2017年11月24日

又もや失敗

発酵を早め過ぎました!

 生地作りが予定より遅れて、石窯の温度が低くなった場合、今までであれば加熱炉で薪を燃やせば石窯の温度を上げることが出来ましたが、改修後の窯の様に余熱だけでパンを焼く場合、生地の準備が遅れたら石窯の温度が低下し、パンが焼きづらくなってしまいます。そのため生地を早めに作っておく必要があります。そこで、今回は工程表より1時間余り早めに生地を冷蔵庫から出して、成形の準備を始めました。ところが生地の準備が順調に進んだため、逆に石窯の準備が遅れそうになりました。そこで、薪を3時間燃やした後、熾きだけにして更に1時間加熱するところを15分で済ませてしまい、更に、チェックの時は窯口の戸を閉めたまま窯を徐々に冷やしていたのに、今回は早く石窯の温度が下げるため、戸を開けて冷やしました。
 焼き床中央の温度が260℃になった時点で、生地を入れ蒸気を掛けて10分後に窯の戸を開けた所、クープが綺麗に開いていました。まだ、焦げ目が薄いため更に10分焼いたところ、焦げ目もきれいに付いたので焼き上がりと判断してバゲットを石窯から出しました。焼成時間はたったの20分です。レシピの場合は250℃で40分と書かれていますので、遠赤外線で焼くとこんなに早く焼けるのかとびっくりしました。
 1窯目のバゲットを入れて30分後に2窯目のバゲットを入れました、30分の間に温度は20℃低下していました。2窯目も20分でクープが開き外側も綺麗に焦げ目がついていましたので、十分に焼けていると判断し窯から出しました。続いて、3窯目のリュスティックを入れた所、今度はなかなか焦げ目がつかないのです。そこで、熱電対温度計で焼き床中央の温度を測ったところ、180℃しか有りませんでした。これには、ビックリしました。温度チェックをした時1時間で低下する温度は30℃ぐらいです。ところが今日は260℃から180℃まで温度が下がるのに90分も掛かっていません。余りに温度低下が早すぎます。このままでは、4窯目以降のパンが焼けませんので、石窯をもう一度暖めなければなりません。最初から薪を焚き始めても良いのですが、時間がかかり過ぎるため、コンロで炭を燃やし赤熱した炭を入れることにしました。赤熱した炭を沢山石窯に入れることで1時間後には焼き床中央の温度が220度近くになりましたので、4窯目と5窯目のリュスティックを焼きました。リュスティックを焼いている間も温度が下がりますが6窯目から9窯目までは食パンですので、石窯内に棚を設置し、その上に鉄板を置いて食パン用の缶を置き、鉄板の下に燃えている炭を置いて石窯内の温度を下げずに食パンを焼くことができました。こうして非常にゴタゴタして大変でしたが、何とか最後の食パンまで焼き終えることがでました。

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 1窯目・2窯目に焼いたバゲットです、外見はクープも綺麗に開いて美味しそうなのですが…


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 3窯目に焼いたクルミとレーズンが入ったリュウスティックです、これでも中が充分焼けていませんでした


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 4窯目に焼いた自家製文旦ピールとクランベリーが入ったリュウスティックです、これが最も焼きが足りませんでした


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 5窯目に焼いた自家製赤エンドウ豆の甘納豆を入れたリュスティックです。久しぶりに赤エンドウ豆を使いました。同じリュスティックでもレシピと材料が違うため、焼成温度も違っていて、焼け具合はこのリュスティックが一番良かったように思います


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 食パンは焼成温度が低く、しかも、今日も時間を掛けてゆっくり焼きましたので、いつもの味に焼き上がっていました


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 網一杯に並んでいたパンも、子供たちに送るとこれだけになりました、美味しくなくても、ご近所さんには食べて貰いますす、二人だけでは食べるのに時間がかかり、次のパンが焼けませんので



試食してショック!

 外見は一応これまでと同じようなパンが焼けましたので、パン焼きが終わると子供たちにパンを送る作業をしました。この3ヶ月ぐらい石窯改修工事をしていた為パンを送れていませんので、今回は3人の子に荷物を作って何とか島の中の郵便局が閉まる前に持って行くことが出来ました。今日の、夕食は焼き上がったパンを食べることにしていましたので、パンを切ったところ、食パン以外は全て焼成時間が不足しているのに気が付きました。これまでのパン焼きでは、外側がきれいに焼けていると、中もきちんと焼けていましたが(勿論、時間も十分に掛かっていました)、今回は短時間で外側が焼けてしまったため、同時に内側も焼けていると錯覚してしまったのです。今回の焼成時間不足のパンは普通に焼いたのでは、全く美味しくありません。パンを薄めに切ってこんがりと焼けば何とか食べられますので、取り敢えずは頑張って食べねばと思います。


今回の失敗の原因は

 今回の失敗は、熾きで加熱する時間を1時間から15分に短縮したのと、窯の戸を開けて急激に冷やしたためではないかと思います。熾きを焼き床全体に広げて加熱すると焼き床も十分に熱を吸収できるのですが、時間が少ないと余り熱を蓄えることが出来なかったと思います。又、窯口を開けると窯口の高さより低い部分の空気がドンドン外に出るため、焼き床の温度低下が激しくなってしまったのではないかと思います。今回も又、石窯の扱いに失敗してしまいました。まだまだ、先は長そうです。
posted by モグじー at 22:38| 徳島 ☀| Comment(2) | 石釜・燻製炉作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月23日

久し振りの生地作り

パンを焼こう!

 9月から石窯の本格的改修工事を始めましたので、古い窯でパンを焼いたのは8月20日のパン焼きが最後でした。新しい窯になってから、10月27日に初めてパンを焼きましたが見事に失敗しました。その後、色々と手直しをし、温度チェックをして何とか新しい石窯が使える目途が立ってきましたの、明日パンを焼くことにしました。10月27日のパン焼きでは8窯のパンを焼いて失敗作が沢山出来てしまいましたので、今回はもっと少なくしようかなとも考えましたが、この1ヵ月間でかなり念入りに石窯のチェックをしてきましたので、明日は普段と変わらない位のパンを焼くことにしました。
 250℃〜230℃の温度帯でバゲット2窯とリュスティック2窯を焼き、続いて220℃〜180℃の温度帯で新しいリュスティック1窯と食パン4窯を焼く予定にしています。全体で9窯ですが順調に生地作りが進めば、余熱だけで全てのパンが焼けるのではないかと思っています。
 窯でパンを焼く時間は4時間が限度と思いますので、とにかく、生地を途切れることなく準備できるかどうかが一番のポイントになると思います。いつも、バゲット⇒リュスティック⇒食パンの順でパンを焼いていますが、失敗の多くは食パンの醗酵が間に合わないことです。過去にやっていた直接醗酵法で生地を作れば生地が出来上がる時間は殆どズレませんが、冷蔵長時間発酵の場合は、醗酵時間の調整が難しいため、これまでも窯に生地が2時間余り入らないことも度々有りました。追い炊きが出来れば時間が空いても追い炊きして窯を暖め直すことができますが、追い炊きのできない窯ではどうしても石窯内の温度を上げたい場合は、再度石窯の中で薪を焚くしか手段はありません。10月27日の時はまだ追い炊きが出来ていましたので、石窯内の温度が下がっても追い炊きをして何とか格好をつけましたが、今回は追い炊きが出来ませんので、かなり緊張します。
 前の窯も、窯になれるのに随分時間がかかりましたので、今度の窯でも失敗を繰り返す中で操作方法が分かって来るのかも知れません。



明日のパン焼き開始は6時を予定

 これまで、パン焼き作業の開始時刻は4時前後でしたが、新しい窯になって順調に生地の準備が出来れば、薪を焚き始めて生地を入れられるまでは約4時間、パンを焼く時間が4時間の、合計8時間でパン焼きが終わります。従って、朝6時から作業を始めれば午後2時には作業を終えることが出来そうです。これまではパン焼きの日は13時間労働が普通でしたので8時間労働となるとかなり身体が楽になります。石窯改修によって、作業時間は短くなり、焚く薪の量も少なくなり、そして美味しいパンが焼けるとなればこんな素晴らしいことは有りません。とにかく、失敗を繰り返しながら早く新しい石窯を使いこなせるようになりたいと思います。明日はいよいよ初挑戦です。今日の生地作りは午後8時過ぎに終わりましたので、きちんとブログを書くこともできました



合間に柿ジャム作りを

 生地作りは、早朝の浸水作業で2.3時間取られ、夕方からの生地捏ね作業で数時間取られますが、昼の9時頃から数時間は身体が空きます。そこで、今日は空いた時間を利用して妻が煮込んでくれていた柿ジャムを瓶詰にする作業をしました。友人から戴いた柿は今日で全て柿ジャムに変身しました。大きな鍋に6`余りの柿ジャムが出来ていましたが、これを140cc入りの瓶に詰めると、大量の瓶を消費しますので、出来るだけ大き目の瓶に詰めることにしました。この大きな瓶に入った柿ジャムは御土産用ではなく子供たちの家用になりそうです。人数が多いので大きな瓶でも食べて貰えると思います。

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 大き目の瓶に入った柿ジャムが大量に出来上がりました


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 この瓶はピーナツバターが入っていた瓶で蓋の色が柿色のため良く似合います
posted by モグじー at 22:22| 徳島 ☀| Comment(0) | パン・ピザ焼き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月22日

予想外の結果が

先ずはチェック表を!

 今日は水曜日、テニスの日です。今日も曇のち雨の予報が出ていました、雨は12時頃から降るとの予報で、9時からの2時間は大丈夫そうです。実際に、テニスを始めた時は空は晴れて雨が降るなんて考えられませんでしたが、時間が経つにつれ雨雲がドンドン広がり、終わる頃には細かな雨粒が落ちるほどでした。予報通り12時から雨となりましたが、本当にテニスの時は雨が降りません。
 ログに戻ると、1週間に一度の買い物に出掛けログに帰った後、昼食を取りその後は久しぶりに昼寝をしました。昼寝から起きると、昨日の温度チェックの解析作業を始めました。今回も先ずは数値を記入した表を作り、それを元にグラフを書いて解析を進めようと思っています
 昨日のデーターを元に書いた温度表です

   
  時刻窯口上温度窯中央温度  時刻窯口上温度窯中央温度
13:00380℃350℃17:00240℃219℃
13:20360℃335℃17:20238℃213℃
13:40350℃323℃17:40230℃203℃
14:00330℃310℃18:00225℃195℃
14:20320℃291℃18:20220℃187℃
14:40305℃277℃18:40216℃184℃
15:00295℃275℃19:00212℃180℃
15:20283℃264℃19:20208℃176℃
15:40273℃252℃19:50200℃170℃
16:00266℃246℃   
16:20250℃238℃   
16:40240℃219℃   

    
そして、前回と同じようなグラフを書き重ねてみました

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どう解釈すれば良いのか

 前回と今回の数値を同じグラフにプロットして曲線を描いたところ、予期もしない曲線となりました。モグジー自身がどのようにグラフを読み取れば良いのか分からないほどです。パンを焼く範囲(250℃〜180℃)での温度低下の曲線の曲がり具合は同じようになるのではないかと思っていましたが、窯口上温度も窯中央温度も明らかに様子が異なっています。当然、パンを焼ける時間が伸びると思っていましたがほとんど変わりません。この様な実験は本来であれば何度も繰り返した結果で判断すべきですが、これ以上何度も実験を繰り返す余裕は有りませんので、色々なことを考えた時、前回の実験で試みた3時間薪を焚き一時間熾きを残す方法で先ずは実際にパンを焼いてみようかと思います。前回の方が薪を焚き始めてパンを実際に入れるまでの時間が約3時間短縮できるのです。それにしても予想外の結果には驚いています、この結果をどう判断すれば良いのか、誰か教えていただけるとありがたいのですが…
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posted by モグじー at 21:18| 徳島 ☔| Comment(3) | 石釜・燻製炉作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月21日

2回目の石窯温度チェック

もっと薪を焚いたらどうなるのか

 先日、改修の終わった石窯で、薪を焚き石窯内の温度チェックをしました。その結果はある程度モグジーを満足させてくれるものでしたが、これがこの石窯の能力の限界なのか、一度の温度チェックでは、把握できませんので、もう一度、条件を変えて温度チェックをしたいと思っていました。特に気になっていたのは、最初に窯に薪を焚いて暖める時の条件です。前回は薪をしっかりと3時間掛けて焚き、更に熾火だけにして1時間の加熱をしたため加熱時間は合計4時間でしたが、今回は薪を焚く時間を更に1時間、熾火だけでの加熱を更に1時間延長して合計6時間程加熱してみようと思います。又、温度変化のチェック方法も、前回はバイメタル温度が20度下がるたびに、要した時間と石窯中央の温度をチェックしましたが、今回は20分おきにバイメタル温度と石窯中央の温度をチェックすることにしました。



1日がかりの作業となりました

 昨晩、山口からログに帰り着いたのは午後10時でした。いささか疲れていましたので、ブログを書くこともせず、妻に色々と報告した後、12時前には布団に入りました。布団の中で翌日は何をしようかなと考えた結果、体力を使わない石窯の温度チェック作業をすることに決めました。今朝はいつも通り7時前に目が醒めましたので、取り敢えず、着替えて7時きっかりに石窯で薪を焚き始めました。先ずは4時間薪を焚き続けるだけですから、神経は使いません。作業の合間に朝食をとり、その後は貯まっていた2日間のブログ書きを始めました。一昨日の神戸での集会については内容が結構複雑なため、時間がかかりなかなか前に進めません。

 4時間の薪焚きが終わった段階で、殆ど薪は熾火となっていましたので、石窯の窯口は酸素を取り入れるため少しだけ空間を残して初代のキャスター製扉で窯口を閉じました。1時間経過してもまだ大量の熾きが残っていましたので、計画通り更に1時間熾火だけで窯を加熱しました。薪を焚き始めたのが午前7時でしたので、6時間後の午後1時に熾きを全て取り出し、排気口に断熱レンガで作ったフタをし、窯口には今回作ったフタをして、20分ごとに石窯内の窯口上の温度を示しているバイメタル温度計の数値と、石窯中央部の温度を示す熱電対温度計の数値を記録していきました

 前回はバイメタル温度計の温度が20度下がるたびに時間と石窯中央の温度をチェックしました、20分温度が下がるのに最初は20分程度かかりましたが、次第に温度が下がる時間が長くなり、最後の方は60分に1回温度チェックをすればよかったのですが、今回は、20分おきに温度チェックをしなければならない為、石窯を離れることが出来る時間は小刻みで、ブログを落ち着いて書けなくなりました。石窯中央温度が180度を切ったらパンを焼くのは難しいので、180度以下に鳴るまで計測を続けましたが、最終的には午後8時頃まで掛かってしまいました。



結局2日間のブログしか書けませんでした

 温度チェックをしながらのブログ書きは、時間が細切れですので、落ち着いて考えることが出来ず、作業が終わった午後8時から、本格的にブログを書き始めましたので、結局寝るまでに書けたブログは2日分だけで、今日の温度チェックのブログは掛けませんでした。

posted by モグじー at 18:12| 徳島 ☔| Comment(0) | 石釜・燻製炉作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月20日

ここに兄が居ります!

4人の男の子を女手一つで育てあげたお母さん

 モグジーの姉は高校を卒業すると銀行に勤めましたが、すぐにお客さんに気に入られて見合いをし20歳になると結婚してしまいました。嫁ぎ先は樫製材工場を経営しておられ、4人の男の子がいましたが義父は戦争で亡くなられ、義母が女手一つで4人の子供を育てられ、家業を継いだ長男と一緒になったのです。20歳で世間のことは何も知らない姉にとっては余りに厳しい環境ですので、モグジーの両親は結婚に反対しましたが姉は嫁ぎました。
 長男の嫁として、工場の経理担当者として、妻として、2児の母親として、大変な人生だったと思いますが、最後まで与えられた仕事をやり通しました。義母との間でも色々と難しいことも有ったと思いますが、頑張り通しました。その頑張りが過ぎたのか70歳を超えた頃から少しずつ認知症が出て数年前からグループホームに入りました。そのため、義母を最後までお世話することが出来なかったことは姉にとっては残念極まりないことだったと思います。姉の夫も仕事一途の人でしたので体に無理が重なったのか、年を取ると共に体調を崩し3年前からはずっと病院生活が続いています。その中で義母だけがお元気でした。モグジーは年に2〜3回は山口に帰って3人のお見舞いに行っていましたが、3人の中で一番元気なのは義母でした。今年で103歳になられていましたが、とてもそんな年齢とは思えないほどしっかりしておられました。ただ一人での生活は無理ですので、老人ホームに入りお元気に日々を送っておられました。姉夫婦は必死で働き、後継ぎも出来て、これからは、やっと、好きな旅行に行けると思っていた矢先の姉の病気が出、姉の世話を一所懸命して下さった義兄までが膝や心臓や呼吸器に色々な症状が出て入院生活を送らざるを得なくなったのです。何とひどい仕打ちをとモグジーも神をも恨みましたがどうにもなりません。
 ただ、男ばかり4人の兄弟と言えば、人間関係が難しくなるのが普通ですが、高齢の母親、入院中の長男や四男の世話を姉の二人の娘や次男や三男の方が協力してやっておられます。4人の男兄弟の仲の良さには本当に感心させられます。
 長男である姉の旦那さんは最近特に体調が悪く点滴で何とか命を繋いでいる状態でしたが、長男として母親を思う気持ちは非常に強く、何とか母にお別れをしたいという願いが主治医に通じたのか、主治医から「ストレッチャーに乗ったまま短時間なら外出を許可します」と言われ家族がストレッチャーで母親の所まで連れて行ったそうです。



ここに兄がいます、私には見えます!

 今日は11時から葬儀が有りました、葬儀が終わった後の挨拶に立たれた次男の方は前に出て、三男、四男の方と並ばれ、「私の左には兄が立っています、私には兄の姿が見えます。私達4人は喧嘩をし怒られたことも何度も有りましたが、それでも力を合わせて今日まで母と一緒に生きてきました母には4人の子供、10人の孫、13人のひ孫、1人のやしゃ孫がいます」と言って挨拶をされましたが、お母さんの喜寿などのお祝いのときは殆どの家族が集合され、その人数は数十人にもなります。その身内のつながりの深さにはモグジーもいつも圧倒されてきましたが、お母さんを中心とした素晴らしい大家族だと常々思ってきました。モグジーも少しでも見習いたいと思って今日まで生きてきましたが、とても及びません。これだけの大家族を育てられ、その大家族に見守られて旅立たれたお母さんにとっては正に大往生の姿しか思い浮かびません。
 モグジーは姉が嫁いで52年間一緒に生きてきたお母さんに姉に代わってお礼を言うために葬儀に参加させて戴きましたが、大勢の家族だけに見送られた家族葬は見事で、お母さんご遺体は孫の手で出棺となりました。


姉さん良かったね!

 葬儀が始まる前に控室で兄弟の方々と話しているときに、ある御兄弟から、「お姉さんのお陰で僕たち4人が仲良くやって来れたと思います。私たちの家族のためにお姉さんには本当に良くして貰いました。お姉さんが居られなかったら、大勢の家族が集まったりすることは無かったと思います、お姉さんは本当に良くしてくださいました、それだけにお姉さんの姿を見るのがつらくて会いに行けないのです」と言われ、モグジーはとても嬉しく思いました。「小さな体で一所懸命がんばったお姉さん良かったね」と心から思いました。
 葬儀の前に、姪とグループホームに姉の面会に行きましたが、今日は最近では珍しく、しっかりしていて表情も豊かでした、多分、今日が大切な日と言うことを姉も分かってくれていたのではないかと思います。気持ち良く、義母にありがとうございましたと姉の代わりに言うことができました

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 今日は久しぶりに姉の声を沢山聴くことがで来ました、笑顔も沢山見せて貰いました
posted by モグじー at 23:49| 徳島 ☁| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月19日

中国残留日本人孤児の歴史を語り継ぐために

初めての参加

 モグジーが敗戦直後の8月18日に満州撫順で生まれたことは私自身の原点ですので、このブログでも何度か書かせて戴きました。極限状態の中で乳児を連れて帰るのは非常に危険であり、中国人に生後間もない私を貰って貰うか、死を覚悟で連れて帰るか随分迷ったことを両親から聞かされました。実際に連れて帰る道中で私は栄養失調に為、何度も死にかけたそうです。そのような成育歴を持った私にとっては中国残留日本人孤児の問題は決して他人事ではありませんでした。NHK製作の「大地の子」を見ては何度涙を流したことでしょうか。しかし、私は中国残留日本人孤児問題に深くかかわることなく、今日まで生きてきました。そしてこのまま死を迎えようとしていました。でも、ある方を通して切れていた絆がかすかですが繋がろうとしています。

 先日のブログでモグジーが関西テレビの「ザ・ドキュメント」の取材を受けたことを書きましたが、担当ディレクターのSさんが中国残留日本人孤児問題に長年関わって来られ、ドキュメンタリーを2本作っておられることを聞きました。この度、神戸で、そのドキュメンタリー作品「兄と弟〜満州思い出の河へ〜」の上映とSさんの講演があることを知り、今日、集会に行ってきました。

 今回は私一人ですのでバスで三ノ宮まで行き、新長田駅前のホールに12時頃到着しました。ホールの前のベンチに腰を掛け開場を待ちましたが、集まって来られる方は年配の方々ばかりです。先日、熊本で開催されたハンセン病家族の国賠訴訟を支援する集会でも同じことを感じましたが、このような集会で若い人たちの姿を見れないのは本当に淋しいことです。10年前、中国残留日本人孤児問題で国の責任を問い国家賠償を求める裁判が全国で行われ、唯一、兵庫県だけで国の違法性が認められましたが、他府県では全て敗訴となりました。そして、裁判を通して支援の会が結成された兵庫県では現在も支援活動が続いていて、今日の会も主催しています。

 集会は、主催者側の挨拶の後、アトラクションの和太鼓演奏を挟んで、残留孤児2世の体験談の発表が有りました。中国残留日本人孤児の存在は私の頭の中に在りましたが、2世のことは全く抜けていました。10代、20代で帰国した2世は日本語が全く話せず、生活様式、文化が違う日本で生きるのは大変でした。集会の参加者は大半が在留孤児の1世と2世で日本語が理解できない人も多かったのか、スピーチは逐一中国語に翻訳されていました。
 休憩をはさんで、先ずは、Sさんが2016年に製作された関西テレビのザ・ドキュメント「兄と弟〜満州思い出の河へ〜」が放映されました

内容を簡単に紹介しますと
 『敗戦の1年前に開拓団として京都から満州に渡ったKさん一家は父親を徴兵され残された家族は、翌年8月の敗戦で逃避行の末難民収容所にたどり着く。ここで母親と祖父が死亡、残された3歳と7歳の兄弟は、弟が中国人に引き取られ、兄は戦争孤児となる。兄は帰国できたが、弟は48歳で残留日本人として中国人の妻と3人の子供を連れて日本に帰国。兄は弟の就職や生活全般にわたって世話をしたが日本語が離せない弟は仕事を辞め、日本での生活に行き詰まり、兄との間に深い溝が出来てしまった。何とか弟との絆を取り戻す為、身元確認の際に決め手となった満州の思いでの河に弟を誘った。しかし、余りに深い溝は二人で思いでの場所を訪れても一気には埋まりません…』

 ドキュメンタリーを見ていると、本当に、モグジー自身のこと、3歳上の兄のこと、5歳上の姉のことがそして両親のことが重なり、とても複雑な思いとなりました。幸いにもモグジーの場合は家族全員が揃って何とか帰国できましたが、死んだ子供を背負ったまま、なかなか子供を離そうとしない母親の話を聞いたとき、涙が出て仕方が有りませんでした。



余りに遅すぎる対応

 最後に、ドキュメンタリーのディレクターSさんの講演が有りました。パワーポイントを使いながら、日本の国策として、満州開拓が進められ、多くの都道府県から開拓団が満州に送られたこと、敗戦と同時に開拓団が見捨てられたこと、その中で多くの婦女子が飢餓と病気で亡くなり、現地には多くの人々が取り残され、残留邦人となったこと、残留邦人は戦後も放置され続け、日中国交正常化以降になってやっと中国残留日本人孤児の肉親捜しが始まったことなどが紹介されました。この中国残留日本人孤児の問題を考える時、多くの問題が浮かび上がってきますがその中で特に忘れてならないのは政府の姿勢です1959年に「未帰還者に対する特別措置法」を制定し残留孤児等の戸籍を戦時死亡宣言で抹消したのです。肉親を必死で探していた家族の思いを無視して国は開拓団として派遣した国民を見捨てたのです。残してきた家族を必死で探す家族の思いを受け入れ残留孤児訪問調査団を受け入れたのは戦後36年が過ぎ去った1981年のことでした、更に多くの残留孤児が帰国できたのは1980年代後半で、残留孤児の年齢は40代半ばを過ぎていました。なぜ、家族の強い要望が有ったのに、これほど、長い間、国は見捨てて来たのか、Sさんもおっしゃたように国の取り組みは余りに遅すぎました。この事はハンセン病政策にも重なります。ハンセン病予防法がもっと早く廃止されていたら、中国残留日本孤児の帰国がもっと早く実現されていたら…Sさんは国の責任と共にメディアの責任についても触れておられましたが、国の過ちを正せない私たちにも責任があります



突然の電話

 会場の中ですので携帯電話はマナーモードにしていました、話を聞き、映像を見ながらモグジーは兄弟や肉親のことを考えていました。突然、携帯が振動し画面を見ると山口の姪からでした。私の姉の次女で、グループホームに入っている私の姉や病院に入院中の父親や老人ホームに入所中の祖母の世話で走り回っています。時々メールで情報を送ってくれるのですが、昼間に電話が掛かることは先ずありません。こんな時間に電話を掛けてきたということは緊急の用事に間違いありません。真っ先に思ったのは姉の急変でした、集会で兄や姉のことを何度も思い浮かべただけに、何故か不安になりました。でも、大切な話しを聞いていますし、前の方に座っていましたので、外に出て行く訳にも行きません。集会が終わり外に出るとすぐに姪に電話を入れました、姪からの連絡は姪の祖母が昨晩急逝したとのことでした。姉や姉の夫のことではなくて取り敢えずホッとしました。姪の祖母は先日103歳の誕生日が終わったところですので大往生です。今夜が通夜で明日葬式とのことですので、山口まで駆けつけなければなりません。鳴門に帰って山口に行くのでは大回りになりますので、神戸から直行することにしました。帰りのバスチケットをキャンセルし取り敢えず下り快速電車に飛び乗りました。岡山で新幹線に乗り換え、新山口で降りて山口線に乗り換え、山口市に在る葬祭場に着いたのは午後10時でした。通夜の会場には姉の上の娘たちが残っていましたので、すぐに仏様に会わせて貰いましたが、姪が言うように、寝っているだけで声を掛けたら目を開けて貰えるのではないかと思うほど、とても穏やかで、安らかな顔でした。
 取り敢えず、今晩は夜伽の会場で一晩を送らせて貰うことにしました。それにしても、色々なことが有った1日でした。



放映は11月28日と決まりました

 先日、ログで取材を受けた関西テレビのザ・ドキュメント「誰にも言えなかった〜ハンセン病家族の告白〜」の放映が関西テレビで11月28日25時25分〜26時35分に決まったとの連絡がSさんから届きました、深夜の番組ですので良かったら録画をとってお昼にでも見て戴ければと思います。
 又、番組の予告編が関西テレビのホームページで見れるとのことです

 ホームページのアドレスは
                  https://www.ktv.jp/document/

 余りにモグジーのことを良い様に書かれ照れくさくて…
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posted by モグじー at 20:49| 徳島 ☁| Comment(6) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月18日

苗の植え替え

日の当たらない畑

 ログの畑の半分は秋から春に掛けては殆ど日が当たりません。先日、その日の当たらない畑に、キッチン用の野菜の苗を1本1本株分けして植えていましたが、殆どの苗が虫にやられることなく、台風や大雨にもシートで覆っていたのでやられることなく少しずつ大きくなってきました。取り敢えず、小さな苗が一本立ちできそうなところまで育ってきましたので、日の当たる畑の方に昨日移してやりました。と言うのも、昨日は石窯の温度チェックをしましたが、チェック作業は朝の11時から夜の9時までの長時間にわたりました。チェック作業の合間に結構手が空きますので、空き時間を利用して苗の植え替え作業をした次第です。特に、昨日のうちに植え換えを済ませて置けば、翌日の今日は雨の予報が出ていましたので苗にとっても好都合だったと思います。
 育てていた苗も大小様々でしたので、大きく育った苗は、色々な苗を混植している畑に移し、小さな苗は南側の畑にまとめて植えました。ネキリ虫にやられない限りは日を浴びて順調に育ってくれると思います。

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 植え換える前に日の当たらない畝に植えていた小さな苗です、殆どの苗が枯れずに育ちました


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 大きく育った苗は北側の日がよく当たって、色々な野菜を混植している畝に移しました


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 余り大きく育っていない苗は南側の畝に移しました、少し、日当たりが良くなります


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 小さな苗を育ててきた、日当たりの悪い畝には苗は殆ど残っていません。
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posted by モグじー at 15:17| 徳島 ☔| Comment(2) | 野菜作り日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

石窯温度チェックの解析

グラフにしてみました

 昨日、石窯で薪を焚いて、温度変化の様子を調べました。その結果を取り敢えず表の形で整理してブログに載せましたが、エクセルで作った表をブログにコピーすると、不細工な表にしかならず困りました。色々とやってみましたが分からないのでそのまま見にくい表をブログに載せましたが、今日は朝から雨が降っているので、再度、昨日の温度変化を解析することにし、グラフにしたところ、かなりいい感じのグラフが出来ました。このグラフをブログに貼り付けようとしましたが、どうにもなりませんので、仕方なく、写真でとってブログに移しました。カメラがボロなので歪んだグラフになっていますが、温度変化の感じが分かってもらえるかなと思います。グラフにしてみると、多少の誤差は有りますが、20度ごとに下がって行った時の数値が1つの曲線に載っていることが分かりました。この石窯中央での温度曲線がこれからのパン焼きの参考に出来るのではないかと思います

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 このグラフから次のようなことが分かりました。

 @ バイメタル温度と窯中央温度の差は窯中央温度が250度付近で30度ありますが時間と共に温度差が減り、200度付近では20度、その後10度にまでなりました

 A 温度が20度下がるのに必要な時間は逆に大きくなり、250度付近は30分180度付近は60分程度となりました

 B 250度付近からバゲットを焼き210度付近から食パンを焼くことになりそうです。窯中央温度が260度から180度までがパンが焼ける範囲と考えますと、その時間は4時間程度になります、その場合、パンが焼ける量は現在より少し減るだけと思います。

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posted by モグじー at 10:57| 徳島 ☔| Comment(2) | 石釜・燻製炉作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月17日

釣りより石窯

全く当たり無し

 今日は絶好の釣り日和ですので、勿論モグジーはアオリイカ釣りをする計画を立てていました。昨日準備をしていましたので、6時に目が醒めると、朝食も取らず船に乗って桟橋を離れました。この秋一番の冷え込みでしたが、釣りに行くときは寒さは気になりません。いつものポイントで餌の豆アジ釣りをしましたが最近はアミエビ無しではアジが喰わない為、アミエビを使って、豆アジ釣りをしました。30分程度で20匹あまりの豆アジを釣りましたので、餌の確保が終わると早速、アオリイカを釣るため室沖のポイントに向かいました。風は弱いとの予報でしたが北からの風の場合は、冬はうねりが伴いますので結構船が揺れました。肝心のアオリイカですが、全く当たりが有りません。アオリイカ釣りが得意なWさんが近くに居られましたので、釣れ具合を聞いたところ、まだ釣れていないとのことでした。wさんの話では水温が下がっているため水深60b位でないと釣れないとのことですので、モグジーも錘を重たいものに替えて深いポイントでアオリイカ釣りをしましたが結局一度も当たりは有りませんでした。一度だけ青物が喰いましたが直ぐに針から下を切られてしまいました。3時間余りアオリイカ釣りをしましたが、全く釣れそうな気配は有りませんでしたので、10時に納竿しログに戻りました
 実は、石窯の温度チェックが遅れていて、石窯の試運転が延び延びとなっています。今日は釣りをして明日、石窯の温度チェックをしようと思っていましたが、よく考えると、明日は雨の予報ですので、温度チェックは無理です。10時に納竿すれば11時から温度チェックが出来ると思い、アオリイカ釣りを早々と切り上げたのです。



じっくりと温度チェックを

 先日、石窯の温度変化をチェックするため、3窯分の生地を作って、実際にパンを焼きましたが、矢張り、生地があるとどうしても、生地の醗酵等に気を取られ、石窯の温度チェックが疎かになってしまいます。そこで、今回は生地は準備せず、石窯の温度チェックだけをすることにしました
 今回の温度チェックは実際に3時間石窯で薪を焚いた後、石窯内の温度がどの様に下がるかをチェックします。

 11時から薪を焚き始めましたが、基本的には出来るだけ火力が強くなるように薪を3時間焚き続けました。3時間後には石窯内の薪は殆どが熾きとなった状態でした。大量の熾きを焼き床前面に広げ、キャスターで作ったフタをして1時間ほどそのままにしておきました。3時間後に全ての熾きを取り出して窯を冷やすよりは、熾きを残したままにしておく方が更に耐火煉瓦の温度を上げられると思ったからです。

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 薪を焚き始めて1時間が経ちました、薪が良く燃え石窯内はスス切れ状態です


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 薪を焚き始めて3時間が経過しました、薪は殆ど熾きになっています。この状態で窯口のふたを閉め1時間そのままにしました。


 午後、3時前に熾きを取り出す作業を始め、熾きが全部取り出せた午後3時から石窯の温度が下がる経過をチェックしていきました。温度チェックスタートの午後3時には窯口上に差し込んだバイメタル温度計の温度は360度ありました。その時に石窯の中央で窯床から数a高い位置(パンが焼ける位置)の温度を熱電対温度計で計測したところ340度ありました。前回、窯の中の温度を熱電対温度計で測ったときは、窯の蓋を開けたままで測った為、バイメタル温度計との差が100度あまりありましたが、窯は常にフタをした状態で使うため、今回は石窯の中央温度は蓋をして温度が安定した状態で測ることにしました。ただし、1回目の計測で出た340度は正確ではなかったように思います。焼き床からの高さがきちんと出来ていませんでした。
 その後、窯口上のバイメタル温度計が20度下がるたびに、その時の時刻と石窯中央温度を計測していきました。バイメタル温度が180度になるまで計測を続け、大体の傾向を知ることができました。見にくいと思いますが、表にまとめてみました

        s-PB170007.JPG
窯口の上に差し込んだバイメタル温度計が280度の時、石窯中央の温度は熱電対温度計で計測したところ252度でした、差は30度程度です


窯口上の温度(単位℃)   時刻20℃下るのに要した時間(分)  石窯中央の温度(単位℃)   窯口と中央の温度差        (単位℃)
      360  15:00            340                20
      340  15:20        20     304                 36
      320  15:45        25           277                 43
      300  16:05        20           272                 28
      280  16:30        25           252                 28
      260  17:15        45           234                 26
      240  17:55        40           215                 25
      220  18:40        45           208                 12
      200  19:45        65           191                  9
      180  21:10        85           171                  9



今回のチェックの結果分かったこと

 @ 石窯中央の温度は窯口上のバイメタル温度計の温度より20〜30度程度低いことが判明しました

 A 今回の薪の焚き方でバゲットが焼ける温度帯の時間が約60分、食パンが焼ける温度帯の時間が90分程度と判明しました

 B 熾きを全て取り出してから、生地を入れられるまでに掛かる時間は約2時間半程度となりそうです



今後検討課題

 今回も石窯で薪を焚いても、石窯の外側に積んだ断熱レンガの表面温度は殆ど変化していませんでした、と言うことは、まだ、蓄熱量に余裕があるのではないかと思います。薪を更に焚き続けるとパン焼きに使える時間がどの程度伸びるのかを調べる必要がありそうです。又、窯の中央温度は窯口の戸を開けるたびに下がります。出来るだけ戸を開けない工夫も必要です。もう一度、生地を作らずに、温度チェックしたいと思います。
posted by モグじー at 23:12| 徳島 | Comment(4) | 石釜・燻製炉作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月16日

石窯も8年目に突入

モグジーの石窯の簡単な歴史

 石窯が完成してから丸7年が過ぎました、この間、石窯を使いながら次から次へと改修を繰り返してきましたが、今回、根本的な改修工事を始め、取り敢えず2ヶ月かかって一応工事は終了しました。しかし、新しくなった窯を使いこなせるまでにはまだまだ時間が必要と思われます。
 この間、石窯を使って116回パンを焼きました。使った小麦粉の量は1回あたり8`として約900`余りの小麦粉を使ったことになります。それでも、まだ、満足に行くパンは焼けていませんが、今回の改修で新しくなった窯を上手に使いこなすことが出来るようになれば、今まで以上のパンが焼けると信じてパン焼きに力を注ぎたいと思っています。
 以下、簡単な石窯の歴史を紹介します

 @ 2010.06.01    石窯工事開始

 A 2010.07.24  石窯完成

 B 2010.07.28  石窯火入れ 初めて石窯でピザを焼く

 C 2010.10.27  1回目のパン焼き

 D 2010.11.19  石窯の天井が高すぎるので、棚を設け鉄板の上で焼く

 E 2012.11.19  石窯に屋根を設置

 F 2014.07.08  焼き床に開口部を作って燃焼ガスで石窯を加熱

 G 2015.02.23  本格的蒸気発生装置を取り付ける

 H 2017.08.27  大規模改修工事を開始、断熱レンガを積む



遠赤外線で焼くパンを!

 今回、ブログに書かれた、石窯の記事を読み返してみました。すると、パンを焼き始めてすぐに、モグジーが作った石窯は窯の中の温度差がかなり大きいことに気付いています。主たる原因は石窯の形と思いますが、形を変えることはレンガ作りのため簡単には出来ません。基本的には天井に近くなるほど温度が高いので当初は窯の中に棚を作り、棚の上に鉄板を置いてパンを焼いてきました
 この方法で、パンをある程度高温で焼けるようになりましたが、バゲットのクープが相変わらず、きれいに開きませんでした。蒸気発生方法を色々と変えたりしましたが解決できませんでした。結果的には、鉄板の上ではなく、焼き床に生地を直接置くようになってから綺麗なクープのパンが焼けるようになったのです。しかし、鉄板から焼き床に生地を移すと、高さが低くなるため上からの熱量が少なくなります。そこで、焼き床に開口部を作り、石窯の下の加熱炉でずっと薪を焚いて高温の燃焼ガスを石窯に送り込んで温度を保つ方法をとってきました。これで、取り敢えず、綺麗なバゲットが焼けるようになりましたが、石窯内の温度低下が激しいため、ずっと、加熱炉で薪を燃やし続けなければなりません。石窯内の温度を保つにはどうすれば良いか。実は、石窯を作る時に断熱のことを頭に入れていなかったのです。石窯の断熱をどうすれば良いのか、専門家に相談した時言われました、「あなたの石窯でのパン焼きは遠赤外線でパンを焼くのではなく、熱でパンを焼いている」と。石窯の本質である遠赤外線でパンを焼くには、耐火煉瓦の温度が高い状態を維持できれば、遠赤外線も出続けるので、耐火煉瓦の温度が下がらないようにしなければなりません。そのためには断熱が重要なポイントとなるのです。この非常に大切な断熱の問題をモグジーは考えていませんでした。そういう意味では、これからやっと、真の石窯でのパン焼きが始まったと言えるのではないかと思います。

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2010年10月27日に初めて焼いたパンです


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 2017年6月30日に焼いたパンです

posted by モグじー at 23:20| 徳島 ☀| Comment(0) | パン・ピザ焼き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

60才からの挑戦

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