2018年05月18日

矢張り数を減らすことに

このままでは小さな桃に

 昨日の段階で、今年のモモの袋掛け作業は終了したと書きました。夜にそのブログを書き上げましたが、ブログを書き終えた後も、袋を掛けたモモの数が多すぎるのではないかとの疑念が寝るまでくすぶり続けました。昨年のモモの袋掛けのブログを読み直しても、同じようなことで悩んでいます。と言うことは、モグジーには摘果作業に対する明確な指針がないから、同じような問題を抱え込んでしまうのです。昨年は最後の段階で1本の枝に残すモモを一つにしました。今年は1本の枝になっているモモの内最も大きいモモに先ず袋を掛け、残ったモモに付いては最終段階で再度判断することにしていましたが、結局は1本の枝に2個のモモを残すケースが続出してしまい、結果として450個前後のモモに袋をかぶせてしまいました。どう考えてもこれはまずいと思いましたので、今日、テニスが終わると、果樹園に出て基本的には1本の枝に残すモモが1個になるよう、再度摘果を行いました。その結果、80個のモモを摘果しました。これで、樹に残っているモモは370個程度となりました。2割程度総数を減らしましたので、少しはましなモモが収穫できるのではないかと思います(涙)



温室にもトマトを

 一昨年、トマト温室のトマトが病気に罹り、全滅しました。そこで昨年は温室の土を天日消毒したり熱湯消毒して苗を植えたのですが、矢張り同じ症状がでて、最終的には秋でトマトの収穫は終わってしまいました。そこで今年はどうするか色々と悩んでいたのですが、今年は大きな布鉢に新しい土や腐葉土を入れて、苗を植えることにしました。他の夏野菜の植え付けも全て終わりましたので、モモの摘果作業が終わったあと、トマト温室にトマトの苗を3本ほど植えました。いつの時点で病気の症状が出るかドキドキですが、とにかくチャレンジです。

   s-IMG_3069.JPG
 直径50aの布鉢に新しい土や腐葉土をたっぷり入れてトマトの苗を植付けました


   s-IMG_3070.JPG
 例年であればトマトの苗を5本温室の中に植えていたのですが、今年は3本ほど植えました



 矢張り直播に軍配が!

 モグジーはトウモロコシを育てる場合、先に、ポットの中に種を播いて苗を作り、苗が育ってから畑に移植していました。こうする方が苗の管理がしやすいからです。しかし、殆どの本には畑に種を直播するように書いてあります。そこで今年は直播とポットで苗を育てる方法とを並行して行いました。先日、ポットで育った苗を直播の畝の隣に植えました。苗がしっかり着いたようですので両者を比較してみました。その結果は、苗の高さは殆ど変りませんが軸の太さがかなり違っていました。直播の方が倍くらい太いのです。これは収穫量にも反映されると思います。矢張り直播の方が良いようです。

   s-IMG_3072.JPG
 これがポットに種を播いて育てた苗を畝に植えたものです、一番良く育った苗です


   s-IMG_3071.JPG
 これが種を畝に直播きしたものです、ポットで育てた苗に比べると勢いが違います



カラスが居なくなりました

 この時期になると、ログの畑の横に在る電柱の上で必ず何匹かのカラスがじっとログの畑や果樹園を見張っています。先日、ビワに袋を掛けた所、早速、歩道に破れた袋とまだ熟れていないビワが転がっていました。まだ熟れていなかったので少しかじって捨てたのだと思います。ところが、今日ビワをチェックしたところ、袋の中の実が黄色くなっている感じです。1つだけ袋を外したところ結構色付いていました。もう少しで完熟です。昨日、防鳥ネットが完成しましたので何とか間に合いました。不思議なことに昨日から電柱に留まるカラスの姿が見えなくなりました。ログでは美味しいものにありつけないと悟ってくれたのでしょうか。

   s-IMG_3074.JPG
 かなり色付いて来たビワです。黄色がもっと濃くなると完熟です
posted by モグじー at 21:41| 徳島 ☁| Comment(0) | ログ建設記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月17日

やっと袋掛けが終わりました

 切り上げ剪定の効果か

 ログでは10年余りモモの栽培を続けていますが、モモの栽培を始めた頃に困ったのが縮葉病でした。モモの花が咲き実が付き始める頃、綺麗な新緑の葉が広がってきます。モモの栽培を始めて2年後ぐらいから、せっかく広がった葉が縮んでいき最後は水ぶくれの様なものが出来て落葉する葉が目立つようになりました。本で調べると縮葉病と書かれていました。縮葉病は感染するので、縮葉病にかかった葉が目に入るとちぎっていました。余りに縮葉病の葉が多いため、葉が足りなくなるのではないかと心配になるほどでした。更に、困ったことに縮葉病がやっと納まった頃に、今度はせん孔細菌病が蔓延し始めました。植物は葉が命ですので、葉が病気になって葉の枚数が激減するのはピンチです。ネットを見ては少しでも病気に罹らないよう色々な工夫をしましたが、根本的な対策は見つかりませんでした。ところが不思議なことに今年は縮葉病が殆ど出ていないのです。なぜ、縮葉病が出なくなったのか、考えてみた所、切り上げ剪定の効果ではないかと思いはじめました。切り上げ剪定をすると当然、樹の勢いが増します。その結果、縮葉病にかからなくなったのではないかと思うのです。もうしばらく時が経たないと確かなことは分かりませんが、もし、切り上げ剪定の効果だとすれば、とても嬉しいことです。


今日で袋掛けも終了

 先日から続けてきたモモの袋掛け作業は今日終了しました最終的には420個程度のモモを残してしまいました。ただ、袋の枚数が既製品は300枚とはっきりしているのですが、手製の袋はきちんと数えていなかったため、はっきりした枚数が分かりません。いずれにしてもゴルフボール程度に大きくなってしまった実を摘果するのは非常に勇気が要ります。この3日間の袋掛けに際して全部で600個余りのモモを摘果しました。ここまで大きくして摘果するのは大きな無駄ではないかと反省しています。モモの数を少なくするため、成長の段階に応じて摘花、摘蕾、小さな実の摘果、少し大きくなっての摘果、そして最終摘果となりますが、樹の負担を少しでも小さくするためには最終摘果の段階で袋の枚数程度に実を減らさなければいけないと思います。今回の様に袋掛けの段階ではモモはゴルフボール程度まで大きくなっていますので、かなりの栄養分を消費しています。これを摘果して捨ててしまうのは余りに勿体ない話だと思います。結局はモグジーに決断力が無いからだと思います。取り敢えず、今年はこのままで最後まで行きますが、結果をきちんと整理して、来年のモモ栽培では経験が生かされるように頑張ろうと思います。


   s-IMG_3066.JPG
 最終的に摘果が終わった桃子です、結局270個余りの実を残してしまいました


   s-IMG_3067.JPG
 桃太の方は少なめで樹に残っているのは170個余りかなと思います


   s-IMG_3068.JPG
 今日も袋掛けの時に不要な実を摘果しましたが、120個余り有りました、結構大きな実も摘果しました



裁判記録の作成に頑張ります!

 夏野菜の植え付け、防鳥ネット張り、モモの袋掛けなどでこの10日間余りてんてこ舞いでしたが、今日の袋掛け終了で、急ぐ作業は一応終えることが出来ました。後は先日の裁判傍聴の記録をまとめる作業が残っていますが、2日も有れば作業終了となりますのでバタバタ続きの日常からちょっぴり解放されそうです。
posted by モグじー at 21:30| 徳島 ☀| Comment(0) | ログ建設記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月16日

防鳥ネットが完成

ジューンベリーが色付き始まました

 今日はテニスから帰った後、モモの袋掛けの続きをしようと思っていましたが、テニスに行く前にミニ果樹園のジューンベリーとビワの熟れ具合をチェックしたところ、ジューンベリーが赤く色付き始めているのに気付きました、更にビワの方も黄色くなり始めています。そこで急遽予定を変更して、テニスが終わった後はミニ果樹園の防鳥ネットを設置することにしました。防鳥ネットは毎年畑や果樹園に取り付けているため、必要な寸法にネットを加工しておけば、設置時間をかなり節約できると思うのですが、ネットの加工は毎年少しずつやっている状態ですので、まだ半分程度しか加工が終わっていません。ミニ果樹園の方はイチジクとジューンベリーを覆う天井のネットは昨年加工しましたが、ミニ果樹園のネットをビワや柿の方まで延ばすことにしましたので、ネットを撤収するときに、ミニ果樹園全体の天井が覆えるようなネットを作って置こうと思います。

   s-IMG_3057.JPG
 ジューンベリーがこのように赤く色づき始めました。鮮やかな赤が褐色に変わった時が収穫時期です


   s-IMG_3055.JPG
 手前の畑と駐車場からログに入るエントランスの間にミニ果樹園を設置し、東側からイチジク、ジューンベリー、ブラックベリーブルーベリー、柿、新しく植えたイチジク、ビワを植えています。ミニ果樹園の天井部分に張る防鳥ネットは網目が大きいと網の間から鳥が果樹を食べますので、網目が細かい防風ネットを張っています



取り敢えず桃子の方が完了

 防鳥ネットを張る作業は結構時間が掛かり、ネットを張り終えたのは午後4時でした。それから、果樹園の桃子の方のモモに袋を掛ける作業を始めました。昨日までに既製品袋を200枚かけましたが、樹にはまだまだ沢山の袋が掛けられていない実が残っています。結局全体で400枚の袋を掛けることにしましたので、手製の袋を桃子の方には70枚程度掛けることにしました。袋を掛けながら小さめの実を思い切って摘果しました。夕方6時までに70枚の袋を桃子に掛け終りました。その後、樹の下に落ちていた摘果された実を数えた所、150個余り有りました。結局、桃子に270枚の袋を掛ける段階で摘果した実は約300個余りです。袋を掛ける前にもっと思い切って摘果をしておく方が良いと思うのですが、なかなか摘果の要領を把握することができません。明日、桃太に30枚の手製の袋を掛けたら、袋掛け作業は終了です。

   s-IMG_3053.JPG
 右が既製品の二重袋で、左が手製の袋です。手製の袋紙の上にポリエステルの袋を貼り付けていますので、袋を枝にくくる時に便利ですし、枝と袋の間に隙間が殆ど出来ませんので、シンクイムシの侵入をかなり食い止めることができます。


   s-IMG_3061.JPG
 今日桃子の樹から摘果した実です。150個あまりありました


   s-IMG_3062.JPG
 袋掛けが終わった桃子です、270枚の袋を掛けました
posted by モグじー at 21:04| 徳島 | Comment(0) | 果物作り日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月15日

モモの袋掛けも後少し

虫の被害が結構あります

 今朝起きると、綺麗に晴れています。絶好の作業日和ですので朝食を終えるとすぐに果樹園に出てモモの袋掛け作業を始めました。昨日は主に桃太の方に袋を掛けましたが、使った袋は100枚余りです。今日は桃子の方に200枚余りの袋を掛ける予定です。樹に残っているモモの数は基本的には袋を掛ける時に袋の枚数で計算しています。従って、袋を掛ける時は1本の枝に付いている桃の内、大きくて虫が入っていないモモに優先的に袋を掛けます。明らかに小さいモモや袋を掛けたモモの近くにあるモモなどは摘果します。判断に迷うモモはそのままにしておき、後で全体的に考えます。桃子の樹で残すべき200個に袋を掛けて行きます。昨日は同じ方法で桃太の方で100個のモモに袋を掛けました。更に、購入した袋が使い難い位置に在るモモには手製の袋を使いましたが、この手製の袋を2日間で20袋使いました。と言うことは2日間で320個のモモに袋を掛けたことになります
 一方で、虫が入っていたり、明らかに小さいモモなどは摘果しましたが、摘果したモモの数を数えたところ230個ほど有りました。まだ、樹にはかなりのモモが残っています。大きいのに見落としていたモモも有りますし、摘果するかどうか迷っているモモも有ります。その数は全体で100個近く有ると思われます。購入した袋は全て使いましたので、もし、更に袋を掛けるのであれば、手製の袋を使うしか有りません。問題は、あと何個のモモに袋をかぶせるかです。基本的には30枚の袋を使って全体で350個にするか、もう少し、増やすか迷ってしまいます。本当に果物の摘果作業は悩んでしまいます。

   s-IMG_3041.JPG
 虫が入った痕跡がある実です、左のモモは本当に小さい穴ですので、油断をすれば見落としてしまいます


   s-IMG_3043.JPG
 モモをカットして虫の穴をチェックすると小さな幼虫が出てきました。これがモモシンクイムシの幼虫です。種や芯を食べますので、この実に袋をかぶせても熟れる前に袋の中に落果します。勿論食べられません。


   s-IMG_3047.JPG
 大きくても同じ大きさのモモがすぐ横に在るので摘果した大きいモモや、余り成長していない小さなモモや、虫の穴があって摘果したモモなどをバケツに入れました、バケツに半分以上あり、その数は230個余りでした


   s-IMG_3044.JPG
 袋掛けが終わった桃子の方です、全体的にモモが分布していますが、毎年手前側に多くのモモができます


   s-IMG_3045.JPG
 これが昨日袋掛けをした桃太の方です、こちらも手前に良くモモが成っています



合間にネット掛けを

 モモの袋掛け作業は老眼鏡を掛けて慎重に進める作業ですので、どうしても目が疲れてしまいます、更に今日は真夏日を思わせるなるのような1日でしたので、モモの樹の中に居て袋掛け作業をしていると汗びっしょりになります。そこで、時々、袋掛け作業を中断して、昨日行った畑とミニ果樹園にネットを張る作業の続きをしました。昨日の作業は主にミニ果樹園に縦方向のネットを張る作業でしたが、昨日で基本的には畑とミニ果樹園を囲う防風ネットの設置作業は終わりました。残っているのは天井を覆うネットを張る作業です。畑の方は天井に網目4aの防鳥ネットを張りますが、ミニ果樹園の方は目の細かい防風ネットを張ります。今日は取り敢えず、畑の方に目の粗い防鳥ネットを張りました。

   s-IMG_3048.JPG
 分かり難いかも知れませんが、畑の上に網目4aの防鳥ネットを張りました、これでトウモロコシやスイカをカラスに食べられる心配はありません。



裁判傍聴ブログはなかなか進みません

 前2回の裁判傍聴ブログは、熊本から帰って来た翌日と翌々日をブログを書くための時間にあてていましたので遅くとも裁判の3日後にはブログをアップすることが出来ていました。しかし、今回は子守が有ったり農作業が貯まっていて、集中して時間を取ることが出来ず、昼間は作業をして、夜その日のブログを書き、全てが終わった時点で裁判傍聴ブログを書いているため、1日に3時間ぐらいしか時間が確保できません。従って、傍聴ブログをアップ出来るるのはもう少し先になります。申し訳ありませんが宜しくお願いします。
   
続きを読む
posted by モグじー at 20:29| 徳島 | Comment(0) | モモ・スモモ・アンズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月14日

夏を迎える準備

先ずはネット張り作業を!

 今日からしばらく晴れの日が続きますので、色々と外作業が出来そうです。しなければならない作業は色々有るのですが、最も急ぐのはモモの袋掛けです。朝食を終えると桃の樹の所まで行きましたが、昨日降り続いた雨で葉は濡れていて袋掛けは午後でないと無理の様です。そこで畑の方に行ってトマト温室を模様替えすることにしました。昨年はトマト温室のトマトが全滅したため、温室では野菜を育てていません。でも、色々なものを乾燥させるのに便利ですので、ずっとビニールで覆ったままにしていました。最近は昆布を干すのに重宝しましたが、昆布拾いも終わりましたので、ビニールを外すことにしました

 畑には猫が入ってフンをしないよう周囲をネットで囲っていますが、温室の部分だけは温室のビニールで侵入を防いでいました。そのためビニールを外すと温室の所から猫が畑に入ります。これから収穫を迎える、ミニ果樹園のイチジク・ジューンベリー・ブラックベリー・ブルーベリーなどを鳥害から守るためのネットを張れば猫が畑に入れなくなりますので、ミニ果樹園を囲むネットを張ることにしました。温室のビニールは簡単に外せましたので、次にネットを張る作業をしました。今年はネットを張る範囲を拡大してミニ果樹園全体を高さ2b余りの暴風ネットで覆いました。こうしてネットで畑とミニ果樹園のある約10b四方の面積を先ず防風ネットで囲いました。更に天井の部分に網目が4aの防鳥ネットを張れば畑とミニ果樹園の作物は鳥やネコの被害を受けることが無くなります。そこで、、天井の部分に長い電線を4本ほど張り、その上に防鳥ネットを置きました。ただし、ネットを広げるのに結構時間が掛かりますので、その作業は明日することにし、畑とミニ果樹園をネットで囲う作業は午前中で終え昼食をとりました。

 昼食後はついでに果樹園の南側に防風ネットを張りました。いつの間にか季節が変わり、南からの強い風が良く吹くようになりました。モモは南からの風をまともに受けますので、先日からネット張りのことが気になっていたのです。これで取り敢えず夏に備えてのネット張りを終えることが出来ました。後、ジューンベリーとイチジクとビワの上に細かい目の防鳥ネットを張る作業が残っていますが今週中には出来ると思います。

   s-IMG_3024.JPG
 ビニールを覆ったトマト温室です、中には何の植物も植えられいません


   s-IMG_3032.JPG
 ビニールを外したトマト温室です、温室のドアの所から高さ2bの防風ネットを張って行きました。


   s-IMG_3036.JPG
 防風ネットは温室の柱から北側のエントランスの所まで伸びて西の方に向きを変えます


   s-IMG_3030.JPG
 防風ネットはエントランスに沿って道路まで伸び、そこからビワの樹の横を通って畑を囲う枠まで伸びています


   s-IMG_3033.JPG
 この様にミニ果樹園と畑が高さ2bのネットで囲まれます


   s-IMG_3027.JPG
 右に見えるブルーのネットが囲まれた畑とミニ果樹園の上に張られる防鳥ネットです。防鳥ネットを支える電線は張っていますが、ネットを広げるのは明日の作業にまわしました


   s-IMG_3040.JPG
 果樹園の南側に暴風ネットも張りました、これで、少々の風が吹いても桃が被害を受ける心配はありません
posted by モグじー at 22:49| 徳島 | Comment(0) | ログ暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モモの袋掛け

モモが虫に食べられている!

 モモの栽培で最も大きな被害が出るのがモモシンクイムシの被害です。折角大きくなってきたモモにシンクイムシが入ると桃は熟れる前に樹から落ちてしまいます。このモモシンクイムシのサナギが樹の樹皮などの下で越冬し、春になると羽化して飛び始め、モモの新芽や実に卵を産みます卵が孵って幼虫になると、新芽から新梢に入って枝先を枯らせますし実の中に入ると種を中心に実を食い荒らします。従って、新芽が枯れているのを見つけたら、実が食べられていないか注意しなければなりません。熊本に行く前に新芽が枯れているのを見つけいよいよ今年も始まったかなと思いましたが、時間が無くて新芽や実のチェックが出来ないまま今日に至ってしまいました。早急にモモに袋を掛けて実に卵を産み付けられない様にしなければなりません

 やっと、モモの袋掛けが出来る時間を確保できました。袋を掛けようとしてモモの樹の下に近づいたところ、大きな実が2個落ちていました。拾ってチェックすると虫喰われの様で表面に直径2ミリ程度の穴が空いていました。早速、穴の位置で実を割ったところ中なら幼虫が出て来ました。すでに、モモシンクイムシの被害が出ているようです。袋を掛ける時、実の表面をチェックしなければなりません。小さな穴が空いていれば中に虫が入った証拠です。取り敢えず実を割って中の虫を殺さねばなりません。すでに虫が外に出て行ったケースもあります。虫が入ったのを知らないで袋を掛けると大きくなった実は途中で袋の中に落ちてしまいます。従って袋を掛ける前のチェックは非常に大切なことと思います。

   s-IMG_3025.JPG
 これが虫が侵入した穴です、老眼鏡を掛けてチェックすれば大体見つけられます



目標は300個です

 今年のモモの予想収穫量は桃子が200、桃太が100の計300個です。樹に残っているモモの数を数えるのは難しいので、袋を掛ける時にチェックしています。モモに掛ける袋はずっと手製のものを使ってきましたが、今年は前もって袋を作ることが出来ませんでしたので、先日、二重袋を300枚購入しました。これとは別に手製のものを100枚程度準備していますので、最大で400個まで袋を掛けることができますが、400枚の袋を掛けても多分100個程度は病気や虫食いで収穫できないため、300個収穫出来たら大豊作と言わなくてはなりません。
 とにかく、袋の隙間から虫が中に入らないよう、細心の注意を払って袋掛け作業をしなければなりません。時間が掛かっても問題有りませんので、とにかく慎重に作業を進めました。途中でゲストの訪問が有ったりしましたので、今日袋を掛けたのは100個余りです。明日中には終えることが出来ると思います。

   s-IMG_3026.JPG
 茶色の袋が購入した二重袋です、白いのが手製の袋です
posted by モグじー at 21:30| 徳島 | Comment(0) | モモ・スモモ・アンズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月13日

母の日も無事に終了!

先ずは蔓物の苗を植えました

 今日は母の日です、朝9時に娘の家に行って孫を預かり、ログに連れて帰って夕方まで子守をしなければなりません。昨日の夕方、夏野菜の苗を植えましたが、蔓もののスイカ、キュウリ、カボチャは時間が無くて植えられませんでした。今日は、すぐにでも雨が降りそうですので、早めに朝食を終えると畑に出て、スイカとキュウリとカボチャの苗を植えました。スイカは毎年2本の苗を買って植え、2畝分の広さに蔓を広げて栽培し数個のスイカを収穫していますが、自宅で食べる分は十分にあります。昨日夏野菜の苗を植えた結果、何も植えられていない畑は残っていません。そこで、スイカはイチゴが植えられている畝に苗を植えました。今年はイチゴの生育が悪いので、多分、スイカの蔓が伸びてもイチゴの方には障害は無いと思います。キュウリとカボチャは例年通り、フェンス沿いの畑に植えました、蔓はフェンスに張ったネットに這わせる予定です。とにかく、ログは約100坪の敷地に建物、畑、果樹園を詰め込んでいますので、絶対的な面積が足りず、フェンスまで畑代わりに利用しなければならない状況です。



小さな頭で考えていました

 苗の植え付けを済ませると、すぐに、娘の家に行きました。娘の家から孫を連れ出そうとすると、表情が硬くなり動こうとしません。普段娘の家に行って公園に連れて行こうとすると喜んで靴を履くのですが。何とか孫を抱いて車にのせログに向かいました。走り出してしばらくして分かったのですが、時間帯から考えれば、9時頃と言うのはモグジーが保育所に連れて行く時間ですので、孫は保育所に連れて行かれると思って警戒していたのですね。かなり車で走ると孫も保育所ではないことが少しわかって来たのか、反応が良くなり、車から降りてログだと分かると歓声を上げていました。1歳半の幼児でも小さな頭で色々と考えているのですね



どうして遊ばせようか?

 いつもであれば、ログに連れて帰ると、かなりの時間は公園に連れて行って遊びますが、残念ながら今日は1日雨ですので、外に出ることはできません。夕方までの8時間、どの様にして、室内で時間をつぶせばよいのか、悩みます。ただ、ログには吹き抜けの階段があって、小さな子供にとっては格好な遊び場となっています。ある意味で室内のアスレチックとして活躍してくれます。今日1日で何度階段を上り降りしたことか、ロフトから階段に向けてボールを投げると下までボールが落ちて行くのが見えますが、それを自分で拾いに行ったり、モグジーに拾わせたりします。単純な遊びを何十回となく繰り返し、身体をしっかり使わせた結果、2時間のお昼寝タイムを確保でき、何とか夕方まで遊ばせることができました。とにかく、母の日は普通の人にとっては、その日1日限りの事ですが、花屋さんにとっては1ヶ月前から準備が始まり、特にゴールデンウイークは猫の手を借りたいぐらいの忙しさとなる行事です。残念ながらゴールデンウイークは保育所も休みとなりますので、ログが保育所代わりになります。本格的に孫を預かったのは今年が初めてですが、これから先も、まだまだ母の日のお手伝いは続くものと思われます。まだまだ、元気で居らなければならないモグジーです
posted by モグじー at 21:40| 徳島 🌁| Comment(0) | ログ暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月12日

今回は熟睡!

これで夜行バスも怖くない!

 昨日、ハンセン病家族裁判が午後4時半に終わり、6時からの報告集会に顔を少しだけ出して午後6時40分発の高速バスで博多に向かいました。博多で夕食を済ませた後9時45分発の徳島行き夜行バスに乗って今朝9時前に無事ログに帰って来ました。前回は博多に行く便では良く眠れましたが、徳島に帰る便は裁判での興奮もあってか殆ど眠れませんでした。今回、博多に行く便で、寝る姿勢を色々と試していて、殆ど家で寝る姿勢と同じ姿勢を保てる方法を見つけました。その方法で寝ると腰の傷みも殆ど感じることなく、家で寝るのと同じような感覚で寝れ、昨日も朝から普通に身体を動かすことが出来ました。そこで、帰りの便でも同じ方法で寝た所、昨晩11時の最後のトイレ休憩から今朝の5時の最初のトイレ休憩までの6時間しっかりと寝ることができました。ログに戻っても普段と殆ど変らない体調でした。もし、帰りが前回と同じように殆ど眠れなかったら、今日は大変なことになります。と言うのは今日これから孫の遠足の付き添いがあるからです。孫は保育所の遠足であすたむらんどに行きますが付添いの長女は母の日を控えて花屋の仕事が忙しくて体調が充分ではありません、そこで、モグジーが付添いのお手伝いをすることになっていました。

 朝食を終えると、妻と一緒に車であすたむらんどに向かいました。孫と長女は保育所からバスであすたむらんどに午前10時に到着し最初の1時間は芝生の広場で集合写真を撮ったりゲームをして遊びますが、その後は親と子で過ごさなければなりません。お弁当の準備も出来ないということで妻が弁当を作って一緒に行くことになりました。10時半に芝生広場に着くと今日は沢山の幼稚園や保育所が遠足で来ていて孫達がどこにいるのか分かりませんでした。やっと見つけた時は集団行動が終わり個々に分かれた所でした。モグジーの顔を見て孫は大喜びです。早速孫に手を引かれて遊具のある所に連れていかれました。滑り台を滑ったり大きなジャングルジムに上ったりしますが、元々小学生用の遊具ですので、付きっきりでないと遊べません。またたく間にモグジーは汗びっしょりとなりました。1時間ばかり遊んでから皆で妻の作ったお弁当を食べましたが、孫はお弁当をサッと食べ終わると、又、遊具の方へモグジーを引っ張って行きます。何とか12時過ぎまで遊んだ後、モグジー夫婦は一旦分かれて保育所近くまで移動しました。バスで帰ってくる娘と孫を保育所から家まで送らなければなりません。娘の家で孫と遊んでいる間に、娘に貯まっている家事をして貰い、午後3時半に昼寝を始めた孫を置いて娘の家を出ました。孫の遠足の付き添いをしたのは初めてですが、1歳半程度の子供は勿論一人でも集団でも遊べませんので、親の付き添いが無いと遠足に行かれないそうですが、付き添ってみて、とても保母さんだけでは手に負えないと思いました。身体はクタクタでしたが孫の喜んでいる顔を見ると無事に着き添えて良かったと思いました。これも夜行バスの中で良く眠れたからだと思います。

   s-IMG_3012.JPG
 妻が孫のためにお弁当を作ったのですが、イチゴ好きの孫は真っ先にイチゴを全部食べ後はお握りを少し食べただけでした。まだまだ、お弁当の楽しさが分からないので、妻の心もこもったサービスは孫に伝わらなかったようです。お弁当が分かるのは幼稚園ぐらいからでしょうか…



苗を植えよう!

 4時過ぎにログに戻ると、早速、苗を植える作業を始めました。と言うのは明日の午後から雨が降るとのことで、モグジーは朝、娘の家に行って孫を引きとり、ログに連れて帰って夕方まで子守をしなければなりませんので、苗を植えるのは今日の夕方しか有りません。早速、買った夏野菜の苗や、自分で作ったトウモロコシの苗を畑に持って行って苗を植える作業を始めました。どこに何を植えるのかは、大体、頭の中で決めていますので、その計画に沿って苗を植えて行きました。畝つくりが終わっていますので、苗の植え付け作業は比較的簡単に終えることが出来ました。畝の準備が出来ていなくてスイカとカボチャとキュウリの苗は今日は植えられませんでしたが、数日間の内には植えられると思っています。

   s-IMG_3018.JPG
 トウモロコシの種を直播した畝です。芽が出なかったところや空いている場所に自分で立てた苗を補充しました


   s-IMG_3019.JPG
 中央にセロリを植えてい畝に自分で立てた苗を植えて行きました。出来るだけハーブ類と他の野菜を混植するように心掛けています


   s-IMG_3021.JPG
 この畝には中央にナスとブロッコリーを植え両側にネギを植えました、


   s-IMG_3022.JPG
 このネギは「やぐらネギ」と言って、先日ログの前を散歩しておられる方から戴いたものです。ネギの軸の先端に写真の様な株が出来てこれを植えると細いネギが普通の太いネギに育つそうです。初めて見ました。従って延々とネギが出来るそうです。ネギが大の苦手なモグジーにとっては涙がドッと流れるほどのプレゼントでした。


   s-IMG_3020.JPG
 この畝にはミニトマトとピーマンを植えています、周りにできれば何らかのハーブ類を後で植えようと思っています。



裁判傍聴記のブログは後日に

 取り敢えず、今晩は10日と今日12日のブログを書きました。昨日11日の裁判傍聴記のブログは時間が掛かりますので、後日、ブログに載せたいいと思っています、もう少しお待ちください。
posted by モグじー at 23:24| 徳島 ☁| Comment(0) | 野菜作り日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月11日

速記が付いて行けません!

又もや抽選が外れました

 今回は午後1時からの公判と聞いていましたので、今朝7時45分に博多に到着したモグジーは、8時発の高速バスに乗って10時に熊本交通センターに到着しました。ここから裁判所までは徒歩で25分程度ですのでゆっくりと歩いて裁判所に向かいました。10時半頃裁判所に着きましたが、勿論関係者の姿は全くありません。近くの公園で書類を読んで裁判の開始を待ちました。
 12時半からいつもの様に門前集会が有り、終わるとすぐに傍聴券を貰うために並びました。今回は希望者が少なくモグジーが1番でした。午後1時にはそれでも数十人の行列ができていました。34名の傍聴券当選者を決めるのはパソコンにあらかじめ入力された当選番号のグループを1番の人が選択する方法で行われます。1番のモグジーがパソコンをクリックしたところ画面に当選番号が表示され、何と、目に入ったのは、3.5.と並んだ数字の列でした。1番が無く、残念ながら今回も抽選が外れました、これで1勝4敗です。何というくじ運の悪さでしょうか…。行くところもないのでホールのソファーに腰を掛けていると、開廷直前に「傍聴券が1枚ありますよ、誰か…」と神の声が聞こえましたので、すぐに駆け寄って傍聴券を貰うことができました。こうして、今回も危機一髪のところで傍聴できることになりました。



今日は2人だけと思っていたら

 これまでは、原告の陳述は午前に1人、午後に2人の計3人でしたので、今日は午後だけですので2人と思っていたら、裁判長から3人の意見陳述があると聞きました。更に裁判が終わった後の報告集会で弁護団から説明が有り、実際には午前も開廷され、非公開の審理で1名の原告が意見陳述をされたそうです。今回の裁判は法廷でも実名は明らかにされず原告番号が名前の代わりに使われています。名前が出なくても、裁判の内容が原告に深刻な問題を引き起こす可能性がある場合は、原告と原告側弁護士と被告と被告側弁護士と裁判官だけで審理を行う非公開の審理も行われるとのことでした。
 従って、実際には今日は4人の原告が証言台に立ったことになります。午後の審理はこれまで2人だったのを3人にしたため1人分の時間が短くなりました。そのため、原告に対する原告側代理人(弁護士)の原告に対する質問が早口でしかも間をおかず、連続して行われたため、語られるスピードが速すぎてメモを取るのが大変でした。何とか後で空白が埋められるように、暗号の様な単語を羅列した部分もあって、審理が終わると忘れないうちに必死でメモの補足をし、少しでも後でわかるようにしました。




最初に原告番号59番のHさんが証言台に立たれました

浮浪児にあらざるも浮浪児に近い存在でした

 昭和13年に愛知県で生まれたHさんは、幼い頃、父と死別し、母親が療養所に入所した頃は母と義父と妹と義妹との5人家族でした。昭和35年5月Hさんが小学校4年の時、母と妹はジープに乗せられ、療養所に連れていかれた。母親が居る頃から義父はHさんに暴力をふるっていたが、母親が居なくなってから暴力は更にひどくなり、食事の支度はHさんにさせても、食べ物を与えることは無く、Hさんは飢えをしのぐためイナゴやバッタなど何でも口に入れて何とか生きてきた。家に入ると義父の暴力が有るので大家さんの鶏小屋で寝るなど野良犬の様な生活を送った
 1年後に民生委員の世話で療養所の保育所に入ることが出来た。母に会え、三度の食事の心配をする必要もなくなり保育所はHさんにとっては天国だった。Hさんは保育所で1年間過ごした後、関西の養護学校に移った。母と別れる時、母にハンセン病のことは絶対に口外しないように言われたHさんはその後誰にも母親の病気のことは言わなかった。Hさんは在日朝鮮人だったがそのことも他人には言わなかった。結婚相手には在日朝鮮人で在ることは告げたが病気のことは伝えなかった。彼女に二重のハンディを負わすことに躊躇していたが、ばれたら皆に迷惑を掛けると思い結婚直前に病気のことを伝えた。幸いにも彼女の理解を得、これで晴れて結婚できるとHさんは思った
 Hさん夫婦に二人の子供が出来、小さい頃から母親の面会に連れて行ったが、病気のことはきちんと話さないまま子供たちは成長した。「国籍のことでハンディを負わせてしまった子供に更にハンセン病と言うハンディを負わせる勇気は私には無かった」と語るHさんに対し、息子は母親に向かって「父さんはずるい、卑怯ものだ」と語った。子供にきちんと理解できるように話す自信が無かったので話せずに来たHさんは今回の陳述書をきちんと書き上げ、それを子供に渡したいと。
 最後に国に対する思いを聞かれたHさんは「人生を振り返って、曲りなりに世間並みの生活をさせて貰ってきたが、浮浪児にあらずして浮浪児に近い存在だった幼少期が私の原点になっているなぜ、このようになったのか考えていくと、国の隔離政策が有ったからだと思う。家族がバラバラに別れた後の幼少期の苦しさを考えると、一言国に謝ってもらいたいと思う」と


国側弁護人からの質問

・義父の暴力はいつごろから始まったのですか
・母親がジープで連れていかれた時、近所のおばさんにどう言われたのですか
・昭和24年4月に療養所の保育所に入ったが病気の説明を受けましたか
・母親と再会した時、抱きついたが病気が怖くなかったのですか
・その時は病気がうつる認識は無かったのですか
・母親の部屋で、お菓子を食べるのを躊躇したのは何故ですか
・母親が病気のことは絶対に言うなと言っていたが、なぜそのように言ったと思ったのですか
・病気のことを言ったら差別されると思ったのですか
・他人に病気のことがばれたら人間関係が駄目になると思っていたのですか
・何故そのように思っていたのですか
・うつると誰に言われたのですか
・結婚のときハンセン病は怖い病気ではないと伝えたのですか
・いつそのような認識となったのですか
・どの様にして認識出来たのですか
・ハンセン病がうつらないことをスクラップを集める中で知ったのですか
・奥様と交際する中で打ち明けても大丈夫と思った理由は
・奥様は話を聞いて変わらなかったのですか
・奥様はあなたの母親に会っても変わらなかったですか
・子供ハンセン病のことを話したことが有りましたか
・ハンセン病のことを知っていましたか
・子供から病気のことを聞かれたことは
・後ろめたいと感じていた理由は
・娘さんが結婚しないのは母親の病気が理由なのですか
・あなた自身はハンセン病で差別を受けたことはありますか


裁判官からの質問

・母と妹がジープで連れていかれた後、家に入った時、白い粉が撒かれていましたか
・お菓子は包装してある物と包装されていない物が有ったというが、当時は量り売りの物ばかりではなかったですか
・セロファンは高級品にしか使われていなかったと思いますが




次に原告番号75番のIさんが証言台に立たれました

私の家族は罪人だったのか

 Iさんは昭和24年熊本で生まれ、家族は両親と兄と妹との5人だった。母親は畑で作業中に役場の人に療養所に連れていかれ、1ヶ月後に生後7ヶ月の妹が亡くなり、Iさんは療養所の保育所に入れられた。小学校入学前に保育所から父親の元に帰り、兄と3人で天草に帰った。この頃の記憶はIさんには無い。集落は30世帯の小さなものだったが、村の催しなどの案内は無かった。父親は山仕事をし、家事は小学校1年の時からIさんがやった。前の川から風呂にお水を運ぶのが最も大変だったと。
 5年の時、1歳上の兄が居なくなったが、父にはその理由を怖くて聞けなかった。小6の時修学旅行で母に会ったが「私にも母が居るんだ」と言う感覚だった。中1の時療養所で母に連れられて検診を受けた、男性医師にパンツ1枚で検査を受け恥ずかしさと恐怖で大泣きした、この検診の後、病気のこと、療養所のことで苦しもみ、図書館で勉強し、母の病気がハンセン病で在ること、母が入っている施設は国のハンセン病の施設であることを知った
 高卒後、東京の叔母の店で働く。19歳の時アパートの隣の人と知り合う、文学、読書の話をし仲良くなったが家族の話題は避けた。付き合い始めて2年後、20歳(昭和44年)の時プロポーズされたが返事できず、母と兄のことは黙っていた。結婚してばれたら皆に迷惑を掛けるので打ち明けなければと思ったが打ち明けるまで数か月かかった。最後は彼の実直な人間性を信じて打ち明けた、母と兄がハンセン病であること、療養所に入っていること、父は出稼ぎで家には誰もいない事を、その中で前向きに生きていきたいと。数日後彼から結婚すると言われた。最近になってハンセン病の親を持つ娘と結婚することをどう思ったか聞いたところ、子供の時、ハンセン病で連れて行かれるのを見たことがある、母にその人と付き合うなと言われたので、大変なことになったと思ったと。両親の反応を聞くと両親は絶句して黙りこくった、しばらくして、ため息をついてお前が結婚したいのならと言ったと。プロポーズされて2年後に結婚した。待つ2年間はとても苦しかった。46年に結婚したがこんな私を受け入れてくれた夫と両親に感謝している。母は結婚式に来なかった、父はぐでんぐでんに酔ってきた。
 叔母には子供は作らない様に言われた。ハンセン病は出産すると発病すると聞いていた、母も兄を出産して発病した、叔母は私を患者扱いにしていると思った、私自身にも不安は有った。妊娠中、腕に発疹ができ発病したのかと思った。私が隔離されたら子供はどうなるのだろうと自分に重ねて悩んだ。誰にも言わず清瀬の全生園に行き診察を受けた。医師はサッと見て次は組織検査をしましょうと言った、帰りは怖くて怖くて二度と全生園に行かないと思った。その後発疹も消えた。夫には内緒にした。
 ハンセン病は幼児期にうつりやすいと聞いていたので、Iさんは幼児を抱くことに抵抗感があった。自分の子供とは出来るだけそういうことは考えないで、細心の注意をしようと思ったが母乳はあげられなかった。恵楓園で検診を受けた時の恐怖心、重症患者をみて、私もいつかはこんな姿になるのだ、今は発症していないだけだと思っていた
 平成9年に父が死亡。父は糖尿病だったが最後は母に看病して貰っていた。父は一人暮らしで最後まで母と一緒に暮せなかった。40歳の頃、仏壇に小さい位牌が有ったので母に聞くとお前の妹と言われた、なぜ死んだのか聞こうとしたが、悲しそうな母の顔を見てそれ以上聞けなかった。母が居なくなって妹も生きていけなかったのだと思う。H8年の父親の葬儀に行った時、近所の人が葬儀の最中に兄に無罪放免やなと言った。私の家族は罪人だったのか。5年前に法事が有ったが、母親の兄弟から母は「お姉さん来ないでくれ」と言われた。
 国に言いたいこと、私の家族は母と兄が収容されバラバラになった。予防法が無かったら普通の生活が送れていたと思う。この病気は大変な病気と思っていた。国は国民に対しハンセン病の正しい知識を伝えてほしい、ハンセン病は怖くないと伝える義務が有ったのではないか。


国側弁護人からの質問

・ハンセン病のことを知ったのはいつごろですか
・人に言ってはいけない病気と知ったのはいつ頃ですか
・ハンセン病は伝染病だから、のけ者にされると思ったのですね
・物心が付いたのは天草に帰った頃ですか
・保育所から帰って天草で3人で生活していた頃のことは覚えていますか
・お父さんが受けていた差別や偏見はどんなことが有りましたか
・近所の人はお母さんが療養所に入っていることを知っていましたか
・具体的に言われましたか
・父方の親戚の人が焼酎を飲みに来る時のが楽しかったのはなぜですか
・父方の親戚から差別を受けたのはどんなことでですか
・その原因は何ですか
・中学校1年の時勉強して学んだことはその後変わりましたか


裁判所からの質問

・父の兄弟が来るのは楽しみだったのですか
・伯父が遊びに来ることも有ったが、のけ者にされることも有ったのですね
・お父さんはどんな仕事をしていましたか
・その当時炭は儲かっていたが炭焼きはしていなかったのですか
・村の行事を教えて貰えなかったそうですが回覧板は無かったのですか
・お祭りもですか
・酒などの寄付は無かったのですか
・一斉清掃などは無かったのですか
・子供会のお知らせは無かったのですか
・お母さんが人の世話をしているのを見て私と距離がある思ったのはいつですか
・お母さんが法事に呼ばれなかったのはいつですか




最後に原告番号528番のJさんが証言台に立たれました

原告になって自分を取り戻した母

 Jさんの母親はハンセン病違憲訴訟の裁判の原告となり、判決が出る前に実名を名乗った。三人兄弟の末っ子として生まれたJさんを、母親はスナックで働きながら育てた。Jさんが小学5年の時、母親は療養所に再入所した。母親が再入所した療養所に面会に行って、Jさんは母親から子供の頃の辛かった話を何度も聞いた。子供の頃、赤い斑点が出来て庭の小屋に閉じ込められたことや、台風の時は危険な崖っぷちの小屋に入れられ危険な目に会ったこと等、当時の辛かった話を口を振わせ泣きながら話す母親を前にして、Jさんも一緒に泣くしかなかった。しかし、母親の語る辛い話を何度も聞いているうちに、母親の辛い話を正面から受け止めるのが次第に難しくなった、母親がハンセン病で受けた辛い思いが、Jさんをも傷つけた
 再入所後父親は仕事をせずスナックの賃貸料で生活した。Jさんは小学校の頃、スナックのカウンターで母が父に平手打ちされたのを覚えている。母が言い返すと暴力となっていたので、母はずっと言い返さなかった。自分を殺して生きてきた。ただ、父がハンセン病を受け入れてくれたことは母が褒めていた。思っていることをはっきりと言うようになったのは原告になってからで、ハンセン病の事実を知り、裁判の中で自分はまだハンセン病と思っていたが実際には治っていたことを知り、色々な人と交流する中で自分を取り戻した。父の前ではずっと我慢していたが元々そんな人ではなかった。
 H16年に離婚し、Jさんは1年後に父親と会ったが、その後は没交渉で、思い出すことも無いと、母の気持ちに同化した。憎んでいるわけではないが何も感じないし、関心もない、早く亡くなってくれれば良い。母と父の悲惨な出来事が消えると思うので。判決が出る前に実名を名乗った、周囲からは学問もないのにでしゃばりだと言われ。本を出版した後は、死ね、何で離婚したというFAXも来た、母は泣いていた。でも間違っていない、闘うと。国が隔離したこと自体が恐怖心を広げ、差別を助長した。私たちを人間以下にしたと思うと


国側弁護人からの質問

・小学5年の時お母さんが再入所しましたが、お母さんがかつてハンセン病で入所していたことを知っていましたか
・お母さんの話を聞いて差別される病気と思われたのですか
・うつる病気との認識はありましたか
・療養所で出されたお菓子は食べましたか
・学校に通っている時ハンセン病を取り上げたことが有りますか
・学校に通っている時療養所のことを知っているかと友達に聞いたことはありますか
・自分から敢えて話すことではないが、尋ねられたら正直に答えようと思ったのはいつごろですか
・両親の関係を主従関係を言っていましたがどういう意味ですか
・同僚の方に母親がハンセン病であることを言ったことがありますか
・母親の講演会が開かれた後差別されたことはありませんでしたか
・お母さんの新聞記事を見た人から何か差別的なことを言われたことはありませんか
・お母さんが新聞やテレビに出るようになってお母さんのことを話せるようになりましたか
・何人ぐらいの人に話しましたか
・その時の反応は


裁判官からの質問

・お母さんの仕事スナックですか
・自ら経営し、他に貸していたのですか
・あなたは奨学金を貰って学校に行ったのですか
・人を使ってスナックを経営するぐらいなので収入があるかと思って聞きました
・お父さんと知り会って結婚するいきさつは聞いたことが有りますか
・どっちが惚れたのでしょうか



傍聴記を書き終えて

 今回は、裁判から帰ってから色々なことがあって、メモをまとめるまとまった時間がとれず、1週間以上もかかってしまいました。今回の3名の陳述の中で午後の部の最後に証言台に立たれたJさんは高校の先生をしておられ、これまでの様な時系列の陳述とはなりませんでした。そのため全体像がつかめずまとめるのに苦労をしました。Jさんは教育現場に身を置かれている中で、ハンセン病問題に対して教育の中で当事者として何が出来るのかを問い続けて来られました。時系列の陳述であればモグジーとしても何とかまとめることが出来ますが、Jさんの思いをまとめるのは非常に難しいものが有りました。どこまで伝えることが出来たのか自信がありません。
 家族の被害を象徴する、強制隔離による家族関係の崩壊、徹底した消毒によって地域住民へハンセン病の怖さを強調して結果として家族の地域からの孤立化、保育所の児童に対するハンセン病に対する恐怖心の植え付けによる親子関係の崩壊といった国のハンセン病政策の象徴的な問題が今回の陳述はこれまでの陳述に比べ前面に強力に押し出されなかったため、被告国側は組みし易しと思ったのか、家族の病気に対する認識がどのように行われたのか、どのような差別が有ったのか等の質問を繰り返し出してました。確かに裁判は同じ土俵で真実を明らかに場かも知れません。しかし、この裁判は本質的には国を圧倒する原告側の被害が有り思いが有ります。裁判は法廷での闘いであり、徹底して攻め続けることが必要ではないかと思うモグジーでした。原告陳述は今後も月1回のペースで9月まで続きます。どこまで相手を圧倒できるのか頑張らなければと思います。
posted by モグじー at 00:40| 徳島 🌁| Comment(0) | ハンセン病家族裁判 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月10日

農作業の1日

今晩出発するまでに

 今晩9時5分発の夜行バスで熊本に向けて出発します。二日後の12日の朝9時にログに帰ると、孫の遠足の付き添いが有り、翌日は母の日ですので、長女は1年で最も忙しい日を迎えますので、当然、孫の子守はモグジーが担当します。一方ブドウの手入れや夏野菜の植え付けが遅れていますので、今日のうちに少しでも作業を進めておかなければなりません。苗を今日植えても、モグジーは2日間留守にしますので苗を植える前の畝つくりを今日は最優先させることにしました。ログの野菜畑8畝の内、2畝にイチゴを植え2畝にタマネギなどを植えていますので残り4畝に夏野菜を植えなければなりません。4畝の内、2畝にトウモロコシを植え、1畝にトマトを植え、最後の1畝にナスとピーマンとブロッコリーを植えることにしています。トウモロコシは1畝分はすでに種を直播し、1畝分の種は育苗ポットに播いて苗を立てている最中です。従って先ず土作りをしなければならないのはトウモロコシの苗を植える1畝分と先日購入した夏野菜の苗を植える2畝分の合計3畝の土作りをしなければなりません。畝の土は今ある土に自家製の腐葉土と籾殻の燻炭を混ぜるだけですのでそれほど手はかかりません。朝食後作業を始め11時頃には畝つくりは完成しました。

   s-IMG_2993.JPG
 畑の草を抜いて耕した後、先ず自家製の腐葉土を畝全体にばら撒き、その上に籾殻の燻炭を撒きました、その後、腐葉土と燻炭を耕して土と混ぜれば土作りは完成です


   s-IMG_2997.JPG
 畝作りが終わった畑です。向こう側3畝の内、左側の畝にはトウモロコシをすでに直撒きしています。中央は土作りをし真ん中にセロリを植えています、この畝に種から育てたトウモロコシの苗も植えます。右側の手前と奥の2畝には夏野菜の苗を植えます。


   s-IMG_2995.JPG
 種を播いて育てたトウモロコシの苗です、畑に直播した苗に比べると、背は高いのですが軸が細い感じです。日陰で育てた為ひょろ長く育ったのかと思います。



ブドウの手入れ

 畝つくりが終わると、ブドウの手入れを始めました。昨日のうちに、気になっていらデラウエアのジベレリン処理を遅れながらも済ませました。ログにはデラウエアの外に2本のロザリオ・ビアンコと、シャインマスカットが1本あります。これらのブドウの新梢も伸び放題となっていますので、棚に這わすなどして整理をしてやりました。2本のロザリオ・ビアンコの内1本はデラウエアと同じ棚に下に植えて棚に枝を這わせています。植えて3年目の昨年は10房程度が付いて大喜びをしていたのですが、うどん粉病にやられて全滅してしまいました。樹までやられたのではないかと心配していましたが、何とか枝から新梢が伸びてホッとしましたが、房の付き方は昨年より少なく5房程度です。何とかうどん粉病にかからないよう注意して育てようと思っていますが消毒薬を使いませんので不安です。もう1本のロザリオ・ビアンコはもっと古い苗ですが、元々は棚の下に植えていましたが、新しい苗を購入したため、棚の下を追い出され、止むを得ず水路沿いの空地に移動させられました。強風が良く当たる場所できちんと育つのか心配でしたが、何とか風にも耐えて今年は沢山の新梢ができましたので、昨年作った竹の棚にくくりつけて整理をしました。こちらの新梢には10房近くが付いていて、風通しが良いため、うどん粉病にもなり難いのでもしかすれば収穫が出来るかも知れません。
 デッキの棚に蔓を這わせているシャインマスカットは今年で3年目です。2年目の昨年、2房程度実がなり小さい実を食べましたがそれなりに美味しかったので、今年はもっと房が出来るのではないかと期待していましたが残念ながら3房しか付いていません。このシャインマスカットの新梢も整理してデッキの棚に這わせました。

   s-IMG_2998.JPG
 ブドウ棚の下に植えたロザリオ・ビアンコです。房が5房ほど出来ています、新梢を棚にくくりつけて整理してやりました。


   s-IMG_3006.JPG
 水路沿いの空地に植えたロザリオ・ビアンコです。今年は新梢も良く伸びています。新梢を棚にくくりつけて整理をしました


   s-IMG_3005.JPG
 水路沿いのロザリオ・ビアンコです、新梢に立派な房が付いています。収穫できると嬉しいのですが…


   s-IMG_2999.JPG
 デッキの棚に枝を這わせているシャインマスカットです。新梢は沢山伸びているのですが房は3房しか付いていません。期待していたのに残念です。



塩ワカメの袋詰め

 先日、海岸で拾ってきたワカメの加工が終わり塩ワカメが出来ましたので、500cずつ袋に入れました。今回出来たのは7`の塩ワカメで14袋ほど出来ました。これでログの在庫が20袋を越えましたので、少しはゲストの方々にプレゼントできるのではないかと思います。今回は大きなワカメを主に拾いましたので、立派な塩ワカメが完成しました。

   s-IMG_2994.JPG
 袋詰めが終わった塩ワカメです。全部で14袋できました

   

無事に夜行バスに乗り込みました

 明日の裁判に備え、夕方まで色々な作業をやった後、お風呂に入り、夕食をとって8時半にログを出発し、鳴門IC横のコトバスセンター始発の博多行き夜行バスに乗り込みました。始発の鳴門ICで乗車したのはモグジー一人でしたが、途中で徳島市内や高松市内で乗客を乗せ、最後に宇多津駅で高知や愛媛から来た乗客も合流して四国から博多に向けてバスは走りました。前回はゴールデンウイークに掛かりましたので満席でしたが、今回は7割程度しか乗客がいなかったため比較的ゆっくりしたバス旅行となりました。前日から寝不足でしたのでバスに乗り込むとすぐに寝込んでしまいました。
posted by モグじー at 21:59| 徳島 ☁| Comment(0) | 野菜作り日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

60才からの挑戦

QLOOKアクセス解析