2018年06月19日

ロザリオ・ビアンコにジベレリン処理を

今年こそは収穫を

 モグジーは果物の中でブドウが一番の好物です。ログを建てたときに色々な果実の苗を植えましたが、育てるのに最も力を注いだのがブドウです。当初はデラウエアと甲斐路とネオマスカットを植えました。ところが、甲斐路とネオマスカットは2.3年後にはひどい病気になって止む終えず樹を切りました。樹勢の強いデラウエアだけは消毒をしなくても何とか育ち今年で12年目になります。毎年200房程度の実がなって夏の食卓を楽しませてくれています。無農薬栽培ではデラウエア以外は無理と諦めていたのですが、どうしても、他のブドウも育てたくて最終的にはロザリオ・ビアンコを2本とシャインマスカットを1本を植えました。シャインマスカットは今年で2年目ですが、枝は綺麗に広がっているのに、実が殆ど付かず、辛うじて3房ほど棚にぶら下がっていますが、粒が一房に20粒程度しか付いておらず、とても貧弱です。それでも、何とか一粒ずつでも口に入れようとがんばっています。
 植えて4年目になる2本のロザリオ・ビアンコは昨年は初めて大きな房が付き、収穫をとても楽しみにしていましたが、病害虫予防の為に掛けていた袋を開けた所、うどん粉病にやられて一粒も口に入れることが出来ませんでした。今年は昨年以上に房が付いていますので、何とかうどん粉病から守りたいと必死で見守って来ましたが、残念ながら昨日、ブドウ棚の方の房の軸と粒にうどん粉病が出ているのを見つけました。農薬を使えませんので万事休すです。ただ、水路沿いに植えているロザリオ・ビアンコの方はうどん粉病の発症がまだ見られませんので、こちらの方は収穫まで進められる可能性は残っています。また、うどん粉病に対する対処の仕方がネットに載っていますので、出来る限りのことは試してみようと思います。
 今年は、ロザリオ・ビアンコの方も房作りをしましたので、結構粒が大きくなってきました。粒が小豆大になったときにジベレリン処理をすると更に粒が大きくなるとのことですので、今日はジベレリン処理をしました。デラウエアの場合、今年は容器を使ってジベレリン処理をしましたが、ロザリオ・ビアンコの方は房が大きすぎて容器に入りませんので、ジベレリン液を噴霧器で噴霧する方法を取りました。これから1ヶ月、ロザリオ・ビアンコの世話に頑張らねばと思っています。

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 ブドウ棚の方のロザリオ・ビアンコの房はこんなに大きくなりました、うどん粉病は毎日水で洗えば勢力も弱くなると聞いています。ジベレリン処理が安定してから試してみようと思います。



ブルーベリーも順調です

 昨年の3月に植えた6本のブルーベリーは順調に生育し、今年は少しずつ実を付けて貰いました。先日から完熟した実を収穫していますが、想像していた以上に実が大きくて味も良い感じです。サザンハイブッシュ系のブルーベリーは初めてでしたので、どの様に育つのか不安な面もありましたが、このまま順調に生育してくれれば、ブルーベリーもログの果樹仲間となってくれそうです。

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 ミニ果樹園に植えたサザンハイブッシュ系のブルーベリーで左から、ジョージアジュム、ガルフコースト、サミットの3品種です。


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 果樹園の桃の樹の南側に植えているサザンハイブッシュ系のブルーベリーで品種は左からサンシャインブルー、シャープブルー、ブルーリッジの3品種です。



やっと半分が終了

 今回のハンセン病家族裁判の原告陳述では4名の原告が意見陳述をしました。熊本からログに帰って来た日から意見陳述の文字化作業に取り組んでいますが、畑の作業等も忙しいので、昼間は外で作業をし、文字化作業はブログを書き終えた夜にやっています。今日でやっと二人の原告の文字化作業を終えることができました。2日間かかって一人分の文字化作業を終えていますのでまだ数日は文字化作業に時間が必要と思います。その後で15日のブログをまとめますので、もう少しお待ちください。
posted by モグじー at 19:46| 徳島 ☔| Comment(0) | ブドウ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月18日

阪神大震災を思い出しました

朝食中にグラッ!

 昨晩はワールドカップのドイツ対メキシコの試合を少しだけ見ようと思ってテレビを点けました。すると、とても面白い試合でしたので、目が離せなくなり、とうとう最後まで見てしまいました。そのため布団に入るのが遅くなり午前2時過ぎでした。今朝は7時半過ぎに目が醒めました。7時45分頃からサンルームで朝食をとっていると、突然激しい横揺れを感じました。すぐにラジオのスイッチを入れると大阪北部で震度6弱の地震が有ったとのことでした。ログに住みはじめて何度か地震がありましたが、これほど強い揺れは初めてです。阪神大震災の時は高松に住んでいましたが、その時の揺れは震度4でしたが家が壊れるのではないかと言う恐怖感に襲われるほどの激しい揺れを感じました。この時に経験した揺れが人生で最も激しい揺れでしたが、今回の揺れはそれに次ぐものでした。引き続き余震が無いかとしばらくは緊張しましたが、幸いにも身体に感じる余震は無く、取り敢えずホッとしました。津波の場合は最悪でも数分間の余裕があると思いますが、地震は全く前触れが有りませんので、本当に怖いと思います。震源地である高槻市に住んでいるAさんに連絡を取りましたが無事とのことで先ずはホッとしました。



残りの房に袋掛け

 昨日、風が余り入らないブドウ棚の奥の方に出来ているデラウエア100房に袋を掛けました。今年もデラウエアの収穫目標は200房にしていますので、後、100枚の袋を掛ける予定です。ただ、デッキの通路にぶら下がっているデラウエアは殆ど目の高さに房が有りますので、病気になったり、虫が発生すると目につきますので、できれば袋を掛けない方が良いかなと思います、通路を歩きながら頭の上からぶら下がっているブドウの房を眺めるのはとても感じが良いと思いますので。そこで、ブドウ棚の中央部に出来ているデラウエアにだけ袋を掛けることにしました。ブドウ棚の中央に出来ているデラウエアには殆どアオバハゴロモの姿は見当たりませんでしたので、袋掛け作業はハイペースで進みました。袋掛け作業を終えて残っている袋の枚数を数えた所40枚残っていましたので、この2日間で160枚程度の袋を掛けたことになります。
 袋掛けが終わった後は、ブドウ棚の下の整理をしました。ブドウ棚の下は雨が当りませんので色々な道具を置いたり、剪定した枝や抜いた草などを乾燥させるスペースとして使っています。それらの葉や草が乾燥してきましたので、堆肥作りの囲いに移すことにしました。最近はブドウ棚の下の掃除をしていませんでしたので、かなり見苦しい状態になっていましたが、掃除を終えるとスッキリしました

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 ブドウ棚の中央部にあるデラウエアに袋を掛けました


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 通路の上にあるデラウエアは全部で40房あまりです。通路の上ですので房の状態が常に分かりますので、袋を掛けないでデラウエアが熟れて行く様子を目で楽しむことにしました。


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 ブドウ棚の下がきれいになりました。こうして綺麗にしても1ヶ月も経つと、また、乱れた状態となってしまいます
posted by モグじー at 21:07| 徳島 ☔| Comment(0) | ブドウ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月17日

デラウエアの袋掛け

アオバハゴロモが発生している

 どうしてか、このところ色々な作業に追いかけられる日々が続いています、なかなか、お休みを貰えません。昨日、気になっていたトマトの支えをやっと済ませたら、今度はデラウエアの房にアオバハゴロモの幼虫が沢山ついているのが目に入りました。実は2週間前ぐらいから毎日空き時間があるとブドウスカシバを取っています。最初は1日で1000匹近くのブドウスカシバの幼虫を取っていましたが、少し効果が有ったのか1日に取れる量は200匹あまりまで減りましたが、それ以上は少なくなりません。そして今度はアオバハゴロモの幼虫の出現です。ブドウスカシバを取る時に葉や枝にアオバハゴロモの幼虫が居るのが目に入っていました。目に入るたびにアオバハゴロモの幼虫も殺していたのですが、ついにデラウエアの房にアオバハゴロモの幼虫がついているのが見つかりましたので、慌てて今朝から袋掛けを始めました。2回目のジベレリン処理をした後、急にデラウエアの粒が大きくなってきましたので、袋を掛けなければいけないなと思いながら他の作業が急いでいましたので、袋掛けが出来ていなかったのです。
 アオバハゴロモはブドウ棚の奥の葉が繁ったところで主に発生しますので、今日は先ず最初に繁り過ぎた枝をカットして風通しを良くしました。枝の間引き作業が終わると、ブドウ棚の北側の隅の方にぶら下がっている房から袋掛けを始めました。すでに、かなりの房にアオバハゴロモの幼虫が入っていますので、このまま袋を掛けると、袋の中でアオバハゴロモが大発生し、収穫も出来なくなります。袋を掛ける前に房にアオバハゴロモの幼虫が入っていないかをチェックします。もし、幼虫が入っていたら先ず幼虫を見つけて駆除しなければなりません。デラウエアの房は粒が大きくなって真ん中の茎が見えない位、粒が付いています。小さめの粒をカットして何とか房の中の茎が見えるようにし、アオバハゴロモの幼虫をチェックしました。今日1日でブドウ棚の隅の方をチェックして袋を掛けて行きましたが、1日かけてやっと100袋を掛け終りました。通路やデッキの方はいつも見ていますので、殆どアオバハゴロモの姿が有りません。従って残りの100袋は殆ど房のチェックをしなくても袋掛けが出来ますので、明日には袋掛けが終わるのではないかと思います。

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 先ずはブドウ棚の上に伸びて日を遮っている枝をカットしました


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 先ずはブドウ棚の北側沿いにぶら下がっている房に袋を掛けました。三分の一位の房にアオバハゴロモの幼虫が入っていました。


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 北側の房に袋を掛け終ると、今度はブドウ棚の西側の方にぶら下がっている房に袋を掛けました、これで100袋程掛けました
posted by モグじー at 21:20| 徳島 ☁| Comment(0) | ブドウ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月16日

トマト温室のトマトに支持ネットを

帰りも寒かった!

 昨日、熊本地裁でハンセン病家族訴訟の第4回目の原告陳述が有りましたので、いつもの様に、木曜日の夜行バスで博多まで行き、博多から新幹線で熊本に行き、何とか傍聴券の抽選に間に合いました。今回は珍しく抽選に当たり午前午後の陳述を聞いて、夜行バスで今朝ログに帰ってきました。夜行バスもすっかり慣れて睡眠がとれるようになったのですが、心配していたクーラーの効き過ぎで寒くて何度も目が醒めてしまいました。モグジー夫婦は昔人間ですので、ログでクーラーを掛けることは殆ど有りません。車に乗っても殆どクーラーは使いません。夏は暑いものと思っていますので。従って、クーラーが効き過ぎると寒くて堪りません。夜行バスは若い人が殆どなので、若い人にはちょうど良いのかもしれませんが、モグジーの様なものにとっては残酷です。かといって厚着で行くと熊本で暑いし、次回までに良い方法を考えなければなりません。
 裁判の報告は又時間がかかりますので、昨日のブログが載るのはかなり先になりそうです。



トマト温室にも支持ネットを!

 木曜日の熊本に向けて夜行便で出発する日は、畝に植えたトマトの枝を支えるために支持ネットを張りましたが、今日帰ってみるとトマト温室のトマトも枝が垂れ下がって地面についていました。そこで、トマト温室にも支持ネットを張ってやることにしました。ほかの方法も考えてみたのですが、他に良い方法は思い浮かびませんでしたので、今年は取り敢えず支持ネットを張って、芽かきをせず出来るだけ芽を伸ばしてやろうと思っています。

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 ネットを張る前のトマト温室のトマトの苗です、結構大きく伸びています


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 入口の方から見た支持ネットです、南面は支持ネットを少しだけ傾斜を付けることができました


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 こんな感じで枝が伸びてくると枝を支持ネットに引っ掛けてやります


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 写真の右側が南で左側が北です。南側は前に空間が有りますので少し斜めに支持ネットを張ることができあmすが、北側は殆ど垂直にし支持ネットを張ることが出来ませんでした



商品説明通り大粒でした

 昨年、思い切ってブルーベリーを6本植えました。3本はミニ果樹園の通路沿いに、残る3本は果樹園の方に。今回はきちんとピートモスを入れましたので、順調に育ち、春にはきれいな花を咲かせ、実も成っています。昔はラビットアイ系を植えましたが今回は6本ともサザンハイブッシュ系で大粒と書かれているものを中心に植えました。品種によって完熟の時期が異なっていますが、大体6月中旬から7月上旬に掛けて収穫できる様です。今日見たら、思ったより大粒の実が出来ていましたので写真に撮りました。このブルーベリーはサザンハイブッシュ系のサミットと言う品種です

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 画像の下の方にモグジーの親指が写っていますが親指と同じぐらいの大きさが有ります。他の樹も結構大粒の実がなっています、
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posted by モグじー at 19:17| 徳島 ☀| Comment(0) | 野菜作り日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月15日

あそこへ行って話します

無欲が良かったのか

 モグジーがハンセン病家族訴訟を傍聴するために熊本地裁に通うようになって今回が6回目です。裁判は傍聴希望者が多いため、毎回抽選が行われていますが、これまで5回抽選して当ったのは1回だけです。ただ、色々な方々のご好意で外れた4回の内3回は傍聴券を譲って戴いて傍聴席に座ることが出来ました。でも、今回はどうなるのか全く先が読めませんので、傍聴できなかった場合のことを考えて有る計画を立てました
 熊本に通うようになってKさんと知り合いとなり、後日Kさんが出版されたKさんのお母さんの句集を送って下さいました、Kさんのお母さんは93歳になられた現在もお元気で恵楓園で生活されているそうです。句集を読ませて戴き、是非お母さんにお会いしたいと思うようになったモグジーは、今回、抽選に外れたら恵楓園に行ってお母さんにお会いする計画を立てたのです
 抽選に、これまでは何とか当って欲しいと祈るような気持ちで臨んでいましたが、今回は、抽選に外れたらKさんのお母さんにお会いできるということが有りましたので、無欲な状態で臨むことができました。その無欲が良かったのでしょうか、驚いたことに抽選に当たってしまったのです。出来るだけ原告陳述を記録として残しておきたいという気持ちが有りますので、傍聴が出来るようになりとても嬉しかったのですが、これまでの様にドキドキしないで抽選に臨むことが出来良かったと思います。まだまだ熊本に通い続けますので、恵楓園訪問は必ず実現できると思います。
 今日の原告陳述では4名の原告が陳述されるとのことで、忙しい1日となりそうです


※お詫び

 これまでは、原告の発言を簡単にまとめたものと、国側弁護士と裁判官からの質問だけを合せて記載していました。記載の理由はどのような質問が出るのかを知っていただきたいと思って記録していたのですが、これまでで質問の程度は分かって貰えたと思いますし、記載の意味もあまりないと思いますので今回から質問の項目を記載するのは中止しましたのでご了承ください



午前中、最初に証言台に立たれたのは原告番号5番のIさんでした

「生れてはならない子」

 療養所で結婚した両親はIさんを妊娠したが、療養所内では産むことが許されない為、妊娠7ヶ月の時、両親は療養所を脱走し、外でIさんを出産した。当時は無らい県運動が激しくIさんが4歳になった時、両親は再収容となった。幼いIさんは伯父さんの手で育てられたが、小学校に行く道では石が飛んできた、その後伯父さんが結婚し子供が出来ると居づらくなって13歳の時、療養所内の保育所に移った。その後Iさんは、長島愛生園に設置された准看護学校に入学したが患者の子であることが広まり先輩からいじめられた、准看護学校を卒業後は、結婚し准看護師として働きながら夜間の高看を卒業して看護師となった。結婚後、夜間の高看に通っている時必死で支えてくれた姑から、療養所から来た1枚の葉書でハンセン病に関係していることを疑われ、離婚せざるを得なくなった。
 療養所入所中の父親が危篤状態となり、Iさんは父親の枕元に駆けつけた。少し持ち直した父親がIさんの姿を見て「帰れ、帰れ」と言った。危篤状態の中でも父親は娘のことを心配した。延命治療を医師から問われ、長期の休みが取れないIさんは「父を私の前で死なせてください」と言い延命治療を断った。父親を見送ったIさんの心の中に今でも「私が父親を殺したのも同然だ」と言う思いが残っている。国賠訴訟の中で、家族の会「れんげ草の会」を立ち上げたIさんは、裁判の時、療養所で棚に置かれた胎児が入れられた大量のガラス瓶を見て、国にとっては「私は生まれてはならない子」であったことを知った。そしてIさんは自らの生い立ちを書いた著書「生れてはならない子」を出版し、家族訴訟の原告となった。



二番目に証言台に立たれたのは原告番号145番のJさんでした

母は謎の多い人でした

 8人兄弟の末っ子として生まれたJさんの母は17歳でハンセン病の為療養所に収容された。若かったので結婚の話もあったが、姉たちに絶対に結婚しない様に言われ単身で療養し、病気が治って退所した。母は40歳を過ぎて結婚し、3才上のJさんの兄とJさんを生んだ。Jさんは自分の母は謎が多くて近所の人達の目を非常に気にしていたと語り、昔話を聞いても分からないことが多かったと。母は国賠訴訟の原告となり賠償金を貰ったが、従兄弟たちから「お前の母さん国からお金貰うたろう」と見下ろすように何度も言われたが、何も分からないので、言い返すことも出来ず、従兄弟たちの上からの目線の言葉に耐えることしかできなかった。家族訴訟が始まった頃、突然Jさんは母に呼ばれ、弁護士を交えて、母からハンセン病のことなど、母の生い立ちを聞かされた。この時初めて、小さい頃から、従兄弟たちに、見下げられてきた理由が分かった。それからは必死でインターネットでハンセン病のこと、ハンセン病の歴史を調べたが、強制隔離や差別、偏見のことを知り、あまりの重ぐるしさにネットを閉じることも何度も有った。母から病気であったことを聞き、やっと、これまで謎の多かった母の姿が少しずつ見えるようになり母との距離が近くなっていくのを感じた



午後、最初に証言台に立ったのは原告番号135番のKさんでした

「優しかった父が」

 Kさんは昭和17年に8人兄弟の3番目で長女として久米島で生まれた。中卒後、住み込みの女中として那覇で働き始めた。船員の父親は仕事で那覇に来たときはKさんを映画に連れていくなどとても優しかった。昭和34年、Kさんのすぐ下の妹がハンセン病で療養所に収容されたとの知らせが届いた。兄弟思いのKさんは仕事の休みには必ず妹の面会に行った。昭和36年に妹が退所した時は、Kさんは仕事を変わって一緒に暮らした。昭和38年二人の弟がハンセン病で療養所に収容され、昭和43には次男が療養所に収容された。兄弟8人の内4人がハンセン病になり、父は余りの辛さに酒を飲んで暴れるようになった。父親は遺伝と思い自分の家系には病気の者はいない、お前が悪いと言って母親を責め暴力をふるった。父の暴力は次第に激しさを増し、耐えきれなくなった母親と兄弟は全員Kさんの狭いアパートに転がりこんだ。家族が崩壊する中でKさんは結婚を諦め昼も晩も働いて家族を支えた。しかし、どうしてもKさんと結婚したいという男性が現われ、兄弟から「ねえねだけは結婚して幸せになって」と励まされ結婚し4人の子供を育てた。8人の子供に恵まれ幸せだった家族は国の強制隔離政策により、修羅場と化した。それでも母は必死に子供を守った。余りの厳しさで身体が半分になってしまった母のことを考えると胸が張り裂けそうになると語るKさんは、自分自身が必死で耐えてきたこの苦しみを夫や子供たちに味あわせたくないと思って兄弟の話をしていない。原告側弁護士に「50年連れ添ってくれた夫にも話さないのですかと聞かれたKさんは「あそこに行って夫に話します」と答えた。最後にKさんは「優しかった父の人格が崩れ家族が壊され家族を失ってしまった隔離政策が憎い」と語って陳述を終えた。



最後の4人目に原告番号234番のLさんが証言台に立たれました

国に対しバカにするなと言いたい!

 Lさんの生後95日目に母は療養所に収容され、住んでいた家は病気の菌があるということで焼かれた。Lさんが9歳の時、父は再婚したが義母はLさんに2`離れた川まで水汲みに行かせたり、ご飯を焚かせたり、くんちゃ(沖縄ではハンセン病のことをくんちゃと言っていた)の子はくんちゃと言って奴隷のように扱った。小学校に通う途中石を投げられたり、学校内でクラスの子供や先生からいじめを受けた。床屋に行っても病気がうつると言って錆びたハサミで髪を切られるなど地域でも厳しい偏見と差別がLさんを追い詰めた。Lさんは故郷を捨て15歳の時島を出て遠洋漁船の船員となった。しかし、母への思いは捨てきれず、昭和39年島に帰って鮮魚商を始めた。しかし、同業者がLさんの母親がハンセン病であることを言いふらし魚の仕入れが出来なくなった。遠洋漁業で蓄えた資金で何とかその危機を乗り越えたが、長く続いた差別と偏見は未だに残り、娘も離婚となった。
 Lさんは陳述の最後に、「2001年の裁判に勝って良かったと思った、残された家族は差別ばかり受けて自分たちはまともな生活が出来ない。辛かった。ハンセン病の重荷は絶対に降りない。訴訟を争う姿勢の国に対してバカにするなと言いたい」と声を荒げた



今日の陳述を聞いて

 今日は1日かけて4名の方の陳述を聞かせて貰いましたが、中身は勿論ですが、短時間で多くのことを陳述したいとの思いが強いのか、ついつい語られるスピードが速くなり、筆記するのが大変でした。筆記しながらも原告の言葉が心に響いてきます。特に3番目で陳述された原告番号135番のKさんが語られた言葉は心に残りました。原告側弁護人から「50年連れ添って貰った夫にどうして話されなかったのですか」と問われたKさんは「あそこへ行って話します」と静かに言われました。ハンセン病は発病した本人は勿論のこと血のつながった家族も余りに厳しい偏見と差別を前にして、他人は勿論のこと、同じ屋根の下に住む家族にさえ語れない重い秘密を担わされました。重い秘密を担わされながら、死者となり、又死者を送る身となった家族にとってやっと秘密を明かせる時が来るのはいつなのでしょうか。あの世に行ってやっと話せる秘密。ハンセン病が抱えた余りに過酷な秘密は、厳しい差別・偏見により殻を厚くされ、厳しい差別・偏見は国の強制隔離政策と無らい県運動によって強化されました。秘密の殻を破るにはたとえようもない勇気が必要でした、その勇気は同じ秘密を持つ仲間に勇気を与え、今回の家族訴訟となりました。家族訴訟を通じて一人でも多くの方が秘密の殻を破る歩みを始めることが出来たら、これ以上の勝利は無いのではないかと思うモグジーです。
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posted by モグじー at 23:20| 徳島 | Comment(0) | ハンセン病家族裁判 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月14日

ミニトマトの支え

支持ネットで支えてみよう

 昨日のブログで書きましたが、今年はミニトマトの芽かきを控えめにしようと思っています。ネットで紹介されているのは、3b四方の広さに1本の苗を植え、枝は四方八方に向けて地面に這わせる方法です。モグジーの場合は苗を植える段階では、これまで通りに育てる積りでしたので、50a間隔ぐらいで4本の苗を植えました。今更、植え換える訳にも行きませんので、苗はこのまま育てますが、全く芽かきをしなかったら繁り過ぎて大変なことになります。従って今年はある程度芽かきをしなければならないと思います。ネットでは出来るだけ低く枝を伸ばすように書かれていますので、今まで立てていた支柱は外して、出来るだけ斜めに枝を伸ばそうと思います。斜めに枝を広げるにはどうすれば良いか色々と考えてみました。その結果思いついたのが支持ネットで支える案です。格子の目の大きさが10aのキュウリ用の支持ネットを使って枝を支えることにしました。支持ネットの張り方についてはあちこちに杭を立てるのではなく、出来るだけ既存の物を使うことにし、色々と工夫して何とかイメージしていたものができました。ただ、強度的にはかなり不安が有りますので、台風が来るときは前もって補強をしなければと思います。
 畑の方はまだ周囲に空間が有りますが、温室の方は殆ど空間が有りません。こちらも、芽かきをしないで沢山の枝を伸ばしていますので、近いうちに支えをしてやらなければなりません。畑の方と同じ方法は出来ませんが何とかして良い案を考えたいと思います。もし、今年植えた苗が病気にならず元気で育ったら、冬には温室状態としますので、取り敢えず温室の枠の中で育てる方法を考えなければと思います。
   
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 苗の根元から斜めに支持ネットを張りました、フェンス側はネットの傾斜が緩やかですが、北側はトウモロコシが植えられているため殆ど垂直に近い状態です。


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 温室は幅1.2b長さ3.6bですので本来であれば1本の苗だけ十分なのですが…
   
posted by モグじー at 20:18| 徳島 ☁| Comment(0) | 野菜作り日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月13日

久し振りのテニス

3回連続の雨天中止!

 モグジーは毎週水曜日と隔週の金曜日にテニスをしていますが、普段は水曜日に雨が降ることは殆ど有りません。雨がの予報が出ていても当日になる雨が降らなかったりすることが多いのです。しかし、梅雨の時は妙に水曜日に雨が降って中止になることが多く、昨年の6月は3回連続で雨天中止となり、今年も前回まで3回連続で雨天中止でした。しかし、今日は晴れの予報で朝起きるときれいに晴れていました、最高気温は25度まで上がるとのことで、真夏と同じ準備でテニスに出掛けました高齢者にとって初夏の厳しい暑さの中で1ヶ月ぶりにラケットを振るのは大変でした。こまめに休憩を取り水分補給をしっかりして何とか2時間頑張りましたが、終わってみると全身ビッショリの汗をかいていました。



帰ると畑に

 テニスを終えてログの帰ると、先ずは手作りのシャーベットを口に放り込みました、暑い時はこれが最高です。身体が落ち着くと作業着に着替え畑に出ました。畑や果樹園の野菜や果樹は最近の雨で元気一杯です。いつの間にか野菜も大きくなっています。先日の強い風でトウモロコシが2本ほど倒れていました。今の時期のトウモロコシは地上の葉や茎が大きいのに、地下の根は意外と伸びていないので、少し強い風が吹くと傾いたり倒れたりします。そのため、トウモロコシの背丈が1b程度に伸びた時、倒れないように支えをしています。本数が50本以上ありますので1本1本に支柱を立てるわけにはいきません。そこで、毎年ロープを張ったりして、トウモロコシが完全に倒れてしまうことが無いように支えをしています。今年もロープを使おうかなと思いましたが、桟橋工事で使った荷作り用のビニールテープが使えそうでしたので、試しに使ってみました。
 高さ50a位の所にビニールテープを網目のように張っておけば、トウモロコシの根とビニールテープの支えで完全にトウモロコシが倒れてしまうことは無く、せいぜい、傾く程度ですので後で根の周りを押さえてやれば殆ど元の状態に戻ります。大きくなるにしたがって根も深く入って行きますので、問題はこれから1ヵ月間ぐらいです。本来は2畝のトウモロコシ畑を囲う四隅に柱を立てればしっかりとビニールテープが張れるのですが、それは大変ですので、1ヶ所だけ柱を立て、後は畑の周囲に張りめぐらせているフェンスの柵を使ってビニールテープを張りました。ビニールテープがある程度伸び縮みしますので、強固な支えにはなりませんが、少なくとも完全にトウモロコシが倒れることだけは阻止してくれると期待しています。

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 大きくなった2畝のトウモロコシです。左の畝が直播で右の畝がポットに苗を立て後で畑に移植したものです。直播のおふが大きく育っています。


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 ログの畑では東西方向の風が強く吹きますので東西方向に完全に倒れないようロープを張っています


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 こんな感じで2畝のトウモロコシに支えのビニールテープを張りました。畝を囲むビニールテープはきっちりと固定は出来ていませんが、台風でも吹かない限りは大丈夫と思います。



ミニトマトは芽かきを適当に!

 4年も前に大島青松園に転職して初めて野菜を作り始めた時、先輩からトマトの芽かきについて教わりました。それからはトマトを作ると必ず芽かきをしていました。しかし、最近ネットでミニトマトを芽かきしないで育てる技があるのを知りました。ミニトマトを芽かきしなかったら繁り過ぎて大変なことになります。この技は3b四方の面積に1本のミニトマトを植えて育て1本の樹から2000個以上のミニトマトを収穫しているとのことです。この方法であればトマト温室の広さであれば1本の苗だけで十分です。今年はすでにトマト温室に3本の苗を植え、畑には一畝に4本の苗を植えていますので、全く芽かきをしないで育てるのは無理と思いますが、今までの様に何も考えないで単純に芽かきをするのでなく、育てるトマトの樹をイメージしながら芽かきをしてみようと思います。問題は繁り過ぎて病気にならない様に注意することです。


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 トマト温室のミニトマトはまだ全く芽かきをしていません、どの様に枝を伸ばすか考えなければなりません


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 畑に植えた4本のミニトマトもまだ芽かきをしていません、なるべく枝が広がる様に育てなければなりません



今回は育つかも

 ログを建てる時、ブルーベリーは必ず育てたいと思い、沢山のブルーベリーを植えましたが、1.2年のうちに全て枯れ、その後も何度となく植えましたが、全て枯らし諦めました。この土地には無理なのだと思って。しかし、数年前から北隣に住んでおられるIさんは見事なブルーベリーを育てておられ、唖然としました。プロが植えられたということですが、どうも、植える時のピートモスの量をモグジーがケチった為育たなかったようです。そこで、ブルーベリーに昨年から挑戦し6本の苗を植えました。勿論、しっかりとピートモスを使って。すると、順調に育って実が少しついています。沢山の実が付いた樹は、樹が弱らない様に殆どの身を落としましたが、他の樹は皆20〜30個の実を付けています。熟れてきた実も有りますので昨日妻に試食してもらいました。それなりに美味しいとのことでした。完熟させて楽しみたいと思います。

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 樹も元気そうに育っていますので、このまま生きのびてくれるかも
posted by モグじー at 23:20| 徳島 ☀| Comment(0) | ログ暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月12日

またしても石窯の改造

元に戻してみよう

 昨年の秋に石窯の保温を良くするため断熱レンガを石窯の周囲に積む大改修工事をしました。その結果、同じ量のパンを焼くのに必要な薪の量は半分となりました。以前は石窯を最初に暖めた後も、下の加熱炉でずっと薪を焚いて窯の温度を維持していました。しかし、断熱レンガを積んでからは、石窯の保温状態が良くなり温度低下はかなり緩やかになりました。しかし、ハード系のパンを6窯焼くと数時間かかりますが、改修を終えた石窯でもハード系のパンを焼く温度(270度〜230度)を数時間も維持するのは不可能でした。そのため、色々と試行錯誤を重ね石窯の焼き床の6a余り上に更に簡単な焼き床を作り、その下で熾きや炭を燃やして何とか温度を維持してパンを焼いてきましたが、基本的には温度が低く4窯目から6窯目までのパンは満足のいく焼き加減とはなっていませんでした。今後どうするか色々と考えた結果、基本的に3つの改善を加えることに決めました。一つ目は窯のドーム部の外側から放熱が目立つのでその部分に断熱材を盛ること、二つ目は水蒸気をスチームクリーナーで発生させること、三つ目は加熱炉で熾きと炭で加熱することです。



断熱材は灰にしよう

 ドーム部の外側に盛る断熱材は最初はライトキャスターを使う予定でした。そのことをブログに書いたところ、ブログ仲間のKさんから灰を積む提案が有りました。石窯を焚くたびに大量の灰が出ます。畑に入れるのも限度がありますので、最近は市のゴミに出しています。この灰を使えたら正に一石二鳥です。それからは灰を貯めていますがまだまだ貯めなければなりません。灰を盛る場合の方法ですが、耐火性の袋があればそれに詰めて積むのが一番と思いますが、ネットで調べても適当なものが見つかりません。もう一つはドーム部に木枠を作ってその中に灰を詰め込んでいく方法です。ログは風が良く当たりますので、その風で灰が飛ばない様にしなくてはなりません。そのためにはどちらが良いのか思案中です。



スチームクリーナーで蒸気を

 ハード系のパンを焼くときは生地を窯に入れた直後に十分な量の蒸気を入れなければなりません。蒸気の入れ方についてはこの8年間色々な方法を試してきました。その結果、最近では窯の中に小石を入れた細長い器を石窯内の両側に置き、熱湯を小石に掛けて蒸気を発生させています。大まかに計算すると100度のお湯1ccを蒸気にするのに約540iの気化熱が必要です、1回のパン焼きで焼く400ccのお湯を蒸気にしますので、100度のお湯を小石に掛けたとしても540X100=54000iの熱量が蒸気を作るのに必要です。これは1gの水を54度に上げるのに必要な熱量ですので、結構多量の熱が窯から奪われます。蒸気を外部から供給してやれば、窯の熱が奪われることはありません。蒸気を供給する専用の器具はとても高価で手が出ません。現実に使えそうなのはスチームクリーナーです。最近、昔長男から貰ったスチームクリーナーを試しに使ってみましたがクープは部分的にしか開きませんでした。このスチームクリーナーはハンディタイプで簡単の物ですので、蒸気の温度も低いし吐出蒸気量も少なめです。本格的なスチームクリーナーであればどうなのかこの数か月色々と調べてきましたが、最上級のスチームクリーナーであれば使えるのではないかと思っています。駄目元でスチームクリーナーの購入を決心しました。


そして石窯の改造です

 最初に石窯を作った時、焼き床は厚さ6aの物をアサヒキャスターを使って作りましたが、実際に使ってみた所、温度低下が激しいので、4年後ぐらいに、加熱炉で薪を焚いて出来た高温の燃焼ガスを直接石窯内に入れる目的で焼き床に穴を2ヶ所開けました。その結果、石窯が良く加熱できるようになりました。昨年の秋に石窯の大改修工事をした時に焼き床の蓄熱量を増やす為、焼き床の上に更にアサヒキャスターを厚さ5aほど盛りました。この時に、開口部をどうするか悩みました。埋めてしまうのか、それとも開口部を残しておくのか。最終的には、後で、開口部が欲しい時に簡単に開口部が作れるような構造としました。また、焼き床の下には焼き床の熱が逃げないように断熱レンガを2段積んでおきました。今回は、再度開口部を開けると共に断熱レンガを2段積んだ上に耐火レンガを1段積みその上に高さ10a余りのスペースを作って、燠と炭の燃焼させたものを入れた鉄板トレーが差し込めるようにしました。

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 昨年の石窯大改修の時、焼き床を5a厚くしましたが、開口部を残す為開口部用の木枠を作ってアサヒキャスターを流しました


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 両側に開口部を残した状態でアサヒキャスターを流し込みました


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 取り敢えず開口部を塞ぐため開口部に砂を流し込んで厚さ2a程度のアサヒキャスターを流し込みました、焼き床にくっつかないよう境目に紙を挟みました


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 昨年の秋に5a厚くなった焼き床が完成しました、開口部は埋められています


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 今日、再度、焼き床の開口部に埋められていたアサヒキャスターを取り除きました


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 昨年の秋に、焼き床の熱を逃げない様、焼き床の下に断熱レンガを2段積みました


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 今回、断熱レンガの位置を15a余り下げて、その上に耐火レンガを積み重ね、その上に高さ10a余りの空間を作りました、奥の方に良く燃えた熾火と炭を載せる鉄板のトレーが見えます


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 焼き床の下に在った断熱レンガは15a余り下がったところに積まれました、加熱炉では昔のように薪を燃やすことはせず、燠と炭を燃やします
posted by モグじー at 22:50| 徳島 ☁| Comment(2) | 石釜・燻製炉作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月11日

汗ダクダクになりました

矢張りレモンの味が濃すぎたかな!

 今日は天気予報では、曇り時々雨となっていました。朝食時に完成したばかりのジューンベリージャムをパンに塗って食べましたが、昨日妻が言ったように確かにレモンの味が強すぎて、肝心のジューンベリーの味が弱められてしまったようです。今回のジューンベリージャム作りをまとめてレシピを作ろうと思っていますが、トロミを付けるために加えるレモンママレードの量を出来るだけ少なくできるようなレシピにしなければと思います。朝食を終えると、先ずは昨日完成したジューンベリージャムにラベルを貼る作業をしました。今回は、33本のジャムを作りましたので、ラベル貼りも結構、時間が掛かりました。

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 昨日完成したジューンベリージャムです、綺麗な色に仕上がっています


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 小皿の上に出してみました、柔らかさ加減は丁度良いかなと思います


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パンに塗ったらこんな感じになりました、とても美味しそうに見えます


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 いつもの様に、ラベルを印刷して瓶に貼り付けました


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 ラベルを貼り終えたジューンベリージャムです、結構沢山のジャムが出来上がりました



曇って丁度良いと思っていたのに

 その後は、畑に出て、スイカの手入れをしました。今年も、スイカの苗を2本購入して植えましたが、昨年と同様に2畝の畑を使って育てることにしています。ただ、スイカを植えるために用意した畑はイチゴを育てていた畝です。今年はイチゴが全くの不作で5月に一番成りを収穫した後は全く花が咲かず、葉が繁りランナーが伸びるだけでした。そのイチゴを抜かずにスイカの苗を植えました。スイカは蔓がドンドン伸びますが、蔓の下に枯れ草などを敷いた方が良いので、イチゴのランナーが伸びて子株が充分に出来た段階でイチゴを刈って畝の上に広げようと思っていたのです。
 スイカの苗が1ヵ月間でかなり伸びましたので、そろそろ、イチゴを刈らねばと思っていましたが、なかなかその時間が無くて、イチゴのランナーが伸び放題となっていました。完全にスイカが負けていますので、今日、イチゴを整理することにしました。イチゴのランナーから沢山の子株が育っています、その子株の殆んどは畝の周囲を囲っている枠に沿って出来ていますので、周囲の子株は残して畝の中央部分に大きなイチゴの葉やランナーなどを刻んでバラマキ、スイカの蔓の下敷きとすることにし、早速作業を始めました。作業を始めた頃は空は曇っていて作業がし易かったのですが、そのうちに、空は綺麗に晴れあがり、湿気も有るので暑くて大変でした。上着の下に着ているシャツもビッショリとなりました。昼食をはさんで5時間余り作業をして何とかスイカの畝の手入れを終えることができました。

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 スイカを育てるのに使う2畝の畑です、左側の畝は殆ど作業が終わり、右側が半分程度済んだところです。作業を始める前の畑の状態を写真に撮るのを忘れました


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 スイカの苗は左側の畝の向こう側の端と右側の畝に手前側の端に植えています、通路を越えて蔓を延ばす予定です。
posted by モグじー at 22:48| 徳島 ☁| Comment(0) | 野菜作り日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

レシピ


ジューンベリージャムのレシピ

 今回は、昨年のジューンベリージャム作りを参考にして作業を進めました。ただ昨年と違って石窯の余熱でジューンベリーを焚いたため十分に柔らかくなりませんでした。ジューンベリージャム作りの最も難しいのは種取りです。今回は試しに一粒ずつ種を取ってみましたが、この方法は余りに時間が掛かって不可能であることが判明しました。そこで昨年と同じ方法に戻しましたが、種が上手く浮かず苦労をしました。その結果、大量の水を加えた為、トロミがなかなかつかずレモンママレードを入れてトロミを付けましたがレモンの味が強すぎてジューンベリーの味が弱くなってしまいました。この点を考慮して取り敢えずレシピをまとめてみました。このレシピで来年はジャム作りをし改善を加えたいと思います。

1、 ジューンベリーを潰す
      ジューンベリーを水で洗い、大鍋に入れて弱火で2時間程度加熱し一晩置く
      十分に柔らかくなっているのが確認できたらヘラ(フォーク)で押しつぶして
           果汁と果肉を分ける。その時果肉と種が分離していることを確認する。最後
           にザルを使って果汁と果肉を分けておく。
2、 種の取り出し
      中鍋に全ての果汁を入れ、果肉の四分の一程度を入れて良く混ぜ、種が
      浮くかチェックする、浮いていなければ、お湯を加える(砂糖と加熱は種を浮
      かすのに効果があるかチェックが必要)種が浮いたらお玉で円を描いて種
      を鍋の周囲に集めお玉で掬う、この作業を種が掬えなくなるまで繰り返し
      種が掬えなくなったら果肉部分をザルに入れ良く果汁を絞って大鍋に戻す
      この工程を4回ほど繰り返す。その後、果肉に残っている種を箸で摘まみだ
      す。
3、 煮詰めた後、トロミを付ける
      種を箸で摘まみだした後の果肉と果汁を大鍋に戻し、砂糖を2割加えて甘
      みをチェックし足らなければ加える。砂糖を加えた後、トロミをチェックしトロ
      ミが足りなければ強火で水分を飛ばす。(レモンママレードを少量入れる、
      5%以下にする)

posted by モグじー at 22:09| 徳島 ☁| Comment(0) | ログ暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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