2017年12月04日

いよいよ始まりました!

又もや抽選漏れに!

 23時に大阪を出発した高速バスは福石(岡山)と喜志(福岡)でトイレ休憩を取ったあと予定通り今朝の9時前に目的地の熊本交通センターに到着しました。腰が痛くて何度も姿勢を変えましたが10時間の内6時間程度は眠れたのではないかと思います。バスを降りても身体はしっかりしていました。心配していた雨も霧雨が少し降っただけで全く問題は有りません、早速、裁判所に向かって歩きはじめました。熊本の町は2回目ですが今回驚いたのは街路樹のイチョウ並木でした。大阪に住んでいた頃、御堂筋のイチョウ並木を見たことが有りますが、綺麗さが全く違います、樹が生き生きしていて鮮やかな黄葉は素晴らしく歩道には枯れ落ちた葉がふんわりと積もっています、思わず写真を撮ってしまいました

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 街路樹のイチョウ並木は黄葉がとてもきれいで思わず見とれてしまいました

 前回は初めての熊本ですので、裁判所を目指して熊本駅から歩きましたが道に迷ってしまい2時間も掛かってしまいました。お蔭様で大体の街のイメージをつかむことが出来、今回は降車場所の交通センターから地裁まで20分余りで到着できました。9時半過ぎですので誰も関係者は来ていません。今日は1時から地裁正門前で門前集会を開き、その後、傍聴券を求めて並び、2時から公判が始まります。食事がてらに附近を散歩し12時に地裁に戻りました。ホールのイスには数名の方が来ておられましたので、モグジーも椅子に座り読書をして時間が来るのを待ちました。1時頃になると100名近くの関係者が集まってきましたので、門前集会が始めりました。弁護団長や訴訟団長の挨拶が有った後、入廷行動が有り、我々は原告団や弁護団を見送った後、傍聴券を求めて並びました。

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 列を組んで入廷する原告団と弁護団です、最前列左から2人目の方が原告団団長の林力さん(93才)で右端が副団長の黄光男君(62才)です

 地裁の法廷は狭く傍聴席は30席余りしか有りません。前回は傍聴を求めて100名近くが並び、モグジーは抽選漏れとなりましたが、ある方に傍聴券を譲っていただき傍聴することが出来ましたが、今回は130名余りの方が並んでおり、かなり悲観的になりましたが、予想通り抽選に外れました。致し方ありませんので、裁判中は近くの熊本城公園に行き一時を過ごしました。熊本の町は地震による被害の後は殆ど目立たなくなりましたが、熊本城は復旧には大変な時間が掛かるようで、あちこちに、無残な姿が見えます。築城以来、何度も地震は有ったと思われますが、殆ど当時の被害は残っていないのに、今回の地震による被害は甚大で改めて地震の怖さを思い知らされます、それでも、復旧工事が急ピッチで進められているようです。

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 天守閣の工事も急ピッチで進められていました


本格的な攻防が始まる

 今日の第7回口頭弁論期日では黒坂愛衣、東北学院大学准教授の証人尋問が行われます。証人の意見陳述に続いて原告側、被告側、裁判官の証人尋問が行われますが、証人の意見陳述だけでも1時間はかかると聞いていますので、審理は時間が掛かると思い、モグジーは4時に地裁に戻りました。しかし、審理はまだ終わっておらず、外で待ち受ける関係者は、審理がどのような状況に進んでいるのか心配しながら待っていましたが結局、審理が終わったのは午後5時前でした黒坂さんの意見陳述の内容については審理が始まる前に、弁護団から意見書のコピーが配布されていましたので読んで理解できていました。しかし、モグジーを初め、遠くから裁判を傍聴するために集まった関係者の内、大半の者が傍聴できず、皆、長い審理の中でどんなやりとりがあったのか、全く分かりません。

  関係者は近くのホテルで5時半から開かれる報告集会に駆けつけ、弁護士からの報告を一字一句聞き逃すまいと思って必死で聞きました。黒坂さんは、2004年から現在まで多くのハンセン病であった人々やその家族から聞き取り調査を行い、差別の実態を明らかにしてきましたが、今日の意見陳述では、特に家族が受けた被害について、社会学者として詳細かつ具体的にその内容を陳述されたそうです。これまでの審理では殆ど反対尋問をしなかった被告・国側の弁護団から、今日は執拗な尋問が有ったそうです。

 今回の裁判では568名の原告が国の誤ったハンセン病に対する政策の結果として受けた被害に対する賠償金を一人当たり500万円として請求しております。その根拠を黒坂さんは意見陳述の中で強調しました。しかし、国側は差別の実態は個々人によって違い、請求できない人もいるのではないかとの論旨で尋問を繰り返したとのことです。裁判官は基本的には事実に即した証拠によって判断します。患者本人の国家賠償請求訴訟では、原告患者全員に対し均等の国家賠償を請求しましたが、2001年の判決では裁判所は原告患者の入所時期、入所期間によって賠償金額に差額を付けた判決を出しています。入所期間は療養所の記録に残っているため実態がかなり正確に把握できますが、差別の実態を証拠を示して訴えるのは非常に困難であり、これからの裁判闘争の難しさが予見されます。どのような物差しを提示すれば壁を越えることが出来るのか…



隣の席も埋まる!

 7時前に報告集会が終わり引き続き懇親会が有るとのことですが、今回は懇親会は欠席することにしました。前回は裁判当日は熊本に泊ったのですが、今回は交通センターを午後9時半に出る夜行バスに乗らなければなりません。移動の時間、夕食の時間等を考えるとあまりゆっくりできませんので、報告会が終わると交通センターを目指して歩きました。夕食を交通センター近くでとることにしましたが疲れているので、ゆっくりと時間を過ごせるところで食事をとりたいと思い、商店街の中をあちこちと歩きました。しかし、適当な店がどうしても見つかりません。色々と迷いましたが最後は日頃は先ずは入らないマクドナルドに入りました。ここだったら、本を読みながら時間が潰せそうです。注文の仕方も分からず戸惑いましたが、何とか、ハンバーガーなどを注文して2階に上りました。そこにはテーブルとイスが沢山置いてあり、皆、思い思いに時間を過ごしています。マックで正解でした、ハンバーガーやポテトチップスをかじりながら、本を読んでゆっくりとバスの出発時刻を待つことが出来ました。これで、ハンバーガーが好きだったら問題なしですが、ハンバーガーはちょっと苦手なもので…

 9時半に予約していた夜行バスに乗り込みました。一緒に乗りこんだのは数名でしたので、平日は少ないかもとちょっぴり期待したのですが、バスに乗り込むとすでに熊本駅で乗り込んだ人が結構いました。それでも、途中停まった3ヶ所の停留所では隣の席が埋まらなかったのですが、最後の停留所で隣に若い男性が乗り込んできて万事休すです。ただ、熊本に来るときも、一つ座席で殆どの人が長時間を過ごしていましたので、頑張ってみることにしました。同じ姿勢を続けるのが良くないと思い、100均の枕とクッションを膨らませて、体位に変化を付けることに力を入れました。枕は首に挟んだままにして、クッションをお尻から背中に掛けて30分ごとに移動させ姿勢を変えました。これが効果が有ったのか、正面を向いて座ったママでもそれほど腰は痛くならず、半分以上の時間を寝て過ごすことが出来ました。この経験はモグジーにとっては大収穫です、これだったら4人掛けシートも怖くなくなり、これからは夜行バスも心配せずに利用できそうです。

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2017年12月03日

傍聴のため熊本へ

今回は高速バスで

 12月4日に熊本地裁でハンセン病家族訴訟の第7回口頭弁論期日が有りますので前回に引き続き傍聴するため熊本に向かいます。前回はフェリーで徳島〜門司を往復し、JR電車で門司〜熊本を往復しましたが、今回はどのような交通手段を使うか色々と検討した結果、最終的には高速バス利用することにしました。高速バスで熊本に行く方法は直通便はない為、@徳島〜博多〜熊本便、A徳島〜神戸〜熊本、B徳島〜大阪〜熊本の内から一つを選ばなければなりません。値段的には@とBが片道9000円程度でAが2000円ほど高くなります。今回はBを選びました、理由は熊本〜神戸は熊本〜大阪に比べ2000円余り高いのと神戸〜徳島のバス便が少ないためです。大阪経由の場合、熊本行きのバスは23時に大阪を出発しますので、今日は1日が有効に使えますし、5日も午前中に帰って来れるため丸1日潰れるのは4日の1日だけです。フェリーで行った時は丸3日が潰れましたので、多忙な今の時期は時間を取ることにし、夜行バスを選択した次第です。



K君に会えて良かった

 今回、大阪経由を選んだのは大阪で人に会えるからです。23時発であればゆっくりと人と会うことが出来ます。誰に会おうかと考えた時、真っ先に頭に浮かんだのがK君でした。K君は先日の関西テレビのドキュメント「誰にも言えなかった」に登場したF君にとっては欠かすことのできない友人で私自身が教師になって最も学ばせてもらった生徒です。そして、交換ノートで何度も思いを書いてF君を励ましてくれました。私達家族が兵庫県を離れ大島に住んでいた、「俺の嫁さんを見てくれ」と言って夫婦で島を訪ねてくれたK君夫妻、私達夫婦にとっても大切な存在でした。被差別の厳しい環境で育ったK君、必死で生きてきたK君が定年前の55歳で早期退職しました。退職理由を深くは語らなかったため、彼なりの思いが有って早期退職したと思っていましたが、きちんと理由を聞くこともなく今日に至っていました。今回は時間がたっぷりありましたので、お互いに、色々なことを話し合いました。彼の口から語られた退職理由を聞いたとき、どんな状況でも弱音を吐かなかったK君が退職を選択せざるを得なかった苦境に、返す言葉も有りませんでした。K君を支え続けたお嫁さんや子供たちの力も有って、昔の儘、まっとうに生きているK君の姿を見て心からの喜びを感じました。K君の口から語られるお嫁さんや子供たちやお孫さんの話に相槌をうちつつ、お嫁さん手作りの夕食を食べているとあっという間に3時間が過ぎ、慌てて帰り支度をし大阪へと急ぎました。無事にバスに乗れホッとし、K君との話を思い出しながらもとても豊かな気持ちで熊本に向かうことができました。



ラッキー! 隣が居ない!

 モグジーは電車に乗ったり、バスに乗ったりするのは全く苦になりませんと言うより楽しくて好きなのです、又、お金がなかったことも有りますが、長距離を各駅停車で行くのも全く苦にならず、大学の時はいつも山口まで夜行の各駅停車で帰省していたし、大学生の時は北海道まで各駅停車で3日間かけて行きました。東京にも各駅停車で行っていましたが、そのうちに夜行の普通長距離列車が無くなり、結局は新幹線を利用するようになりました。でも、新幹線ほどつまらないものは有りません、景色も楽しめないし、全く旅をしている気分になれません。安い値段で長時間楽しめる各駅停車の旅は最高です。子供たちが東京で暮らすようになると夜行バスで往復していました。昔は夜行バスに乗ってもそれほど苦にはならなかったのですが、年を取ると腰が痛くなりあまり眠れなくなり、最近は専ら車で東京まで走っています。最近は一人での車の長距離移動は危険と言って妻から許可がおりませんし、金額的にも高くつくので、公共交通機関を利用するようになりました。熊本行きも勿論車での移動は許可が出ませんので、交通機関を利用することにしました。前回はフェリーでしたので身体は楽だったのですが、今後何度も熊本に行くのであれば、毎回フェリーを利用するのも気が進みません。そこで思い切って夜行バスにしたものの、一番の心配は長時間耐えられるかと言うことです。東京までは7〜8時間ですが熊本までは10時間掛かります。しかも、値段が最安の便を選んだため4列シートですので身動きがほとんど不可能です。そこで、今回は、乗る前に100均で枕とクッションを購入しました。これで少しは身体が楽になるかと思っていましたら、何とバスに乗ったところ8割程度席が埋まっていたのに幸運なことにモグジーの隣の席は誰も乗りこんできませんでした。これだったら少しは楽かもしれないと思いましたが、いざ、バスが走り出し、時間が経つにつれ腰が痛くなって来ました。色々と2人分の席を使って姿勢を換え、何とか10時間を耐えましたが、殆どの方は一つの席でずっと耐えておられました。帰りはどうなるのだろうかといささか不安になりました。
posted by モグじー at 21:45| 徳島 ☀| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月02日

綺麗になりました

細々とした細工を!

 昨日、屋根の拡張と囲い設置の工事がほぼ終わりましたので、今日は先ず道具や材料の切れ端やゴミの片付けをした後、残っていた細々とした細工をしました。先ず最初にしたのが、拡張した屋根の棟金物の取り付けです。いつもは自分で棟金物を作るのですが、長さも30a程度しか無いため、過去に使った水切りの切れ端を使って何とか格好を付けました。

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 拡張した屋根の棟は屋根材が直角に交わっています。本格的な棟金物を作る元気がないので簡単に済ますことにしました


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 使ったのは水切りの一部です。この水切りでも隙間をコーキング剤で埋めれば何とか格好がつくのではないかと思います

  
 次に、石窯の後ろ側に在る、煙突のダンパーを操作するために波板に穴を空けました。今回の石窯改修で新たに設けたダンパーですが、試し焚きをしたところ、結構役立っている感じですので、囲いを作った後もダンパーを操作できるよう、開口部を作りました。

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 後ろ側の波板に幅15a、高さ3aの開口部を作り、その穴から指を突っ込んでダンパーの鉄板を出し入れするつもりです


 屋根と煙突の取り合いは、先日ホームセンターでステンレスで作った円形の金物を見つけましたので、取り敢えずその金物を取り付けてみました。煙突のすぐ横に煙突を支えるための支柱が2本立っているため、金物を取り付けるのに苦労しましたが、最終的は取り付けが何とかできましたので、取り敢えずは、これでライトキャスターが届くまでしのぐことにします

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 ステンレスの円盤で何とか格好がつきました。しかし、あくまでも応急的な処理であって、後日きちんとした施工をしようと思います。


 その他もろもろ

 また、水路側の囲いには、以前取り付けていた、ホースを掛ける円盤を取り付けました。ホースを収納するときに、これが有れば非常に便利です。

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 この様にホースを大きく巻いて収納しておけば必要な時にすぐホースを取り出せます。


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 過去の石窯で設けていた加熱炉は、当分使うつもりが有りませんので、綺麗に掃除して石窯で薪を焚くときに使う道具類を収納することにしました。


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 前の石窯では窯の左側に燻製炉を置いていましたが、幅が30aほど広がったため、燻製炉が置けなくなりました。狭くなったスペースはパン焼き道具や古材などを入れています
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2017年12月01日

石窯工事もほぼ終了

先ずは、波板貼りを

 今日は風が強いものの雨の心配は全くありませんので、テニスの練習が終わりログに戻ると早速、石窯に囲いを設置する作業をしました。昨日までに、石窯の東側と西側の囲いを設置し、南側は波板のカットを終えていますので、今日は南側に波板を貼り付ければ囲いが出来上がります。今回、石窯の周囲に設けた桟に波板を固定する際、桟が太くてしっかりしている場合は、傘釘で固定し、桟が細くて釘の打ち込みが難しいところは釘の代わりに木ねじを傘にさしこんでドライバーでねじ込んで固定しました。南側の波板固定が終わると、西側と南側の波板の下端部を一直線にカットしました。下端部が凸凹しているよりは一直線の方がスッキリします。

 波板の固定作業が終わると、以前、東側のコンパネに取り付けていた水道水の水栓と雨水の水栓を、今回の囲い設置作業を進めるにあたって取り外していましたが、囲いが完成しましたので、二つの水栓を元の様に取り付けました。

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 東側から見た屋根と囲いです、取り外していた水栓も元の状態に戻しました


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 西側から見た囲いです、こちらから見ると波板が透明でレンガが見えるのが良く分かります


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 南西の方から見た囲いです、波板の下端部も一直線になるようにカットしました



残るは煙突の部分です

 今日で、屋根と囲いはほぼ完成しましたが、今後の作業として残っているのは屋根と煙突の取り合い部分の細工です。屋根と煙突は密着させず幅2aの隙間を作っています。このままであれば当然隙間から雨水は入りますので隙間を埋めなければなりません。今の考えでは隙間は断熱材のライトキャスターで埋めようと思っています。ただ、ライトキャスタできちんと埋まるかどうかは実際に作業をしてみないと分かりません。いずれにしろ何とかなると思いますので、取り敢えず、石窯の再生工事は3ヶ月かかってやっと終了しました。後は時間を掛けて窯になれることだと思います。
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2017年11月30日

完成目前で日没

先ずは屋根を完成させよう

 石窯の屋根工事は、当初は簡単な方法でやろうと思って屋根材のコロニアルを購入しましたが、実際に、屋根材を置いてみたところ、余りに貧弱でしたので、最初に屋根を作った時と同じ工法で屋根を拡張することにしました。この工法で工事をすると屋根材が大幅に不足するため取り敢えず先ず下地の工事をし、屋根材は有る分だけを張りました。昨日、買い物に出掛け足らなかった屋根材を購入しましたので、今日の作業は、先ず屋根材を張る作業から始めました。下地の手直しヶ所がいくつかありましたが、午前中に屋根の拡張工事は無事終了しました。

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 取り敢えずコロニアルを張り終えた石窯の屋根です。まだ、煙突の取り合い部分や既設部分と延長部分の境目にコーキングを流したりする作業が残っていますが、大きな工事は終わりました



囲いに波板を貼りました

 囲いに波板を貼る作業は昼食後から始めました。波板を止める桟がまだ未完成でしたので先に桟を仕上げ、水道の水栓を取り付ける部分には補強のためコンパネを取り付けておきました。波板は長さ180a幅60aのポリカーポネイト製の物を10枚購入しておきました。まずは一番簡単な西側の囲いに波板を貼る作業をしましたが、波板のカットは半分にするだけですので簡単に済みました。次に東側の囲いに波板を貼る作業に移りました。東側は基本的にはそのままの状態で波板を3枚張るだけですので、簡単に終了しました。最後は南側の囲いに波板を貼りますが、この面は形も複雑で有るため、非常に手間取りました。何とか、今日中に波板貼りを終えたかったのですが、今日はどんより曇っていた為、暗くなるのが早く、結局は波板の加工が終わった段階で真っ暗となりましたので、南側の波板貼りの作業は明日に延期となりました。

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 東側の囲いの下部に水道水と雨水用の蛇口を漬けるため、下の方にはコンパネを貼りました。


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 余りに暗くなるのが早かったため、東側の囲いだけは何とかフラッシュを使って写真を撮れましたが、西側の囲いは綺麗に撮影できませんでした
posted by モグじー at 21:08| 徳島 ☁| Comment(0) | 石釜・燻製炉作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月29日

家族探し

奪われた8年間は帰ってこない!

 今朝未明1時25分から2時35分迄、関西テレビのドキュメンタリー「誰にも言えなかった〜ハンセン病家族の告白〜」が放映されました。正直に言ってどんなものが出来るか不安も有りましたが、見終えた後もモグジーの心の中に興奮が続き、良い作品を作って下さった関係者の方々への感謝の気持ちが全身を熱くしてくれました。
 モグジーはブログでこのドキュメンタリーについては何度か書いてきましたが、主人公F君はモグジーが工業高校で教師をしていたときに受け持った生徒で、F君が1歳の時、母親がハンセン病を発病し療養所に強制隔離されました。母親が軽快して社会復帰するまでの8年間、施設に預けられたF君が高校2年生の時、「どうして自分だけが家が貧乏と言うだけで施設に預けられたのかと言う母親に対する疑問を抱きながら成長していったため今でも母と心から打ち解けることが出来ない」という生い立ちを書きました。小学4年の頃、F君は母親から病気のことは聞いていましたが、文章の中にハンセン病と言う言葉は有りませんでした。それから、ずっとF君は母親の病気のことを隠して生きて来ました。F君が自らハンセン病という言葉を発するまでにとても長い時が必要でした。



山は動いた!

 ハンセン病療養所に強制隔離された人々が国を相手に謝罪と国家賠償を求める裁判をおこし2001年に国が敗訴して以降、少しずつ入所者の気持ちが変わっていきました。それまで、取材でカメラを向けられても殆どの場合後ろ姿しか見せなかった入所者が真正面を向いてカメラに収まりはじめました。後遺症で歪んだ顔は決して恥ずかしいものではなく、困難な中を生き抜いてきた誇るべき証となりつつありました。この事は、差別と偏見を恐れ決して身内にハンセン病の家族がいることを明かさなかった家族にも勇気を与え、家族も前を向き始めました。この様な入所者の姿、家族の姿を見て「大きな山が動いた」とモグジーは思いました、その励ましの中でF君はやっと母親がハンセン病であったことを語り始めました。しかし、その後、F君の母親が飛び降り自殺をし、その8年後父親も飛び降り自殺をしました。
 亡くなった母親の顔を見てもF君の目から涙は流れませんでした、辛いことですが、普通の母と子の関係を持つことが出来ないまま永遠の別れとなってしまったのです。F君と母親との8年間の空白は、その後母親と共に過ごした40年の歳月をもってしても決して埋めることが出来ませんでした。この8年間の空白こそが、国の誤ったハンセン病政策が作り出したものなのでした。
 最後にF君はカメラの前で、語っています「生い立ちを語るということは、自分の話を聞いた人が元気になってくれるので話すというのではなく、自分自身の生き方を問うために話すのです」と。自分自身との闘いが始まりました、父親探し、母親探しの闘いです。そして、モグジー自身、今回の取材を通して、満州引き上げと言う過酷な歴史の中でモグジー自身の命を紡いでくれた父親探し、母親探しの闘いの緒に就きました。



家族に向けて

 今回のドキュメント制作のための取材についてF君から協力を求められた時、モグジーは即座に協力させて貰いますと返事をしました。止む終えぬ事情でハンセン病療養所を去ることになったモグジーにはどうしても気になることが有りました。それはハンセン病患者の家族の問題です。ケースワーカーとして多くの家族にお会いしてきましたが、家族はハンセン病のことを隠すことで辛うじて世間の差別と偏見から身を守って来ました。家族会を組織してお互いに励まし合うことなど考えられなかったのです。家族は孤立し沈黙してきました。テレビやラジオからハンセン病という言葉が聞こえてくるとチャンネルを変え、新聞にハンセン病と言う活字を見つけると新聞を隠しました。
 熊本地裁で勝訴判決が下りたというニュースは全国の療養所に流れ、多くの入所者の方々は喜び合いました。しかし、外にいる家族はそのニュースをどんなふうに聞いたのでしょうか。家族で喜び合えたのは、ごく少数の方々ではなかったかと思います。大臣の謝罪の言葉も勿論耳に入らなかったと思います。家族の耳に何とかして届けたいと強い気持ちで謝罪の言葉が述べられたのでしょうか。一般国民の耳にではなく、家族の耳に届く言葉が語られたのか…
 そして、今回の「誰にも言えなかった〜ハンセン病家族の告白〜」に関係した私は、再び同じ思いに駆られました、「私は家族の心に届く言葉を発することが出来たのだろうか…」。それでもモグジーは「このドキュメンタリーを一人でも多くの家族に見て欲しい」と切に祈っています。



ハンセン病問題は終わっていない

 療養所入所者がゼロとなっても、ハンセン病の問題は決して終わってはいないと思います。多くの家族は自分の父親、母親、兄弟、姉妹を探し出せていません。そして遺骨は家族に迎えられることなく療養所に残さたままです。患者をふるさとから追い出す「無らい県運動」は有っても、その逆の患者をふるさとに迎える運動は無いに等しいのです。家族に遺骨を返そうとすると、どの場合家族に拒否されると思います、この時こそ家族に通じる謝罪の言葉が必要なのです。謝罪の言葉をマスコミに喋っても家族には届きません。誤った政策により家族を奪ったことを家族に伝わる言葉で直接伝えねばなりません。もう、ほっておいてほしい、静かにお参りしたいと多くの入所者の方は言われるでしょう。そして「入所者も家族も懸命にお互いを忘れることで生き抜いてきたのに、そっとしておいてあげた方が良い、家族を思い出させるのは余りに残酷なことではないか」とケースワーカーとして家族に関わろうとした時に何度か言われました。しかし、入所者は決してふるさとを家族を忘れていませんでした。ほっておくことは、日本におけるハンセン病問題を永久に埋め込んでしまうことになります。いつの日か、1人でも多くの家族が家族探しのため療養所を訪れる日が来ることを切に願わずにおれません。
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posted by モグじー at 00:55| 徳島 🌁| Comment(2) | ログ建設記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月28日

久し振りの釣り

餌の豆アジが釣れず

 石窯の屋根広げと囲いの工事もやっと目途が付いてきましたので、久しぶりに釣り陽気に誘惑されて釣りに出かけることにしました。潮を見るとそれほど早くから出かけなくても良さそうですので、朝食を食べて7時前に桟橋を離れました。狙うのは勿論アオリイカですが、近所の方の話では餌の豆アジがなかなか釣れないうことですので、豆アジが釣れなかった場合のことも考えて鯛釣りのサビキも今日は準備しました。
 風も無く晴れていて非常に暖かく、気持ち良く船は走ります。先ずは亀浦港の近くのポイントで豆アジ釣りをしましたが、情報通り全く豆アジは釣れません。サビキに掛かるのはオセンばかりです。20分余り頑張りましたが、とても釣れそうにありませんので、アオリイカ釣りは諦めて、鯛釣りをすることにしました。



最初の1匹だけ

 沖の方には鯛釣りの船が20隻余り見えます。最近の釣果情報は知りませんので取り敢えず釣り船の集団の近くに行って仕掛けを投入しました。魚探を見てもそれほど釣れそうな魚影は映っていません。周りを見渡すと時々小さめの鯛が上っています。鯛釣りを初めて20分余り経った頃、突然当たりが有りました、間違いなく鯛の当たりです、かなり、引きが強く、慎重にリールを巻きました。海面に上ってきたのは40a余りの鯛で、久しぶりの鯛にちょっぴり興奮しました。しかし、その後は、色々とポイントを変えましたが、全く当たりは無く、一度ガシラが釣れただけで、時間ばかりが経って行きます。今日は11時頃、長女が孫を連れてきて子守をしなければなりませんので、粘らずに11時過ぎに納竿しました。1匹でも釣れていたので、気分よく納竿できたと思います。まだ、アオリイカは釣れるとのことですが、肝心の豆アジが釣れませんので豆アジの確保を考えなければなりません。

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 鯛は44aありました、刺身にはちょうど良い大きさですので、今晩は鯛の刺身が食べられます
posted by モグじー at 18:23| 徳島 | Comment(2) | 魚釣り日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月27日

工事は順調に

好天に恵まれ

 昨日と違って今日は良く晴れて絶好の作業日和となり、いつもと変わらない服装で作業をしていたところ、暑くて汗がたっぷり出るほどでした。勿論作業もドンドン進み、後1日あれば屋根と囲いが完成しそうです。屋根の方は下地まで出来ましたが、屋根材のコロニアルを正常は方法で張った為、コロニアルが足りなくなり、後日、ホームセンターでコロニアルを購入してから仕上げます。

 囲いの方は、角材等を使って、ポリカの波板を打ち付ける木枠を作りましたが、今日1日で木枠が完成しました。木枠に打ち付けるポリカーポネイトの波板はすでに購入していますので、寸法通りにカットして傘釘で止めれば、石窯の囲いが完成します。最後に残っている作業は、煙突まわりの雨対策です。煙突は高温になるため屋根に煙突の太さより半径で2a余り大きい穴を空けています。この部分の雨仕舞をどうすれば良いのか、色々とネットで調べていますが、ネットに載っているのはストーブの煙突が殆どで、お金を掛けた工法となっています。石窯の場合、少しぐらい雨が漏っても構いませんので、もっと簡単で安上がりな方法にしようと思っています。屋根と囲いが完成したら、又、温度チェックが待っています、何とか暮れまでにはきちんと焼けるようになりたいのですが…

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 昨日はコロニアルに煙突の穴を空ける作業が入りましたので、半分のコロニアルは置いたままでした。今日残りのコロニアルを釘できちんと留めました


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 水路側の波板を固定する木枠です、結構きれいに出来ました。水路側は風が強く当たるので下まで波板を張ります


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 石窯の後ろ側と西側は断熱レンガの所だけ波板を張りますので、ブロックの部分は外から見えます


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 石窯の西側も断熱レンガの部分にしかポリカの波板を張りません


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 今日作業が終わった時点での石窯の様子です、本当はレンガが見える方がきれいなのですが
posted by モグじー at 18:23| 徳島 ☀| Comment(4) | 石釜・燻製炉作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月26日

午後は雨で作業できず

矢張り作る方が好きなのかな

 昨日の天気予報では、今日は風もなく絶好の釣り日和でした。久しぶりにアオリイカを釣りに行こうかなとかなり迷いましたが、結局は石窯の屋根工事をすることになりました。大好きな釣りも、もの作りには勝てないようです。朝食後、早速、昨日から始めた屋根作りの作業の続きをしました。基本的には、先ず屋根を作って、その後、周りにポリカの波板を張って雨が石窯に掛からないようにします。継ぎ足す屋根は簡単な方法で作ろうと思っていましたが、矢張り最初の屋根と同じ形に仕上げた方が感じが良いと思い、最初と同じような工程で作業を進めました。
 先ず最初に下地のコンパネを固定する根太を丸太に取り付けました、次に、コンパネを張り、その上にルーフィングを張りました。次が屋根材を張る作業ですが、継ぐ足す屋根の幅は40a余りですので、幅が90aあるコロニアルを半分にカットしなければなりません。又、煙突が屋根を通過しますので、屋根材に丸い穴を開けなければなりません。屋根材は頑丈に出来ていてグラインダーでカットしましたが、グラインダーのヤスリがあっと言う間にすり減ってしまいました。、この屋根材のカット作業は結構時間がかかりました。今日は風もなく、気持ち良く作業を進めていましたが、お昼前から急に空が曇り、小さな雨粒が落ち始めました。遅めの昼食をとった後も小降りに雨の中で作業を進めていましたが、そのうちに雨が本格的に降りはじめましたので、止む終えず今日の作業は終了としました。この調子で作業をすれば後2日間程度で石窯を囲う工事は終わるのではないかと思います。
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 コンパネを張りその上にルーフィングを敷いたところです。屋根は幅を45aほど広げます


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 屋根材を張る途中に雨が降りはじめましたので、下から5枚目までは釘で固定していますが、それより上のコロニアルは置いているだけです


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 遠くから見るとこんな感じです、全体的に色が暗いので、屋根材の色の違いはそれほど目立ちません、水路側に波板を打ち付ける桟も少し取り付けました

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posted by モグじー at 20:55| 徳島 ☁| Comment(0) | 石釜・燻製炉作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月25日

石窯が濡れないように

断熱レンガが雨に濡れる

 8年前に石窯を作った後、しばらくして屋根を付けました。石窯が濡れないようにするのと、雨でもパン焼き作業が出来る様、結構広い屋根でした。しかし、今回の改修工事で石窯の周りに断熱レンガを貼ったところ、石窯の窯の厚さが30a程度厚くなりましたその結果、石窯の外側の断熱レンガが雨で濡れるようになりました。断熱レンガは軽石の様なものを大量に混ぜ込んでいるため、水分を吸収しやすく、又、なかなか水分が抜けません。専門家に聞いたところ、断熱レンガは濡らさない方が良いとのことですので、石窯が雨で濡れない様、屋根を広げ、更に横殴りの雨が降っても雨が避けられる様、周囲をポリカの波板で囲うことにしました
 石窯の改修工事が終わった後、石窯の温度チェックなどを優先したため、屋根工事が全く進んでいません。そこで、今日から屋根工事を始めることにし、材料をホームセンターで購入してきました。屋根は、最初にブラウンのコロニアルを使いましたので、同じものを探しましたが、残念ながらブラックしか有りませんでしたので、ブラックを購入しました。ログに帰ると早速、工事に取り掛かりました。先ずは、最初に作った屋根と囲いの内、囲いのコンパネを取外しました。次に、広げる屋根の下地と周囲を囲うポリカの波板を打ち付ける桟の設置作業に入りました。今日は、骨組みに使う角材に防腐剤を塗ったところで作業終了となりました

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 ホームセンターで購入した屋根材のコロニアルです、5枚ほど購入しました


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 石窯の周囲に張るポリカの波板を10枚購入しました、サイズは6尺です


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 石窯の周囲にコンパネを張っていましたが、コンパネを取外すと水路から石窯が見えるようになりました。


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 構造材として使う角材にはあらかじめ防腐剤を塗っておきました



石窯内部に耐火レンガを

 ホームセンターに行ったついでに、耐火レンガ購入しました。改修後の石窯で色々と温度チェックをしたり、パンの試し焼きをしましたが、期待できるような結果が出ていません。一番の問題は温度低下が思ったより激しいことです。改修工事で色々と改善を加えましたが、まだ、現在の石窯の状態で気になることも何点かあります。一つは、石窯の天井の形と高さです。最初に石窯を作る時、沢山のパンが焼けるよう、2段でパンを焼くことを考え耐火レンガを3段(高さ24a)直線で積んだ上に半円形のドーム(半径25aの半円)を作りました。そのためドーム型の天井から放射される遠赤外線は焼き床より20a余り高いところに集中していました。ドームの形をもっと緩やかにして天井をもっと低くしておけば熱効率はもっと良くなっていたと思います。本にも天井高は30〜40aと書かれていますが、モグジーの石窯は最初は天井まで50a近く有ったのです。今回の改修で焼き床の上にキャスターを更に10a盛りましたので、天井高が42aまで低くなりましたが、まだ高すぎると思います。そこで考えたのが耐火レンガを焼き床に並べて更に天井高を低くすることです。幸いにも、耐火レンガの定型と半割を使えばピッタリで焼き床を埋められそうですので、ホームセンターで定型の耐火レンガを12枚と半割の耐火レンガを16枚購入し、ログに帰って焼き床に並べてみました。すると、殆ど隙間なくレンガを並べることが出来、天井高は34aとなりました。この状態で、温度チェックとパンの試し焼きをしてみて効果が認められれば、レンガを固定しようと思います。

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 購入した定型の耐火レンガ12枚と半割の耐火レンガ16枚です


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 レンガを並べる前の石窯の内部です、幅50a、奥行70a、天井高40aあります


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 耐火レンガを内部に並べた結果、幅44a、奥行67a、天井高34aとなりました。近いうちに、内側に耐火レンガを並べた状態で温度チェックと試し焼きをしてみたいと思います。
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posted by モグじー at 22:05| 徳島 ☀| Comment(0) | ログ建設記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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