、断熱レンガはスポンジの様に水を吸収しますのでキャスターを塗ってもすぐに乾燥し、ハンマーで叩いてもすでにキャスターが固くなってレンガの位置の調整が出来ません。緩めにキャスターを練ってもあまり効果は有りません。最後にはキャスターを塗るレンガの面に霧を吹きかけましたが効果は殆ど有りませんでした。先日、専門家のTさんに断熱レンガを積むときレンガを水に浸すのか聞いたところ水に浸しては駄目と言われましたので水に浸す訳にも行きません。困ってパソコンを見たら、非常に緩く練っているUチューブが目に入りました。そこで、思いきり水を加えてレンガを積んだところやっと積めるようになりました。ただ、きちんとレンガが接着できているのかかなり怪しい感じです。
 朝7時から夕方6時まで頑張って、何とか外側の断熱レンガを積むことができましたが、レンガを水平に積んだ場合、ドームの下の方は2枚並べて断熱レンガを積めば断熱層の厚さは計画の25aになりますが、ドームの上の方に行くと2枚重ねても13a程度の厚さしか取れません。断熱層を25aにするには場所によってはレンガを4枚重ねることになりそうです。

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 外側の断熱レンガを積み終えた石窯の右側です。二十にレンガを積んでも上に行くほど断熱層の厚さは小さくなります


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 作業を終えた段階での断熱レンガの状態です、断熱層の厚さが小さい部分は更にレンガを重ねる必要があります。
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posted by モグじー at 20:22| 徳島 ☁| Comment(0) | ログ建設記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月05日

沢山のお土産とレンガ

警報が鳴り続け汗びっしょり

 昨日、23号線を目指して走り始めた所、警報音が鳴ったり止んだりし始めました。積荷が重すぎてどこかに無理が掛かって警報が鳴っているのかもしれない、ただし、計器類の表示画面には何の警報マークも点灯していません。冷却水の温度も普通です、鳴ったり止んだりで全く何の警報かもわかりません。カーナビの辺りで鳴っていますので、カーナビかもしれません。カーナビの設定が上手くいかず、カーナビの指示を無視してばかりですので、その警告かなと思いましたが、それもおかしい感じです。この警報音に1時間余り悩まされました。やっと、23号線に入りコンビニで車を止めて良く調べたところ助手席シートベルトの警報音でした。助手席には誰も乗っていないのに…そしてやっとわかりました。実は今日Tさんから大きなスイカを戴いたので助手席に乗せていました。更にOさんからも沢山のお土産を戴きましたのでそれも助手席に積んでいました。荷物を人間と誤解してシートベルトの警報音を鳴らしていたのです。スイカにシートベルト…
 まあ、目が見えていないので仕方ありません。スイカなど重たい荷物を床に移動させたところ見事に警報音は止まりました。
 戴いたスイカは冷蔵庫に入れ、Oさんから戴いたパンやお菓子類は早速今朝の朝食で食べさせて貰いました。オーブンでのパン焼き歴はOさんはベテラン域ですのでどれも綺麗に美味しく出来ていました。お菓子の方も妻は早速試食し、甘党ですので美味しいと喜んでいました。又、Oさんの友人からもお土産が有りました、それはパン袋でした、是非使って下さいとのことでOさんが預かって来られたそうです。長さ50aのバゲットの袋も有りました。この袋を見ると、長いバゲットに挑戦したくなりました。昔一度だけ長いバゲットに挑戦したことが有りますが、その頃はクープが上手く開いていませんでしたので、とても惨めなバゲットとなってしまいましたが、何時の日にか再度長いバゲットに挑戦し、綺麗に焼き上がったら、この袋に入れてみたいと思います。Oさん、そしてお友達の方、更にTさん、お土産本当にありがとうございました。

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 Oさんから戴いたロールパン(一つは餡入り)、黒糖入りの食パン、カレンズの入ったカレンズパンです。カレンズパンは薄く切ってローストしましたが、お菓子そのものの感じでした


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 Oさんが作られたアイシングクッキーともう一つは名前が分かりませんが和菓子風の物でした、クッキーの方は余りに可愛らしく口に入れることはできません。



資材のお土産もたっぷりです

 昨日は午前1時に到着し荷下ろしをして寝ました。今朝は7時にやっと起きて、朝食を済ませ早速トラックを戻しに行ってきました。取り敢えず、大量の資材の写真を載せておきます

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 荷台に積まれたレンガとキャスター類です、この写真はログに到着した後荷下ろし前に撮りました


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 駐車場に置かれた500枚の断熱レンガです、これを今月中に使う予定です


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 雨が掛からないように取り敢えずブドウ棚の下に置いたキャスターと耐熱モルタルです
posted by モグじー at 23:51| 徳島 🌁| Comment(0) | ログ建設記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月21日

「おいでませ」訪問

4時間で到着

 今日は姉のお見舞いで鳴門から山口に向けて走ります。山口で色々な用事が有りますので鳴門を朝の5時に出発し、平均速度110`程度で飛ばして午前9時過ぎに無事、防府市に在るモグジーの実家跡に到着しました。最初の仕事は実家が有った敷地の測量です。実家には大きな石庭が有りましたが、それが障害だったのか跡地がなかなか売れなかったため、今年の6月に石庭を全て解体し更地にして貰いました。しかし、2ヵ月間で雑草がまたたく間に繁殖して腰の高さ近くまで地面を覆っていました。跡地の境界線を確認する為、跡地の辺の長さを測らなければならないのですが、雑草が邪魔になってかなり苦労をしました。30分程度かかって測量と敷地外に伸びた雑草を抜くなどの作業を終えました。

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 更地に2ヶ月後には雑草が生い茂っていました、雑草は高いところでは人の背丈までありました



山口法務局へ

 測量を終えると、山口市にある姉が入所しているグループホーム「おいでませ」に向かいました。「おいでませ」でお土産の食パンやジャムを渡し、姉に会った後、山口市立図書館で妻や次女家族を降ろし、モグジー一人で山口法務局へ向かいました。両親が住んでいた実家跡地を売るにあたって敷地境界線が不明な部分が有りそれを調べることが今回の大きな仕事の一つです。隣地との境界に幅40a余りの水路が有りますが、現地に境界を示す杭が無いため境界線が分からないのです。法務局で地積測量図をとって敷地の寸法を知りたかったのですが、残念ながら該当地の地積測量図は無いとのことでとることができませんでした。ただ地積図を請求して調べた結果、地図上では水路は無いとのことで、水路の部分は敷地に含まれ、境界線がどこに在るかは、隣地の方に聞いてみてくださいとのことでした。

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幅40a余りの水路の両側にブロック塀が築かれていますが、附近に境界線を示すような杭は何処にも見当たりませんでした


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 姉はモグジーのことをどう認識しているのか分かりませんが、時々笑顔を返してくれます



宇部市へ

 法務局での用事は30分余りで終わり再び市立図書館に行って妻や次女家族を車に乗せましたが、市立図書館は新しくて施設も綺麗で蔵書も豊富とのことで本を楽しく読んでいたそうで、予想より早く迎えに言ったためブーイングが出ていました。図書館を出るとリハビリ病院に入院中の義兄(姉の夫)のお見舞いに行き、しばらく話をした後、宇部市にある親戚の叔母さんの家に向かいました。宇部市はモグジーが小学校入学前から高校1年まで過ごした街でとても懐かしく、山口県に帰ると良く訪れています。叔母さんは90歳を超えておられますが今も昔からの家で一人で住んでおられ、その元気さにはいつも驚かされます。ログにも何度か遊びに来ていただきましたが、何時まで経っても付き合いは絶えません。色々と懐かしい話をした後、山口市湯田温泉に在るホテルに向かいました。



夜はいつもの様に「大富豪」を!

 ホテルには4時過ぎに到着し、早速部屋に落ち着きましたが、モグジー以外はお風呂に行き、モグジーは寝不足が続いていましたので仮眠をとりました。夕食後はいつもの様にトランプゲーム「大富豪」をしました。孫たちがログに帰ってくると夕食後は時々大富豪をして遊んでいましたが、今回の帰省では色々と行事などが重なって「大富豪」を一度もしていません。ホテルで宿泊するときは用事も有りませんので、孫と自由に遊ぶことができます。5人で「大富豪」をやりましたが、モグジーはいつやっても一番ビリで「大貧民」ばかりをやらされます。トランプがヘタな上に運が悪くて配られる札が最悪のため「大貧民」からなかなか抜け出せません。でも、人生ではそれほど運は悪くありませんので、トランプでは甘んじて不運を受け入れることにしています、お蔭様で孫がゲームに負けて泣くことはありませんでした。

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 ホテルに泊まるといつも布団の上にトランプを並べて「大富豪」を楽しんでいます。今回も圧倒的に強かったのは妻でした、これは現実とぴたり重なります
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posted by モグじー at 19:30| 徳島 ☁| Comment(0) | ログ建設記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

今日でお盆も終わり

地区の納涼祭へ

 今日は夜6時からウチノ海総合公園で鳴門西地区の納涼祭が開かれました。納涼祭は阿波踊り「鳴西連」の踊りが中心となるため、モグジーも孫の踊りを見るため参加しました。いつもは公園の波打ち際に在るプロムナードデッキで行われ、横に階段状の石積みのスタンドがあるため非常に見やすかったのですが、今年は雨の予報が出ており、しかも午後3時ごろ雨が降ったため、急遽会場が変更となり屋根のある狭い催し広場で行われました。
 上の孫のNちゃんは来年は中学生になるため「鳴西連」で踊るのは今年が最後です。そして、今年の阿波踊りは今日の納涼祭での踊りが最後ですので、実質的に今日でNちゃんの阿波踊りは終わりました。踊る姿を少しでもカメラに納めようと頑張ってシャッターを押しましたが、建物の柱が有ったり、同じ高さの目線からしか写真が撮れない為、余り良い写真は撮れませんでした。
 納涼祭では「鳴西連」は最初と最後に踊って祭りを盛り上げましたが、納涼祭に参加する住民は納涼祭に出演する阿波踊りやフラダンスなどの関係者が殆どで一般住民の参加はほとんどなく、その面では淋しい感じのお祭りでした。
 昔、この島が塩田で栄えていた頃はきっと村ぐるみの盆踊りが行われていてとても賑やかだったと思います。今は新しくこの島に住み始めた住民が島の人口の大半を占め、昔からの伝統は失われつつあります。この現象は今の日本ではどこにでも見られることと思いますが、この地区では少しでも「住みよい地域を作る試み」が色々と行われており、モグジーも地域のことに少しでも関心を持たなければと思っています。
 納涼祭の最後に全員参加の福引が有り、賞品として、袋菓子やカップめんや地元産の梨が数個入った袋や鳴門金時が数本入った袋や卵などが有りました。モグジーは袋菓子だけは当たらないようにと思っていたら、ドンピシャで袋菓子が当ってしまいました。欲を持つと駄目ですね…

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 今年は雨の心配があるため屋根がある催し会場で納涼祭が行われました、出演者と同じ平面のため演技を見るのがやや難しく盛り上がりに欠けました


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 天気が良ければ、この様に海を背景にした舞台で行われる演技をスタンドから見ることができるのですが


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 最後の阿波踊りを踊る、上の孫のNちゃんです。「鳴西連」は小学6年生までしか踊れませんので、今年6年生のNちゃんは「鳴西連」を今日で卒業です、本当に良く頑張りましたね


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 嬉しそうな表情で踊る下の孫のMちゃんです。小学3年生ですので、まだ3年間踊ることができます


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 納涼祭のフィナーレは「鳴西連」の総踊りでした、これで今年の阿波踊りも終了しました、上の孫のNちゃん本当にご苦労様
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posted by モグじー at 22:24| 徳島 ☁| Comment(0) | ログ建設記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

60才からの挑戦

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